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1.妾腹の王子


城の中庭。ライラックの木が立ち並ぶ静かなここはテオドール王子のお気に入りの場所だった。今日も自室を抜け出し厨房からこっそりと持ち出してきたクッキーをかじりながら、テオドールはライラックの木陰に腰を下ろしぼんやりと空を見つめていた。午後の穏やかな陽射しと暖かい風に包まれ次第にうとうととまどろみ始める。
「テオドール様ぁ! どちらにいらっしゃるんですか!」
まどろみを打ち破る声が響きテオドールは溜め息をついた。テラスからこちらを見下ろす青年の姿が見える。
「テオドール様! またお部屋を抜け出されて!」
テラスから青年の姿が消えた。瞬く間に彼は中庭に出てテオドールの元に駆け寄って来る。眠そうに目をこすりながらテオドールは青年を一瞥する。
「アッシュか。どうかしたの?」
「今日は、帝王学と歴史の勉強の続きをすると、申し上げたはずですが。」
息を整えながら言うアッシュの言葉にテオドールはあくびをしながら答える。
「だって退屈なんだもん。だいたい僕が帝王学なんか学んでどうするのさ。」
テオドールの言葉にアッシュは表情を険しくする。
「テオドール様はこの国を背負う王子、帝王学を学ぶのは当然の事です。」
「確かに僕は王子だよ。王位継承権第四位のね。兄上達が王位を放棄しない限り僕がこの国を背負う事は無い。」
「何をおっしゃいますか! たとえ王位に就かれなくとも、王子は国家の要職に就くのが慣わしです。兄上様方を助けて差し上げるのです。」
冷めた目をしてテオドールはアッシュを見返す。
「正妃の子でなくてもそれは認められるのかい? 兄上達は僕の助けなんて必要とするだろうか?」
「本気で怒りますよ。そのような物言いをなさらないで下さい。テオドール様は間違いなくこの国の王子、皆に必要とされているのです。」
わかったわかったと手を振りテオドールは立ち上がる。一体どうしてアッシュはこんなにも自分に対して真剣になるのかと不思議でならない。その真剣さはテオドールを安心させるのだが、テオドールは心とは裏腹な言葉を口にする。
「お前も大変だね。僕なんかの教育係に就かされて。」
前を歩くアッシュはテオドールの言葉に振り返る。
「そんな事は有りません。むしろ光栄に思っておりますよ。私は自ら望んでテオドール様のお傍にいるのです。」
微笑んだアッシュの言葉にテオドールはますます困惑する。自分は第四王子、しかも正妃の子ではないのだ。「妾腹の王子」とテオドールを嘲る声も少なくはない。3人の兄はその筆頭だった。テオドールが第四位とはいえ、王位継承権を持っている事が気に入らないらしい。またテオドールの王位継承権と、次期国王の座を巡って王宮内は分裂しつつあるようだった。一番不利な立場にいる自分につく事は王宮内での立場を危うくするんじゃないだろうかとテオドールは思う。現国王である父リチャードはテオドールの王位継承権を認め彼を可愛がっているが、老齢のリチャードが王位を退いたらテオドールの立場は更に不利なものになるだろう。権力欲は恐ろしい。テオドールが王位継承権を認められた後、後宮から王宮に移った彼の母エレナは王宮内での彼女に対する仕打ちに精神を病んでしまったという。テオドールがまだ物心つく前の事だ。エレナが現在どうしているのかをテオドールは知らされていない。肖像画の類も残されておらず、テオドールは母の顔を知らない。どうして僕は王家に生まれてしまったのか、王位継承権など要らないのに。せめて王子ではなく姫として生まれていたなら、母も自分も王宮内の権力争いに巻き込まれる事なく平穏に暮らせただろうにと、テオドールは苦悩する。そして、自分は絶対に権力には近付くまいと心に決めていた。自分の大切な人を、自分を大切に思ってくれる人を、奪われたくないと強く願っていた。わけ隔てなく接し、熱心に尽くしてくれるアッシュもその一人だった。権力欲と陰謀の渦巻く王宮内で、テオドールが心を許せる数少ない人物の一人。だが、自分を立派な王族として教育しようとしているアッシュにテオドールは甘える事が出来なかった。アッシュの家系は代々国王の侍従として政務と軍務を助けてきた家だ。自分のせいで王宮を追われるなんて事には絶対にしたくなかった。だからわざとアッシュに反抗し自分を卑下してみせる。王位になど興味は無いと主張してみせる。アッシュを困らせる事になるのは胸が痛むが、それがアッシュを守る唯一の方法のように思えた。アッシュの傍にいたいと望む事は、王位を望む事と同義だ。自分が王位に就かなくとも、アッシュは3人の兄のうち誰かの侍従となって王家と国を守っていくだろう。その頃自分がここにいられないだろう事はわかっていたが、自分は所詮、側室の息子なのだからそれでいいのだと言い聞かせていた。
テオドールの部屋に戻ったアッシュは机の上に分厚い歴史書と羊皮紙を積み上げる。
「さ、では歴史の続きからまいりましょう。」
椅子に座ったテオドールはそう言って微笑んだアッシュを見上げ大げさな溜め息をついてみせる。心の中で「ごめんな」と呟きながら。

だがテオドールがどれほど拒んでも、権力争いの渦中に巻き込まれて行く事になるのを、彼はまだ知る由もない。

To be continued……


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