『迷い猫、異世界を行く』
第5話
競りの会場へ移動するまで少し眠っておこうとアトゥナに言われたけれど、嫌な臭いが気になるのと、この後の事を考えて興奮しちゃって眠れない。アトゥナは丸くなって静かに目を閉じている。でも耳を前にピンと立ててるから眠ってはいないみたいだ。ぼくも同じように、耳を立てて周りの様子を探りながら目を閉じる。人間達の乱暴な足音、何かを床に投げ落とした振動、ガラスが割れたような音に続いて怒鳴り声が聞こえる。興奮してなくってもこれじゃ落ち着いて眠れない。あちこち探索したい気分だけど、体力を残しておかなきゃいけないから我慢しよう。どれくらいの間じっと丸くなっていたのかわからないけど、不意にドアが開いて光が射した。
「あとはこいつらだな。」
人間の男の声が聞こえる。アトゥナが顔を上げて威嚇したけど、男はおかまいなしにぼく達を掴む。痛いなぁ、乱暴にしないでよ。ぼく達の抗議の声も虚しく、ぼくとアトゥナは別々の小さなカゴに入れられた。窮屈だ。このカゴ、ご主人がぼくを病院へ連れて行く時に使うカゴにちょっと似てる。鍵がかけられた細い柵みたいな扉からしか外が見えないし、陽が暮れ始めてるのとカゴが布で覆われててうっすらとしか外が見えない。これから怖い所へ行くんだっていう気分が増してきて、心細くなる。
「アトゥナ、近くにいるよね?」
「大丈夫、すぐ傍にいるよ。」
思わず声を上げると、思ったより近い所からアトゥナの声が返ってきて少し安心した。怖がってる場合じゃないぞ。これから行く所は病院よりもっと危なくて、悪い人がいっぱいいる所だ。そんな所で、負けちゃいけない戦いをする。他の猫とケンカもした事ないけど、ぼくも爪や牙を持ってるんだ。ぼくだって戦える。
「やってやるぞー!」
「頼もしいな。でもあんまり気負うなよ。落ち着いて耳を澄ませて、周りで何が起きているか確かめておくんだ。」
「うん。」
アトゥナの声に従って、気持ちを落ち着ける。男は荒っぽい仕草でカゴを運んでいる。カゴが揺らされるたびに、あちこち身体をぶつけて痛くてたまらない。ようやくどこかへカゴが置かれて揺れが収まった。何だかめまいがする。早く着かないかなぁ。さんざん酷い目に遭わされたんだから、たっぷりお返ししてやらなくちゃ。すぐ近くからアトゥナのため息が聞こえた。もっと丁寧に扱いなさいよって文句言ってる。みんなの痛みを思い知らせてやるんだ。気合いを入れ直していると、カゴがどこかへ置かれたような振動が伝わってきて頭をぶつけた。痛いってば、乱暴だなぁ。このお返しもしてやるんだ。ぼく達のカゴは荷車に乗せられたみたいで、ガタゴト揺れながらどこかへ運ばれていく。競りの会場ってどんな所なんだろう。ティオスとナルジェルはどうやってぼく達を見つけるのかな。耳を澄ませると、さっきよりも海の音が大きく聞こえる。閉じ込められていた所より海に近付いてるみたい。港に戻ったのかな。でも、ぼくが捕まっちゃった所よりずっと静かだ。波の音や風の音、鳥の声がするけど、人の声はほとんど聞こえない。布の向こうにうっすらと、大きな建物が並んでるのが見える。もっとよく見ようと顔を柵に押しつけたら急に荷車が止まって、おでこを強くぶつけてしまった。痛いなぁ、もぉ。
「着いたみたいね。」
アトゥナの声が聞こえると同時にカゴが持ちあげられた。建物の中に入るみたい。海の匂いに混じってカビや埃の臭いもする。
「ここ、どこなんだろう?」
「使われなくなった古い倉庫群みたいだ。主が睨んでた通りだな。」
「ここであいつらは悪い事してるんだね?」
「そうだね。ここはもうほとんど人が立ち入らないから、悪事をするにはちょうどいいんだろう。」
