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9.噂好きの侍女たち


 王宮の食料庫や衣裳部屋で掃除や管理を行う侍女たちのもっぱらの話題は、講和条約締結により終わりを向かえた戦の事だった。
「ねぇ、知ってる? 先の戦で一番活躍されたのはテオドール様だって話。」
「知ってるわよ! あの査問会の後戦場へ駆けつけて重症を負ったギルフォード様を救出されたんでしょう?」
「その後隣国の王子様と面会なさって講和を持ちかけたんですって。」
「イザベラ様とダリウス様の陰謀を暴いたのもテオドール様?」
「そうそう、そうなのよ! それでね……」
てきぱきと手を動かしながらも、噂好きの侍女たちはお喋りに暇が無い。

 夜も更ける頃、戦場へ辿り着いたテオドールはギルフォードの姿が見えないと兵達が不審がるのを聞いた。手遅れだったかと焦りながら陣営の中を駆け回る。イザベラの計画通りに事が遂行されるのであれば戦場に放置される事は無いだろう。ギルフォードは必ずここにいるはずだ。間に合ってくれと祈るテオドールは悲嘆に暮れた様子で立ち尽くすバーナードの姿を見つけた。
「バーナード殿! 兄上はどこです。」
「テオドール様!? 何故こんな所にいらっしゃるのです?」
「それは後で。兄上に話があるんです。」
「ギルフォード様は今……。お話なら私が。」
バーナードは言葉を濁し狼狽する。間に合わなかったのか。テオドールは険しい顔でバーナードに詰め寄った。
「兄上に直接伝えなきゃいけないんだ! それとも、もうあなたはイザベラ様の命令を実行してしまったのですか?」
目を見開きバーナードはテオドールを見下ろす。
「何故、それを。」
「イザベラ様の陰謀が発覚しました。イザベラ様は失脚、ダリウス殿は行方を眩ましていますが国賊として手配書が出ています。もう彼らの陰謀を進める必要はありません。兄上は無事なのですか?」
無言でバーナードは視線を上げた。それを追いテオドールも顔を上げる。視線の先には小さなテントがあった。予備の武具や食料、薬などを保管するためのものだ。テオドールはテントに駆け込み叫ぶ。
「兄上! ご無事ですか!?」
薄暗いテントの中から微かな呻き声が聞こえる。積まれた荷の間にうずくまる人影が見えた。腹部を血で染め苦悶の表情を浮かべたギルフォードだった。テオドールが駆け寄るとギルフォードは苦しげな顔の上に嫌悪を浮かべる。
「何で、貴様がここにいる。」
傷を確認し手当てをしようとしたテオドールの手をギルフォードは力無く払いのける。
「余計な事をするな。貴様の助けなどいらん。」
「黙ってて下さい。兄上の為だけではありません。」
苦しげな息をするギルフォードはそれ以上抵抗せずテオドールの手当てを受けているが、その表情から悔しさが窺える。構わずテオドールは薬を探し出し応急処置を施した。急所を外れていたのはバーナードの心の現れか。だが一命を取り留めたものの失血が酷く、一刻も早く城できちんとした手当てを受けなければいけない。テオドールは背後で立ち尽くすバーナードを振り返った。
「兄上を城へ連れて行きます。何人か兵を貸してもらえますか。」
バーナードは逡巡し、やがて静かに首を振った。
「ギルフォード様は私が連れて戻ります。テオドール様は戦を終わらせて下さい。」
「何を言い出すのです。僕には戦の知識などありません。」
「戦う必要はありません。あちらの総大将である王子を探し、イザベラ様とあちらの王妃の陰謀を伝えて下さい。この書簡がその証拠です。そして講和条約を持ちかけるのです。」
「講和条約?」
「えぇ。もう誰にとってもこの戦は無意味です。これ以上の犠牲が出ないうちに終わらせなくてはなりません。それが出来るのは、王子であるあなたです。陰謀に加担した罪人の私には無理だ。」
テオドールはじっとバーナードを見据える。
「逃げるのですか?」
「そうかもしれません。」
悲しげに目を伏せたバーナードはそれ以上口を開かない。議論している暇は無かった。
「わかりました。兄上をお願いします。必ずこの戦を無事に終わらせて僕もすぐに戻ります。」

