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『祈りの届く場所〜ある英雄譚の片隅で〜』

第11話『この子を天国から呼びもどすお祈りをして下さい。』

 ミオード達を見送ってから数日。礼拝に祈祷、悩みを相談に来る人々も絶えない。たとえ魔王がいなくても、自分の役割は変わらないのだと実感する。そんないつも通りの日々を過ごしていたある日、幼い男の子が神父を訪ねてきた。両腕に布で包んだ何かを大事そうに抱えている。親に連れられて礼拝に来る子供は多くいるが、子供が1人でしかも神父を直接訪ねてくるのは珍しい。依頼されていた行商人の旅の祈祷を終え、礼拝堂で待たせていた子供に声をかける。
「お待たせしてすみません。私にご用事ですか?」
子供に視線を合わせてしゃがみ神父は微笑みかけた。子供は慌てて椅子から立ち上がり丁寧にお辞儀をする。
「いそがしいのにごめんなさい。ぼくはこの近くに住んでるアーニュといいます。神父さまにお願いがあってきました。」
「お願いとはなんでしょうか?」
傍らに置いていた包みを解くと、アーニュは真剣な眼差しで神父を見つめた。
「この子を天国から呼びもどすお祈りをして下さい。」
「天国から呼びもどすお祈り?」
解かれた包みに視線を移すと、茶色い大きな犬の姿があった。アーニュが撫でてもぴくりとも動かない。この子を呼びもどすお祈りとはどういう事なのだろうか。困惑する神父にアーニュは必死に言葉を続ける。
「この子はぼくの家族でジェイっていいます。朝起きたら動かなくなっていたんです。お父さんは『ジェイは生命をまっとうして天国へ行ったんだ』って言いました。ジェイはぼくが生まれた時からずっと一緒にいる大事な家族なんです。天国ってお空の上にあるんですよね? お父さんに聞いたら、ぼくはまだ天国には行けないし、天国に行ったらもう戻って来られないんだって言われちゃいました。もうジェイと遊べないなんてそんなのイヤです。でも、お父さんにもお母さんにもどうにもできないんだって。だけど、みんなのケガや病気を治したり旅の安全をまもってくたり、奇跡を起こせる神父さまなら、天国へ行ったジェイを呼びもどせるんじゃないかって思ったんです。お願いです、神父さま。ジェイを天国から呼びもどして下さい!」
真っ直ぐなアーニュの眼差しにどうしたものかと考える。ジェイを観察すると、茶色い毛並みに白いものが混じっている。父親の『生命をまっとうした』という言葉から察するに老衰なのだろう。死を理解し受け入れるにはアーニュはまだ幼いだろうか。すがるような眼差しに胸が痛む。だが変に期待を持たせたり、ごまかしたりするのは良くないだろう。神父は慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「アーニュ、よく聞いて下さい。皆さんの怪我や病気が治ったのは、お祈りや薬草の力だけではなく、『治りたい』という皆さん自身の強い気持ちによるものです。旅の安全も、旅人自身が危険な目に遭わないよう気を付ける事が絶対に必要です。つまり、私にできるのは悪い事が起きませんようにと神々に祈る事と、気持ちを強く持てるように皆さんを手助けする事だけなのです。」
言葉を切りアーニュを見つめると、神父の言葉を理解しようと真摯な眼差しを向けている。彼を傷つけずに事実を受け入れさせるには、どう語るべきか。考えを巡らせながら話を続けた。
「生命には必ず終わりがあります。お父様が仰った『天国』というのは、生命を終えたものが向かう場所です。」
「そうしたら、どうなっちゃうの?」
悲し気な顔で問うアーニュに神父は微笑んだ。
「天国へ行って、そこから大切な人達を見守っているのです。ですから、そんな顔をしなくても大丈夫ですよ。」
「でも、もう会えないんでしょ? なでてあげたり、いっしょにお散歩したり遊んだりできないんでしょう?」
「そうですね、ふれあう事はできなくなります。けれど、アーニュがジェイを大切に想っている限り、彼はあなたの中で生き続けます。」
「ぼくの、中で?」
「えぇ。心は自由です。あなた方の絆を邪魔するものはありません。ジェイが生きた時間を、一緒に過ごした思い出を、忘れないであげてください。アーニュが忘れない限り、ジェイはあなたを見守っていますから。それが、あなたの中で生き続けるという事なのです。」
アーニュはこぼれ落ちた涙を拭って神父を見上げた。
「ぼく、忘れないよ。ジェイの事、ぜったいに忘れない。」
「えぇ。ジェイが天国であなたを心配しないように、元気に笑っていて下さいね。」
「はい、ありがとうございます。神父さま。」
涙を拭ってアーニュが立ち上がった時、礼拝堂の入り口から焦りと安堵の入り混じった声が響いた。
「アーニュ、ここにいたのか。急にいなくなるから心配したじゃないか。神父様、息子がご迷惑をおかけして申し訳ありません。」
「お父さん。ごめんなさい。」
しきりに頭を下げる父親に神父は微笑んでみせた。
「迷惑だなんて事はありませんよ。悲しみを癒すのも私の役目ですから。」
布に包み直したジェイの亡骸を大事そうに抱えるアーニュに微笑み、神父は父親に視線を移す。
「どうぞ息子さんのお気持ちを、大事にしてあげて下さい。」
「えぇ。息子の話を聞いて頂き、どうもありがとうございました。」
「ありがとうございました、神父様。」
何度もお辞儀をして教会を後にした親子を見送る。死について話しながら、神父の脳裏には魔王を討つまで死ねないミオードの事がよぎっていた。過酷な運命を受け入れた彼の無事を改めて祈る。そしてすべての生命が安らかであるようにと、神父は天を見上げ祈った。


第11話・終


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