小説の間へ翠玉館玄関へ

『迷い猫、異世界を行く』

第9話

船が港から遠ざかっていく。みんなの姿が完全に見えなくなるまで、エインティアは船のはしっこに立っててくれた。港も完全に見えなくなった頃、エインティアはぼくを見下ろす。
「ここは風が強いから、そろそろ中へ入ろうか。」
ぼくを抱っこしたままエインティアは船の中に入っていく。ちらっと海を振り返る。まだちょっと淋しいけど、エインティアの腕は優しい人の腕だ。大丈夫。アムシャも寒そうにしながらエインティアについてきた。風が強くてちょっと寒いのに、ぼくのためにずっと外にいてくれたんだ。ありがとう。エインティアを見上げるとぼくの頭をそっと撫でてく れた。
「知らない土地で主と離れ離れなんて心細いよな。必ず主を見つけてあげるから、心配しないで。」
何て言ったのかはわかんないけど、あったかい手のひらと笑顔に安心する。おでこを寄せるとエインティアはくすぐったそうな笑い声を上げた。
「可愛いなぁ。主もきっと心配してるだろう。早く会わせてあげないとね。」
船の中に置かれていた椅子に座ってエインティアはぼくを見つめた。テーブルの上に紙とペンを並べる。
「その為にも、もう少し主の事を詳しく教えてくれ。名前や年齢、髪型とか体型とか、いなくなった時の様子、性格や好みなんかもわかるとありがたい。アムシャ、通訳頼んだよ。」
「はいはい。」
何だかめんどくさそうに頷いたアムシャが、エインティアの言った事を教えてくれて、ぼくの話をエインティアに伝えてくれる。
「えっとね、ご主人の名前はジュリっていうんだ。年はエインティアとだいたい同じくらいかなぁ。髪はふわふわして長さは肩くらい。エインティアみたいに強そうな感じじゃなくて、細くて小さい人だよ。」
「ちょっと、それレディに失礼よ。」
ぼくの話した事をアムシャがエインティアに教えると、エインティアは楽しそうに笑った。
「私が強そう? 嬉しいねぇ、ありがとう。」
「それ喜ぶところなの?」
「可愛いとか言われてもガラじゃないよ。それから?」
エインティアの目がぼくに向けられたからご主人の話を続ける。
「あの時、ご主人は電話で誰かとお話してたんだ。」
「デンワ? 何それ?」
アムシャが不思議そうに聞き返してきた。そういえばティオスも電話を知らなかったなぁ。やっぱいこの国にはないのかな。
「ぼくもよくわかんないけど、遠くにいる人とお話ができる道具みたい。」
「ふーん。守り羽根に思念を乗せて会話するようなものかしら。で?」
「それで、お話が終わったら急に出て行っちゃったんだ。泣いてたみたいだし慌てて追いかけたんだけど、河のそばで見失っちゃったんだ。」
話を聞いたエインティアは紙にぼくの話を書き止めながら頷く。
「なるほど、それで河に落ちて流されたと推測したのか。その河の名前がわかれば大きな手掛かりになるんだけど、難しいかな。」
アムシャが伝えてくれたエインティアの質問にぼくは首を振った。
「ごめん、わかんないや。」
「わかんないって。」
「やっぱダメか。ルイは幼いから仕方ないね。」
その河の名前がわかれば、ご主人がどこにいるかわかりそうだったと聞かされて、自分が情けなくなっちゃった。お家の近くの河の名前も知らないなんて。思わず大きく首を振ったら、首輪に着いてる鈴と迷子札がちゃらんと音を立てた。アムシャが迷子札に目を向ける。
「ルイ、あんたこれ迷子札じゃないの!? こんなの持ってるなら何で早く言わないのよ!」
「ご、ごめん。」
アムシャにすごい勢いで怒られちゃった。そうだ、迷子札のことすっかり忘れてた。ナルジェルとアナンセスはこれを見ても首を傾げてたけど、あちこち旅してるっていうエインティアなら知ってる住所かもしれない。
「エインティア、ルイってば迷子札付けてるくせに黙ってたのよ!」
「アムシャ、何か怒ってるのはわかるけど、私には人の言葉で喋ってくれないか。」
「あぁ、ごめん。もう、こんなこと初めてやるからわけわかんなくなるわよ。」
ぷりぷり怒りながらアムシャが指した迷子札に、エインティアは手を伸ばす。知ってる所だといいなぁ。
「迷子札付けてるなら、ナルジェルでも探せるだろうに。知らない土地だったのかな?」
札が見やすいように首を伸ばして、エインティアを見上げる。札に触れたエインティアは、ナルジェル達と同じように眉にしわを寄せて困った顔をする。
