「すまなかった。」
差し出された茶を受け取りアルバスは首を振る。
「いえ、かすり傷ですから大丈夫です。逆の立場なら、俺も同じ行動を取ったでしょう。」
アルバスが遭遇したのは、アルバスより年上の二人連れの男女だった。剣を振るった男性はドービスと名乗り、しきりに詫びながらアルバスに茶を入れた。サティーユと呼ばれた女性の目は左右違う色をしている。サティーユは申し訳なさそうな顔でそっとアルバスの手を取り、手をかざして腕に負った傷を治癒する。あっという間に塞がった傷を確かめ、サティーユもアルバスに深々と頭を下げた。あの時、必死に剣を振るうドービスの様子に、害意ではなく自分に対する恐れを感じたアルバスは、とっさに自分は神官ではないと叫んだのだ。その直感は当たり、アルバスの言葉に剣を下ろし訝しみながら松明をかざしたドービスに、アルバスは眼帯を外して見せた。左右異なる色をしたアルバスの目にはっとしたドービスは慌てて剣を納め、サティーユと暮らしているという森の奥の古びた小屋へアルバスを案内したのだった。
「オレ達はずっとここに隠れて暮らしている。サティーユはオレの幼馴染なんだが、この目の色のせいで神官に異端視されて、親にも捨てられたんだ。オレは異端審問の後、行方不明になった彼女を探し出して、神官共や他の人間から守って生きてきた。」
小さな座卓を囲んで座ると、話し始めたドービスにサティーユは悲し気な視線を向ける。口を開くが、微かに震えた唇からは苦しそうな吐息が漏れるだけだ。
「いいんだ、サティーユ。オレが勝手にそうするって決めたんだから。」
泣きそうな顔で首を振り更に何か言おうと息を吐くサティーユに、アルバスは恐る恐る問いかける。
「あの、サティーユさん、もしかして、声が……?」
どう言葉を続けていいかわからず口ごもったアルバスにサティーユは小さく頷き、ドービスが言葉を続ける。
「あぁ。神官共から異端審問された時におかしな水を飲まされた。10年ほど前、オレ達が君くらいの年の時だ。『聖水を飲んで何ともなければ人間だと認める』だとか抜かしやがって。その結果、サティーユは声が出なくなった。あれが聖水だなんて大嘘に決まってる。けど、まだガキだったオレには何もできなかった。」
「ひどい……。」
養父のエルセンも、神官の異端審問で無茶な要求をされた事を思い出す。あの時ロレウスと名乗る旅人が助けてくれなかったら、エルセンも同じような目に遭っていのだと思うと身震いする。悔しそうに唇を噛んだドービスは大きく息を吐きアルバスを見つめた。
「アルバス、といったか。君も神官共に追われているんだな。」
「えぇ。けど俺はまだ恵まれていました。自分の本当の姿が分かったのは最近の事です。」
雷を呼ぶ力を持ち追われていた実の父ジュレイドとの旅と別れ、養父エルセンとバーンレイツで暮らしていた日々、不思議な旅人ロレウスとの出逢いと、神官に反発していたエルセンが異端審問にかけられた事をきっかけに目と髪の色が変わり魔力を発揮した事、それからの旅をかいつまんで話すと、ドービスは苦々し気な顔で首を振った。
「バーンレイツの神官共は特に横暴だと聞いた事がある。大変な目に遭ったんだな。」
ふと何かに気付いたようにドービスは小さな声を上げる。
「バーンレイツに魔王が現れたという噂を聞いた。あれは君か、君が会ったロレウスっていう旅人の事か?」
「えぇ、その人が養父を助けてくれて、自分は魔王だと名乗りました。でもあの人は、俺達のような人を救って、誰もが脅かされない世界を作る為に旅をしていると言っていました。神話に語られるような邪悪な存在ではないと思います。」
他とは違う力や容姿を持った人が生命を狙われて身を潜め、神官や街の人達を恐れながら生きている。そんな世界は変えなきゃいけないと、アルバスは改めて思う。
「養父は、創世神話には矛盾があるといって調査していました。俺は神話の真実を探って、こんな世界を変えたいと思っています。」
「世界を変える、か。考えた事もなかったな。」
アルバスの言葉にドービスとサティーユは驚いたように顔を見合わせる。これまでそんな道を思い描く事すらできなかった。
「そんな事、可能なのか?」
「俺はこの旅で、神話の真相に少しだけ近づけた気がしています。旅を続けて、歪められた世界を正したい。」
「君は、強いな。」
「俺は運が良かっただけです。実の父や養父にも守られて生きていました。ずっと一人でサティーユさんを守って生きてきたドービスさんの方が、ずっと強いです。」
アルバスの言葉にドービスは悲し気に首を振った。
「オレは逃げていただけさ。神官や街の連中を憎んで、隠れて生きる、それだけだ。」
大きく首を振ったサティーユを制しドービスは言葉を続ける。
「サティーユが追われたり畏れられたりしないような世界を求めれば良かったんだ。だけど、できるわけないと考えもしなかった。」
アルバスを見据えドービスは言葉を続ける。
「アルバスならできるかもしれない、なんて無責任な発言だけど。サティーユしか見てないオレと違って、君は多くの人を救えるんじゃないかって気がする。」
ドービスの視線を受け止めアルバスは頷いた。
「最近はそれが俺の生まれた意味かもしれないなんて思ってます。それに、ドービスさんはサティーユさんを守る事が使命なんだと思います。人にはそれぞれ使命があって、その重要さに違いは無いんじゃないでしょうか。」
アルバスの言葉に嬉しそうにドービスは頷く。
「あぁ、きっとそうだ。」
茶を一口啜ってドービスは問いかけた。
「アルバスはこれからどうするんだ?」
「街道の先にあるエインメースに行ってみようと思います。バーンレイツに次いで古い街だというので、街やその周囲に神話の真相につながるものがあるかもしれません。」
「そうだな、あそこも大きな街だし、密かに神官に反抗する奴もいるって噂だ。何かわかるといいな。」
頷いたアルバスは、もしかしたらジュレイドもここを通ったかもしれないと思い立つ。街道から逸れた森に住んでいるドービス達が、ジュレイドを見かけた可能性もあるかもしれない。あるいは復讐に燃え決起したトーマ達、旅立ったであろうエルセン、「剣と魔法の腕を磨いて追って来い」と告げ去って行ったロレウス達は、ここを通っただろうか。この先で会えるだろうか。
「最近、この街道を通って行った人を見かけましたか?」
アルバスの問いにドービスは記憶を辿るように、視線を天井に向ける。
「うーん。俺達は時たま通る行商人と、薬草と物資を交換する以外あまり外に出ないし、薬草の採取に出るのも夜だから最近は誰も見てないな。だからアルバスを、俺達の居場所を嗅ぎつけた神官だと勘違いしたんだ。」
再びすまなかったと詫びてドービスは言葉を続ける。
「けど、シュロンの街の方からどこかへ行くならたいていはこの街道を通るはずだ。エインメースを目指して進めば、アルバスが探してる中の誰かには会えるかもしれないな。」
「そうですね。」
「今日はここでゆっくり休んでいってくれ。といっても、野宿よりマシって程度だけどな。」
「では、お言葉に甘えさせて頂きます。」
同じ境遇、同じ想いを抱えた人達。自分にはまだ知らない事がたくさんある。世界に真実として流布した神話の偽りを正し、誰もが脅かされない世界にする。決意を新たにアルバスは眠りについた。
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