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10.王と王妃


 失踪したギルフォードが残した告発文書は王宮内に大きな衝撃を呼ぶ。故人であるマルグリットの尊厳を守るため厳重な緘口令が敷かれ、ギルフォード失踪の真相を民衆が知る事は無かった。王位継承権第一位はテオドールに引き継がれ、テオドールの成人を待って即位の儀式が行われる事になった。そして、テオドールはルクレチア姫を自分の妃にと望み、二人の婚姻の儀も同時に行われる事が決まった。少しずつ政務に携わるようになったテオドールは書類をめくる手を止め浮かない顔をする。
「どうされたのですか?」
アッシュの問いにテオドールはため息を吐いた。
「僕は、結局何もしていない。兄上達を傷付けただけだ。」
テオドールの表情にアッシュは痛ましげな目を向ける。テオドール自身もたくさん傷付いてきたというのに。妾腹の王子と蔑まれ、背を向けていた王宮の問題に飛び込むと決めたテオドールの涙をアッシュは忘れられない。憂い顔のテオドールにアッシュは言葉を選びながら答える。
「そんな事はありません。イザベラ様が憎悪の闇から解き放たれ、レオンハルト様とアンドリュー様に愛情を向けられるようになったのはテオドール様がなさった事の結果です。一時の痛みはあるでしょうが、今のイザベラ様達なら大丈夫でしょう。それに戦に終止符を打ちギルフォード様のお命を救ったのもテオドール様、あなたです。ダリウス殿がした事は、テオドール様が気に病む事ではありません。」
「それは、そうなんだけどさ。」
尚も憂い顔のテオドールに、彼と共に政務とこの国について学ぶルクレチアは真摯な眼差しを向ける。
「何かを手に入れようとする時には、引き換えに何かを失うものです。目指すものが大きければ大きい程、失うものも大きくなります。テオドール王子が手に入れた王位は、王子にとってだけでなく、王宮にとってこの国にとって、とても大きなものです。平穏無事に王位を継ぐ事が一番ではありますけど、この一連の出来事は国にとって必要な喪失であり痛みだったのだと思います。」
「痛み無しには得られない、か。」
ぽつりと呟いたテオドールは苦笑交じりにアッシュとルクレチアを見つめる。
「責任重大だな、王様って。」
冗談めかしたその口調にアッシュは安堵の笑みを漏らした。大仰な仕草で頷き芝居がかった口調でテオドールの言葉に応える。
「一国を背負うのですから、責任は重大です。しかしテオドール様なら、その大きな責任を背負うに相応しい器を持っていらっしゃると私は確信しておりました。」
「私も、テオドール王子と共にあの騒乱の中を駆け抜けて確信しました。王子なら、この国を良い方向へ導けると。」
「二人ともそんな大袈裟な……。」
視線を交わして笑うアッシュとルクレチアにテオドールはげんなりした顔をしてみせる。だがすぐに表情を引き締め、真っ直ぐに二人を見据えた。
「でも、二人がそう言ってくれるのは大きな力になる。ありがとう。」
望んで手に入れた王位だ。始まりは非業の死を遂げた母の為でありテオドールも大きなものを失っている。だが、得たものも失わずに済んだものも大きい。目の前の二人はその最たるものだ。自分が王になったら、二人を悲しませる事は絶対にあってはならない。そして何より、戦や王宮内のいざこざで不安な思いをさせた民衆が安心して暮らせる国を作らねばならない。王宮内にはまだテオドールの即位を快く思わない者もいる。問題は山積みだが、テオドールは一人ではない。多くの痛みを経験し喪失を目の当たりにしたテオドールは、せめて自分が王である間は誰にもそんな想いをさせないと密かに誓った。