「うーん? 何だこれ、見たことない文字だ。」
「えぇ? エインティアに読めない文字があるの?」
「そりゃあるさ。でもこれはちょっと違うな。読めなくても見たことはある文字ってあるだろ? これはそうじゃない、全く見たことない文字だ。ルイ、これは主の字かい?」
アムシャからエインティアの問いかけを聞いて頷く。
「うん。この首輪と一緒にご主人が作ってくれたんだ。」
ぼくの答えにエインティアは首を傾げた。
「そうなんだ。私達は世界中あちこち旅してるから、いろんな所の文字を知ってる。だけどこれはどこの文字とも全く違うね。まだまだ私達の知らない文字ってあるんだろうけど。」
エインティアにも読めないって聞いて心細くなる。そんなに遠い所へ来ちゃったんだろうか。だとしたら、ご主人はもっと遠い所にいるのかもしれない。札からそっと指を放してエインティアが微笑む。
「そんな顔しないで。この文字がどこで使われてるのかが分かれば、手掛かりになるよ。街に着いたらこれも調べてみよう。この文字のことは一旦置いといて、後は主がどういう人なのか知りたいね。社交的で快活な人なのか、内気でおとなしい人なのか。それと、誰かと話して泣いていたそうだけど、誰と何の話をしてたか、心当たりはない?」
エインティアの質問を聞いて思い出してみる。
「ご主人がよく電話でお話する相手は遠くに住んでる両親か、彼氏って人だよ。あの時のご主人の喋り方だと、お話してたのは彼氏って人だと思う。」
ぼくの話を聞いたエインティアは何だか難しい顔をした。
「恋人と話した後、泣きながら家を飛び出した、か。別れ話だったのかな。それで河に落ちたのかもしれないとなるとちょっと心配だな。」
「自分で河に飛び込んだのかもしれないって事? でも猫と暮らしてる人が、こんなちっちゃいルイをほったらかしてそんなことする?」
「ショックで衝動的に、っていうのは考えられなくはないよ。あっ、この話はルイには伝えるなよ。」
「わかってるわよ。でももしホントにそうだったらどうするの?」
「そうだとしても、私達にそれを確認する術があるのかどうか……。でも、衝動的に死のうとした時って、本能が勝って生き延びる可能性の方が高い。助かった事で立ち直ることもね。そっちに賭けてみるしかない。」
「そうね。」
アムシャと何か真剣な顔で話していたエインティアが、優しい顔でぼくを見つめる。
「きっと悲しい話をしていたんだね。今まで何か悲しいことがあった時、主はどうしていたか覚えてる? 友達と食事したりはしゃいだりしたかな? それとも別の何かに打ち込んで忘れようとした?」
エインティアの質問を聞いてご主人が悲しい顔してた時のことを思い出す。お仕事で失敗しちゃったって言ってた時、彼氏って人とケンカしちゃった時。とっても悲しい顔をして、ぼくがそばに行ってもあんまり構ってくれなかった。
「お友達と会うことは無かったと思う。ご主人が悲しい顔してた時って、ぼくがそばに行ってもあんまり構ってくれなくって、一人で気づかれないように泣いてたみたい。何日かずっとそんな感じで、でも少しずつ元気になって元のご主人に戻ってたよ。」
ぼくの話を聞いてエインティアは頷いた。
「内向的でおとなしい人って印象だね。」
「エインティアとは正反対の人って感じね。」
「確かに。だとしたら、窮地に陥った時もあまり他人を頼らないタイプかもしれない。」
「強いんだか弱いんだか分からない人ね。他人と関わるのを避ける人だったら探しにくいんじゃない?」
「でも主もルイを心配して探してると思うんだ。はぐれた仔猫を探してる人を探す、っていうのも一つの手だ。」
「そうか、ルイが主のそばにいないなら探してるはずだものね。」
頷きあったエインティアとアムシャはぼくを見つめる。
「ありがとう、ルイ。参考になったよ。必ず主を見つけてあげるからね。」
「ぼくも頑張るから、よろしくね。」
ぼくの言ったことがわかったみたいに、エインティアはぼくの喉をそっと撫でてくれた。あったかくて力強い手に安心する。エインティアに話してみて、ご主人のことがもっとよくわかった気がした。きっと無事に会える、そんな気もする。早く街に着かないかな。揺れる地面は落ち着かないよ。


続く



迷い猫、異世界を行く目次へ第10話へ