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『役者失格』 解決編



村野に礼を言い、屋敷へ戻る桐生を堤は慌てて追いかける。
「ちょっと待って下さいよ! どうして遠野先生が犯人なんですか!?」
桐生は堤を振り返り一瞬悲しげな表情を見せた。
「それは、本人に聞いてみればわかる。」
桐生達が再び屋敷に入った時、遠野は居間で寛いでいた。酒井は2人を居間に通す。
「度々申し訳ありません。もう一つ、伺いたい事がありました。」
遠野は湯飲みを置き桐生を見上げる。
「何ですかな?」
「圭介さんは生命保険会社の人物と会っていたようなんですがご存知でしたか?」
遠野はゆっくりと首を振った。
「いや、知りませんでしたな。」
桐生は先程の名刺を取り出す。
「そうですか。圭介さんのポケットからこれと毒物の入った瓶が見つかりました。どうして圭介さんがこんな物を持っていたのでしょう?」
「さぁ。毒ですか? 借金が返せなくて死のうとでも考えたんじゃないですかな。」
「圭介さんは借金を苦に自害するような人物でしょうか。失礼ながらお話を伺う限り圭介さんはそういう人物とは思えません。それに保険は圭介さんではなく遠野さん、あなたに掛けられていました。」
桐生は遠野を見据え言葉を続ける。
「借金を抱えた圭介さんは自分を受取人にして遠野さんに多額の生命保険を掛けました。保険金を借金の返済に充てるつもりでね。」
遠野は桐生を見返す。
「何が言いたいんですかな?」
険しい表情になる遠野に桐生は言葉を続ける。
「圭介さんは毒物を入手しました。遠野さんを殺害して保険金を得ようとしたのではないでしょうか? そして遠野さんは圭介さんを問い詰め口論になり、揉み合う内に殺害してしまった。」
「憶測でものを言うのは止めてくれんかな。」
「これらには遠野さん、あなたの指紋も残っていました。本当にご存知ないのですか?」
「何だかわからずに触った物をあいつがまた持っていたのだろう。そんな事で犯人にされてはたまりませんな。」
桐生は落ち着いた表情で言葉を続ける。
「圭介さんを殺してしまったあなたは裏庭から窓ガラスを割り、外からの侵入者の犯行に見せかけようとした。」
堤が口を挟む。
「でも桐生さん、足跡は2人分ありましたよ。」
桐生は堤の言葉を遮る。
「ここには2人の人物がいる。酒井さんも協力したんだろう。あの部屋を思い出してみろよ。綺麗に掃除されて土埃一つ落ちてなかった。窓の下には足跡が残ってるにも関わらずだ。窓を破っておきながら靴を脱ぐ侵入者なんていないだろ。」
桐生は遠野に視線を戻す。
「部屋を荒らして金品を隠し外部犯の犯行に見せ掛けた後は、酒井さんが発見したように通報すればいい。自分は足が悪いと言えば、捜査の目は外部犯に向くと考えたのでしょう。」
「憶測に過ぎん。私は階段を上がるのに人の手を借りなきゃならん。そんな人間がどうして2階にいる圭介を殺せると言うのだ。」
「私です! 私がやったんです!」
それまで黙って遠野の後ろに立っていた酒井が悲痛な声を上げた。涙を滲ませ言葉を続ける。
「仰る通り、圭介さんは先生を殺して保険金を得ようとしていたんです。これまでにもお金をせびって断られては暴言を吐いて……。怖い人達は押しかけてくるし許せなかったんです。私がやったんです。先生ではありません!」
ハンカチを取り出し酒井は涙を拭う。それを見つめながら桐生はゆっくり首を振った。
「尊敬する先生を庇いたいお気持ちはわかりますが、酒井さんは犯人ではありません。」
桐生は静かに言葉を続ける。
「検死の結果、圭介さんの傷は右向きに出来ている事がわかりました。犯人は左利きの可能性があります。酒井さんは右利きですね。先程の電話も右手で取っておられた。」
ハンカチを握り締めた酒井の右手を指差し桐生は言葉を続ける。
「何よりも現場を見て頂いた時、あなたは遠野さんを支えて階段を上がるのに大変苦労されていましたね。そんな酒井さんに大柄な圭介さんと激しく格闘した上に刺し殺すなんて事は出来ません。」
酒井は静かに涙を零す。遠野は酒井を見つめ悲しげな顔をすると桐生に向き直った。
「ここには犯人はおらん。早く捜査にかかった方がいいのではないかね?」
桐生は冷静に言葉を続けた。
「それからこれを見て下さい。」
ポケットから写真を取り出す。被害者の手のひらのアップだ。
「これは圭介さんの手です。強く何かを握ってその模様が痕になって残ってしまったものです。」
遠野はちらりと写真を見遣ると口を開く。
「これがどうかしたのかね?」
桐生は遠野の杖を指差した。
「この痕は遠野さんの杖の梅の花の模様とそっくりなんです。遠野さんと揉み合った時に圭介さんが握ったんでしょう。」
桐生は遠野を見据える。
「何故遠野さんの杖の模様が圭介さんの手のひらに残ったのでしょう?」
遠野は答えない。桐生は言葉を続けた。
「遠野さん、堤がその杖に触れようとした時激しく拒絶されましたね。そして圭介さんの手に残った杖の痕。恐らく、その杖が凶器なのではないですか?」