 長きに渡る戦が終わり、隣国との講和条約の締結に国中が沸いた。そして両国間の和平に貢献したテオドールの活躍ぶりが、事実から根も葉もない噂話まで広く人々の間で語られる。次期国王にはテオドールこそ相応しいのではないかという声も上がった。人々の賞賛を浴びるテオドールだったが、それに応える気にはなれなかった。ギルフォードの傷は癒えず、ダリウスは未だ行方が知れない。ギルフォードを連れ城へ戻ったバーナードも行方を眩ましてしまったという。イザベラやダリウスに与していた臣下達がリチャードとギルフォード、テオドールの勢力図を窺っているのが見受けられる。イザベラ達が失脚したのを見ても尚、自身の保身と出世のみを考える者がいる事にテオドールはため息を吐いた。戦が終わったばかりでまだ問題は山積み、こんな時こそまず民の事を考えなければならないはずなのに。それともそんな自分の考えは甘いのだろうか。ギルフォードとも話をしたいと考えているが、テオドールに助けられた事とテオドールの評価が上がっている事に相当腹を立てているらしく会う事は出来なかった。婚約者のルクレチアとも顔を合わせようとしない。イザベラとダリウスの件についてはリチャードからギルフォードへ伝えられたが、全く興味を抱いていない様子だったという。誰も彼も自分の事しか考えていないとテオドールは嘆く。王宮ではギルフォードの回復を待つと共に、王位継承の式典とルクレチアとの婚姻の準備が進められていた。今のテオドールに出来る事は、王位を継ぐギルフォードを支える事だ。一体どうしたらギルフォードと話ができるだろう。そんな事を考えながら廊下を歩いていたある日の夜、ギルフォードが辺りを窺いながらゆっくりと歩いて来るのが見えた。ふらつきながら歩く姿は震えているようにも見える。倒れかけたギルフォードにテオドールは思わず駆け寄った。
「兄上! 大丈夫ですか!?」
「うるせぇ! 失せろ!」
険しい表情と怒声に思わずテオドールの足が止まる。ギルフォードはテオドールを睨み言い放った。
「そんなに欲しいなら王位なんぞくれてやる!」
「何の話ですか。」
唐突なギルフォードの言葉にテオドールは困惑する。怒りに満ちた形相のままギルフォードは言葉を続けた。
「貴様がダリウスと組んであんなデマを仕組んだろう。」
「僕にはダリウス殿と手を組む理由がありません。何があったのです? デマとは何の事ですか?」
忌々しげに唇を歪めギルフォードはテオドールを見据える。
「ダリウスに『王位継承に関わる大事な話がある』と呼び出された。父上も知らない事だから内密で話したいと言うから行ってみれば、俺はリチャードの子では無く自分の子だと抜かしやがった。この事を公表されたくなかったら自分に掛けられた嫌疑と罷免を解けと言ってきた。」
「そんなバカな……!」
「あぁ、俺も馬鹿げた戯言だと思ったさ。けどあいつは母上の日記を持っていた。あいつは母上に言い寄って、あろうことか、母上を……。」
言葉にならないギルフォードの怒りと悲しみに満ちた声にテオドールも言葉を失う。震えながらギルフォードは話し続けた。
「その日記だけじゃ俺の出生を証明できないと言ったら、噂さえ立てば充分だと言って笑いやがった。」
「ダリウスの要求を呑むのですか?」
「そんなわけないだろう。この事を父上に報告する。俺が誰の子であろうと、あいつが母上に手を出した事は間違いない。臣下が正妃に手を出すなんて絶対に許されない。何よりも母上を傷つけたあいつを許すわけにいかない。その罪に相応しい罰を下してやる!」
「でも、そんな事をしたら兄上は……。」
「俺に弟などいない。」
「兄上!」
「俺とお前は血なんか繋がってないかも知れないんだ。軽々しく呼ぶな。」
唇を曲げギルフォードは自嘲する。
「側室の子とはいえ国王を父に持つ正統な王子様に、兄だなんて呼ばれる資格が俺にあるのかねぇ。」
拳を震わせながら背を向けたギルフォードにテオドールは叫ぶ。
「それでも貴方はマルグリット妃を母に持ち、父上に王位継承権一位を与えられた王子です! 僕の兄上です!」
「下らない事言ってんじゃねぇよ。」
背を向けたまま震える声で吐き捨てるように呟くと、壁伝いにふらふらとギルフォードは歩き出す。その背に手を貸す事は出来なかった。

翌日。ダリウスの罪を告発する文書を残し、ギルフォードの姿は城から消えた。


分かち合えないままの別離。
傷を負い城を去った兄王子達を想い、テオドールは決意を新たにするのだった。


              To Be Continued……


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