 数年後。テオドールの成人を祝い、同時に行われる即位の儀式とルクレチアとの婚姻の儀に国中が沸いた。その日、朝から慌ただしい王宮を見渡しながらテオドールは思いを巡らせる。自分の為にこれだけの人が動くのだ。それは国王の責任をテオドールに改めて突きつける。そして婚姻の衣装に身を包んでテオドールを待っているだろうルクレチアに想いを寄せた。戴冠式を済ませた後、すぐに婚姻の儀に移る段取りになっている。兄王子ギルフォードの正妃として招かれたルクレチアは、ギルフォードが失踪しテオドールに王位継承権が移った時に故国へ帰されるはずだった。だが内乱の静定に尽力してくれたルクレチアを、何より密かに想いを寄せた彼女を失いたくなかった。政略結婚でやってきたルクレチアを幸せにしたかった。テオドールがルクレチアを自分の妃にと申し出た時の嬉しそうな表情が目に焼き付いている。テオドールを支えこの王国の為に尽くすと誓ってくれたルクレチアは婚姻の儀を控え、何を想っているだろう。準備が整ったと告げに来たアッシュに頷きテオドールは立ち上がった。大事な儀式を前に、浮足立ってはいけない。平穏無事に儀式が済むとは限らないだろう。アッシュの先導のもと式典が催される神殿へ向かう。戴冠式は民衆の前で行われる事になっており、王宮近くにある祭事用の神殿前にはテオドールの即位と婚姻を祝うべく大勢の民衆が詰めかけていた。リチャードとテオドールが神殿内に姿を現すと大きな歓声が沸き起こる。宮廷楽師達が荘厳な旋律を奏でると、神殿奥から長いローブを身にまとい顔を隠した神官が現れた。儀式用の豪奢な王冠を乗せた台を掲げ俯き加減にしずしずとテオドール達の前に歩み寄り、恭しい手つきでリチャードに王冠を差し出す神官にテオドールは不審感を抱く。事前に聞いた段取りでは王冠を持ってくるのは神官ではなく文官だ。段取りが変わったならそれがどんなに些細な事でも報告があるはず。王冠をリチャードへ渡した神官は一礼してテオドールの背後に下がった。リチャードを見ると特に不審がっている様子は無く、神官から受け取った王冠を手にテオドールへ視線を移す。その表情はやっと肩の荷が下りるという安堵に満ちていてテオドールを落胆させた。大部分はリチャード自身が招いた荷だという事が解っていないのだろうか。苛立ちを感じながらもテオドールは真っ直ぐにリチャードを見返す。テオドールの即位をリチャードが宣言し王冠を授けようとした時、背後から低い叫び声が響いた。前列の民衆から悲鳴があがる。警戒していたテオドールは動じる事無く攻撃をかわし、たたらを踏んだ襲撃者に軽く足払いをかけた。ローブがはだけ神官の顔が露わになる。
「やっぱりお前か、ダリウス。」
「王になるのは私だ!」
ダリウスが手を伸ばし拾おうとしたナイフをテオドールは足で払い除けた。尚も叫び立ち上がろうとしたダリウスは民衆の最前列から飛び出してきた人影に捕えられる。
「邪魔をするな!」
「愚か者。今は無くともこの大地はイザベラ様が生まれ育った地。これ以上無駄な血は流させない。」
「バーナード殿、ありがとうございます。ご無事だったのですね。」
「テオドール様! ご無事ですか?」
「あぁ、僕は大丈夫。こいつを地下牢へ。」
駆け寄ってきたアッシュにダリウスを連行するよう告げると、テオドールはダリウスを捕らえたバーナードを見つめた。礼を述べたテオドールにバーナードは静かに首を振る。
「私は罪人、礼を言われる資格はありません。」
「なら何故ここへ?」
テオドールの問いにバーナードは跪き頭を垂れた。
「逃げ続けていてはいけないと、私も裁きを受けねばなるまいと戻ってまいりました。」
「でも、貴方は利用されていただけなのでは? 命令に背けば貴方は危険に晒されたのではないですか?」
「いえ。私は自分の保身をあの方への想いにすり替えただけなのです。」
バーナードの言葉にテオドールは頷くと、狼狽えるばかりのリチャードに視線を移す。
「彼の処遇は私に任せて頂けるでしょうか?」
「おぉ、もちろんだとも。存分に考え措置をとるが良い。」
あからさまな安堵を見せるリチャードにげんなりしながらテオドールは軽く頷く。兵士に従いバーナードが神殿奥へ姿を消すとリチャードはざわめく民衆を見渡し心配げに眉を寄せた。
「今日は儀式を取り止めた方が良かろう。こんな騒ぎが起きては縁起が悪い。」
「いえ、続けましょう。私はこんな事には屈しないと知らしめるいい機会です。」
毅然としてテオドールはリチャードを見据える。この日の為に大勢の人達が準備を進めてきた。テオドール自身も今日の為にこれまで歩んできたのだ。テオドールは不安げに見つめる民衆に深々と一礼する。
「お騒がせして申し訳ない。私はこの通り無事、賊も捕えました。このようなやり方で王位を狙う輩に国は渡さない。無為な戦も権力争いも終わらせる。この国に生きる全ての人達が憂いの無い暮らしを送れるよう力を尽くします。」
不意に語られたテオドールの決意に民衆は歓喜の声を上げた。それはさざ波のように広まりやがて神殿を揺るがす程の大歓声に変わる。これ程までに民衆は不安がっていたのだとテオドールは改めて感じた。テオドールの強い眼差しにリチャードも表情を引き締める。
「そなたの覚悟、しかと受け止めた。テオドールよ、そなたの即位をここに認める。」
恭しく跪きリチャードから王冠を授かったテオドールに、民衆から再び大きな歓声が上がった。立ち上がって手を振りそれに応えるテオドール。しばらくして宮廷楽師の奏でる音楽が荘厳なものから華やかなものに変わる。ジョルジュがルクレチアを伴って神殿に現れると、更に大きな喜びの声が上がる。緊張にこわばっていたテオドールの表情がほどけ、ルクレチアとはにかんだ笑みを交わす。初々しい王と王妃の姿に誰もが祝福の声を上げた。婚姻の儀の後の宴は夜明けまで続いた。

テオドールの治世は平和で潤った時代であり、代々の王の手本になったという。

後の世の人々は語る。復讐と陰謀と、愛を渇望した人々が織りなした某国王宮の人間模様を。


                               END

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