2.侍従兼副官へ某国王宮の人間模様10題目次へ4.裏切り者の末裔へ

3.幽閉塔の佳人


 王宮の敷地の奥深く、背の高い針葉樹に囲まれた場所にその塔はあった。かつては流行り病にかかった王族の者を隔離するのに使っていたという、古い石造りの塔である。今は鉄製の門には鎖が張り巡らされ頑丈な鍵がかけられていた。国王リチャードといえど、その扉を開ける事は出来ない。
「エレナ……。すまない。儂が不甲斐ないばかりに……。」

王妃イザベラは苛立っていた。自分の息子を次期国王にし、自分が王太閤としてこの国に君臨する、それだけを生きる糧として王妃の座まで登りつめたのだ。あと少し、あと少しで悲願が叶うというのに、事態は思うように進まない。最も大きな障害は第一王子ギルフォードだ。前王妃マルグリットが産んだ王位継承権第一位を持つ王子。ギルフォードをどうにかして排除したなら、リチャードを早めに退位させレオンハルトかアンドリューのどちらかを王位につける。リチャードを退位させるには、あの塔に幽閉させた側室を使えばいいだろうと、イザベラは暗い笑みを浮かべた顔を窓の外へ向け針葉樹の陰に微かに見える尖塔を見つめる。14年前、側室の身分で王宮に部屋を与えられ、王宮中の妬みを浴びていたエレナ。イザベラは取るに足らない存在だと軽視していたが、リチャードがエレナとの子テオドールに王位継承権を与えた時、イザベラの目は変わった。顔を合わせる度に嫌味を言い、ナイフを忍ばせた花束を贈りつけ、食べ物には死なない程度の毒を、部屋には蛇や蠍を放った。数々の仕打ちにエレナが心身共に衰弱した頃、イザベラは幽閉塔へエレナを移す事をリチャードへ進言したのである。エレナを嫌がらせから守る為というイザベラの言葉を信じ、そして今尚エレナに想いを寄せるリチャードを愚かな男だと笑う。リチャードが退位したら、2人の息子のうち王になるのはどちらでもいいと、イザベラは中庭で剣技の訓練をしているレオンハルトとアンドリューを窓から見下ろす。イザベラにとって2人は、愛してもいない夫との息子であり自分が権力を握る為の道具でしかなかった。どちらかが王になり、成人前の王の後見人として自分が権力を得れば、王位争いに敗れた方と目障りな第四王子は排除すればいい。2人を競い憎み合わせる事で王位への執着を強めさせていた。
「リチャードとギルフォードは私が……。お前達は一刻も早く王になる事を目指しなさい。」