堤は更に困惑した様子で口を開いた。
「杖が凶器ってどういう事ですか? 凶器は細長い刃物ですよ?」
遠野を見据えたまま桐生は言葉を続けた。
「その杖、仕込み杖なのではないでしょうか?」
堤は呆然と呟く。
「仕込み杖……?」
「そう、刀を仕込んである杖だ。それを持って圭介さんの部屋へ行って、そして……。」
遠野は桐生の言葉を遮った。
「いい加減にしてくれないかね。私は足が不自由だと言っている。」
桐生は落ち着いた表情で答える。
「それは演技です。遠野さんはずっと左手に杖を持って歩いていました。書斎でも椅子の左に杖を置いていましたね。事故で負傷したのは右足です。交通課の記録にも残っています。」
堤は混乱した表情で桐生を見上げる。
「だって先生は左利きです。桐生さんも聞いたじゃないですか。」
堤の言葉が終わるや否や、桐生は堤の左足を思いっ切り踏みつけた。
「痛っ! 何するんですか!?」
「堤は右利きだよな? 左足を痛めた時お前はどっちの手に杖を持つ?」
「えっ? あっ……。」
じんじん痛む左足をさすりながら堤はようやく桐生の言わんとする事を理解した。
「信じたくない気持ちはわからんでもないけどな。」
遠野は黙って2人のやり取りを聞いている。遠野の左側に杖は置かれていた。桐生は遠野に視線を戻し言葉を続ける。
「右足を痛めているなら利き手に関わらず右手に杖を持ちます。本当は何ともないから習性で左手に杖を持ってしまったのでしょう。堤へサインをお願いしたのは遠野さんの利き手を確認するためでした。」
遠野は黙っている。
「遠野さん、足の悪い演技をしている左利きの人物。犯人はあなたです。」
桐生の言葉に遠野は諦めたような笑みを浮かべた。
「悪あがきは止めた方が良さそうですな。」
杖を手に取るとそっと柄を引き抜く。鈍く光る刀身が現れた。
「洗い流してしまいましたが調べればこれがあいつの命を奪った物だとわかるでしょう。」
丁重な手つきで桐生は杖を受け取る。遠野は長いため息をついた。
「数日前、酒井さんが圭介の部屋でその瓶と名刺を見つけましてな。知り合いの医者に調べてもらってそれが毒物だとわかりました。嫌な予感がしてその保険会社に問い合わせたら、あいつが自分を受取人にして私に保険をかけた事が判明しました。それで昨夜、帰宅したあいつの部屋へ行きました。この家から出て行かせよう、今度こそ甘い顔をしてはならんと。」
悲痛な表情で遠野は話し続ける。
「実の息子に殺されると、頭に血が上っていた私はその杖を手にしていたのです。こんな物を持っていけばどうなるかわかったはずなのに、私は冷静な思考を失っていました。そして問い詰めるとあいつはこう言ったんです。私が死ねば多額の保険金と遺産が入って来ると。出て行けといった私にあいつは襲い掛かってきました。杖しか持たない私に警戒する様子はありませんでした。揉み合う内に杖を抜いてあいつを刺していました。」
遠野は小さく首を振る。
「愚かな奴です。しかし私はもっと愚かだ。」
傍らですすり泣く酒井にすまないと告げると遠野は言葉を続けた。
「酒井さんが私を信頼してくれているのを利用してしまった。刑事さん、彼女は私の指示に従っただけ、彼女に罪は無い。罪は私1人にある。」
桐生は黙って遠野の話を聞いている。遠野は居間に活けられた梅の花に目をやった。
「梅は妻が好きだった花です。この花の彫刻があいつの手に残るとは……。空から妻が『愚かな事は止めろ』と言っていたのでしょうな。」
遠野は自分の左手に目を落とした。
「演技というのは難しいものですな。」
罪が暴かれ緊張が解けたのか、遠野は饒舌になり言葉を続ける。
「私の作品はいくつか映画化されましてな。撮影の現場を見学させてもらった事があるんです。頭で思い描いたものが実際の映像になった事にいたく感激しました。中でも殺陣の動きは素晴らしかった。斬られ役の役者の演技は真に迫るものでした。」
遠野は自嘲気味に笑う。
「頭で考えたものを実際に演じるのは難しい。圭介を殺してしまって恐ろしくなった私は自分の罪を隠そうとした。何が出てきても知らぬ存ぜぬを押し通し、事故に遭った事を利用して足の悪いふりを演じれば私が疑われる事はないと考えたが、そんな不自然な演技をしていたとは、私は役者として失格ですな。」
桐生は遠野の視線を受け止めた。
「息子さんを殺してしまった後です。それが普通ですよ。現実世界で演技などそうそう出来るものではありません。」
堤も口を開く。
「遠野先生はたくさんの人を惹き付ける偉大な作家です。何があってもこの事実は変わりません。」
酒井も顔を上げ遠野を見つめた。
「先生、お帰りをお待ちしています。」
「ありがとう。」
遠野は小さく微笑む。
「さて、では行きましょう。」
桐生に視線を移し遠野は立ち上がる。差し出された堤の手をそっと辞し、しっかりとした足取りで西日の射し始めた部屋を後にした。


                        劇終


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