1.妾腹の王子へ某国王宮の人間模様10題目次へ3.幽閉塔の佳人へ

2.侍従兼副官

「さて、では今日はここまでに致しましょう。」
微笑んだアッシュにテオドールは大きな溜め息をついてみせた。そんなテオドールにアッシュは更に微笑む。
「明日は剣術の稽古です。私が指南させて頂きますので、よろしくお願いしますよ。」
では、とアッシュは抗議の声を上げるテオドールに微笑みを返し彼の部屋を後にする。手にした羊皮紙には今日、テオドールに教えた内容の控えが書かれている。勉強を、特に歴史や帝王学など政務に関わる事を学ぶ事を、テオドールが嫌がっている理由にアッシュは当然気付いている。テオドールが反抗してみせる理由もだ。だが、嫌がる割りに飲み込みは早く、アッシュの想像を遥かに上回る早さで講義は進んでいた。3人の兄よりも、テオドールの方が講義の進行は早い。テオドールの質問や指摘も鋭くアッシュが答えに詰まる事もしばしばあった。帝王学は善政をしき良き王となる道を説いている。だが、「権力者は民ではない。民でない者に、民の心を汲み善政を行う事は不可能ではないか。」とテオドールは言う。王宮の歴史はどこの国も権力者の欲にまみれていた。絶えない権力争いや領土争い、その度に民が苦しめられる。王家の人間が本当に帝王学を学んできたのなら、こんな歴史になるはずがないとテオドールは主張する。「ならばテオドール様が王位に就かれたならどうされますか?」と聞くと、「僕は権力者にはならないよ。」という答えが返ってきたのだった。一番王位に相応しいのはテオドールではないかとアッシュは秘かに考えている。廊下を歩きながらアッシュはテオドールが生まれた時の事を思い返していた。

王宮には逝去した前王妃マルグリットの生んだ第一王子ギルフォード、そして現在の王妃イザベラが生んだ第二王子レオンハルトと第三王子アンドリューがいた。側室の姫が生んだ子も数人いたが、彼らが王宮で暮らす事は無く、臣下として後宮で暮らすのが普通であった。だが、側室のエレナが男児を産んだ時、リチャード王はエレナを王宮に迎えテオドールに王位継承権を与えたのである。この異例の措置に王宮は騒然となった。すでに3人の王太子がいて王位を巡り争っている。臣下達も、どの王子につけば自分の利になるかと探りあっている。反目しあう王子達、前王妃を支持する派閥と現王妃を支持する派閥が生まれ、欲望と陰謀が渦巻き殺伐とした空気の漂う王宮に、更なる争いの種が沸いてしまったのである。テオドール王子の誕生を歓迎する者はほとんどいなかった。リチャードは「競う事は己を磨く事に繋がる」と言う。だが、リチャードのエレナへの度を越えた寵愛が招いた事態である事は周知の事実であった。
ある日、テオドールの子守を任されたアッシュはゆりかごで眠るテオドールを見つめていた。生まれた事を歓迎されないなんて事があっていいはずがないとアッシュは憤りを感じていた。せめて自分はテオドールの誕生を祝おうと、眠るテオドールの小さな手をそっと包む。その時、テオドールがふいに目を覚ました。起こしてしまったかと慌てて手を引っ込めようとしたアッシュだったが、テオドールはアッシュの指を握って嬉しそうに笑ったのだ。自分の境遇を悟っていたのか、エレナ以外の人間に笑った事などなかったのに。この瞬間、アッシュはテオドールを守り、テオドールだけの侍従になると誓ったのだった。

アッシュは父のジョルジュに今日のテオドールの講義内容を報告する。リチャードの侍従兼副官であるジョルジュは、現在の王宮の状況に頭を痛めていた。アッシュの報告を聞くとジョルジュは深く頷きアッシュの肩に手をかけた。
「これから王宮は更に揺れる。私も王位に相応しいのはテオドール王子だと考えている。だが私がテオドール王子に肩入れすれば王宮はもっと混乱するだろう。アッシュ、お前がテオドール王子を守ってやるんだ。」
「もちろんです。父さん。」
ジョルジュの言葉にアッシュは真摯な眼差しで頷いたのだった。

「王宮は更に揺れる」という父の言葉は、近い内に現実のものになるだろうとアッシュは感じていた。

                       To be continued……


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