隠れて悪い事するなんて許しちゃダメだ。薄暗い建物の中に入ると、聞き覚えのある声がした。
「そいつらは今日の目玉だから俺が預かる。後はいつも通りにやっておけ。」
ぼくとアトゥナのカゴを持った奴の声は、一番強そうなあの男だ。ぼく達をここへ運んだ奴よりはそぉっとカゴを持って歩いている。
「あんた達の思い通りにはさせないよ。」
「ははっ。気の強い女は嫌いじゃないぜ。」
「気色悪い事言うな!」
アトゥナが男と何か話してる。アトゥナも人間の言葉が解るんだ。大人の猫ってやっぱりすごいな。男はぼく達のカゴを埃だらけの棚に置くとどこかへ行ってしまった。建物の奥の方に人が集まってる気配がある。競りに参加する人達なんだろう。
「全く、無礼な男。」
アトゥナはぷりぷり怒ってる。何を言われたんだろう。大きく息を吐いた後、アトゥナがぼくを呼んだ。
「ルイ、ティオスと連絡を取ろう。」
「うん、でもどうやって?」
「さっきあたしがやったみたいに、ティオスの羽根に意識を集中して呼びかけるんだ。」
「わかった。やってみる。」
首輪の隙間、ティオスの羽根がある所に集中する。これは多分、ご主人が使ってた電話と同じようなものなんだと思う。ティオスとナルジェルの顔を思い浮かべながら、ティオスの名を呼んでみた。
「ティオス、聞こえる? ルイだよ。」
するとすぐにティオスの声が聞こえてきた。
「ルイ、無事で良かった。今お前のいる所を探知するからな。」
どうやってぼく達を見つけるのかわかんないけど、ティオスがやるって言ったら間違いなくできるんだろうと思えた。ぼく達を探しやすいように情報を伝えなくちゃ。
「この辺は海の匂いがしてるから港からそんなに遠くはないみたい。アトゥナは『使われなくなった倉庫』だって言ってたよ。」
「なるほど、あの辺りか。隠れ処にするには絶好の場所だな。アトゥナは傍にいるか?」
「うん、いるよ。」
「あぁ、ルイと一緒にいるよ。」
ほとんど同時にぼく達は答えていた。ティオスの声はアトゥナにも聞こえてるみたい。不思議だなぁ。ティオスは近くにいるのかな。
「ティオスは今どこにいるの?」
「衛兵の詰所に来てるんだが、俺とナルジェルだけじゃ話を聞いてもらえなくて困ってるところだ。オーフェウスの帰宅を待つべきだったか。」
「ティオス、そこは港の前の詰所か?」
「あぁ、そうだ。」
アトゥナが興奮した声をあげた。何かいい考えを思いついたみたい。
「だったら、サトニルって兵士を探してくれ。見つけたら『フレイアトルの猫、4枚羽のアトゥナが悪い奴らに捕まってる』っていえば、サトニルだけでも動いてくれる。」
「サトニルって兵士だな。そいつはアトゥナの知り合いか?」
「以前の主の友人だよ。背の高い若い男だ。まだこの街にいるはず。」
「わかった。サトニルを連れて必ず助けに行くから、待っててくれ。」
「頼んだよ。こっちは競りが長引くように時間稼ぎしておこう。」
ティオスとの会話を終えると、アトゥナは小声で何か呟いた。仇をとるよって聞こえた気がする。アトゥナのご主人に何があったんだろう。さっき言ってたフレイアトルって名前の人がご主人なのかな。でもアトゥナの声を聞いてると、聞いちゃいけない事のように思える。
「よし、競りが始まってカゴから出られたら大暴れしてやろう。競りが終わってしまう前に、ティオスがサトニルを連れてくる時間を作るんだ。」
「うん!」
考え事はあとにしよう。今すぐ暴れられないのがじれったいけど、いっぱい我慢して目いっぱい暴れてやるんだ!
続く
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