 深夜。
月明かりの中を早足に歩く人影があった。リチャードである。手には小さな鍵束を持っていた。幽閉塔の鍵がジョルジュの部屋に保管されていると聞き秘かに持ち出してきたのだった。それがイザベラの謀略とは露知らず、針葉樹と鉄柵に囲まれた塔の前に立つとリチャードは震える手で鍵を錠前に差し込む。何本目かの鍵を試した時、がちゃり、と重く乾いた音をたてて錠前が外れた。ほっと息をつき、リチャードは門にかけられた鎖を解く。軋む門を開け奥の塔へ進むと鉄製の扉の鍵も開けリチャードは塔内に足を踏み入れた。懐から燭台を取り出し手探りで蝋燭に火を灯す。塔は吹き抜けになっており、壁をつたうように作られた螺旋階段を上った尖塔付近に部屋がある。エレナがいるはずのそこまでは燭台の光は届かず、濃い闇に包まれていた。闇に目が慣れてくるのを待ち、リチャードは壁際の螺旋階段を上り始めた。息を切らし、時々立ち止まって呼吸を整えながら、長い螺旋階段を上っていく。震える膝を叱咤しながら足を進め、ようやく最上階の扉に辿り着いた。息を整え、扉をそっと叩く。
「……だれ?」
「儂だ、リチャードだ。」
エレナの声を聞きリチャードは思わず扉を大きく開けた。月明かりに照らされた部屋の窓際、粗末な寝台にエレナは腰掛けていた。風が吹き抜けエレナの髪を揺らす。王宮での暮らしに痩せこけ、故国では美姫と謳われた面影は残されていなかった。うつろな視線をリチャードに合わせると、エレナは身を硬くする。
「リチャード様、いけません。お帰り下さい。」
エレナの静止も聞かずリチャードは大股で歩み寄りエレナの手を掴む。
「エレナ、可哀想に。今すぐここから出してやるぞ。さぁ、城へ戻ろう。」
「嫌です、城へは戻りません。」
「何を言う、お前の部屋もまだそのままにおいてある。お前のいるべき場所は儂の元だ。」
「いけません、イザベラ様がお怒りになられます。」
エレナの言葉にリチャードは悲しげに首を振る。
「あいつは儂の事など想っておらん。あいつの心にあるのは権力への欲求のみ。儂の心を癒してくれるのはエレナ、お前だけだ。お前を苦しめるものは儂が許さん。だから、城へ戻ってくれ。」
「私を一番苦しめているのはリチャード様、あなたです。私を真に想って下さるのなら、私を国に帰して下さい!」
「それはいかん! お前を国に帰したら、お前の父王は我が国に攻め込んでくる! お前が我が下にいるからあの国を牽制できているのだ。」
その言葉にエレナは目を見開きリチャードの手を振り払った。
「あなたこそ、私の事など微塵も想ってはいないではありませんか!」
リチャードを思い切り突き飛ばすと、エレナは寝台の上に立ち上がる。
「私は自由です!」
そう叫ぶや否や、エレナは身を翻し窓の外へ飛び出した。白いコットンドレスの裾が夜風になびく。白い残像を後にエレナの姿は夜の闇に消えた。倒れたリチャードは何が起きたのかわからぬまま、エレナの消えた窓を呆然と眺めていた。

 翌日。
城内を包む重苦しい空気にテオドールは首を傾げた。喪服を着ているリチャード。黒いベールの下で薄く笑みを浮かべるイザベラ。ジョルジュやアッシュの自分を見つめる痛ましい表情。誰かが亡くなったということはわかったが、誰に聞いても亡くなった人物の事を教えてくれなかった。王族が亡くなったのなら、それが誰であれテオドールにも葬儀に出るよう指示が出るはずだ。だが、ジョルジュもアッシュも「決して部屋からお出にならないで下さい。」というだけだった。何かおかしい。テオドールは真相を突き止めようと部屋を出た。葬儀が行われている祭殿に向かう途中、仲の良い侍女のセーラが黒いリボンをかけた白薔薇の花束を運んでいるのを見つけた。テオドールの姿を見て、セーラはうろたえる。
「テ、テオドール様、今日はお部屋で休んでいらっしゃると……。」
セーラの言葉を遮りテオドールは問い掛ける。
「教えてくれ、セーラ。一体誰が亡くなったんだ?」
目を伏せたセーラの肩に手をかけテオドールは詰め寄る。
「頼む、教えてくれ! 王族が亡くなったのにどうして僕は葬儀に出られないんだ?」
テオドールの悲痛な声に、セーラは消え入りそうな声で告げた。
「……亡くなられたのは、第二王妃エレナ様。テオドール様の、お母様です。」
「な……!?」
言葉にならないテオドールに、セーラは目を伏せたまま言葉を続ける。
「エレナ様は、ずっと北の幽閉塔で暮らしておられました。昨夜、リチャード様がエレナ様を無理にお訪ねになられて……エレナ様は……。あぁ、これ以上はどうかお許し下さい。」
涙声になったセーラにテオドールはそっと手を離す。深々と頭を下げ、セーラは白薔薇を抱え走り去っていった。テオドールはじっとその場に立ち尽くしていた。

 その夜、明日の予定を告げに部屋を訪れたアッシュを見据え、テオドールは口を開いた。
「アッシュ、今日の葬儀は僕の母上のものだったんだね。」
テオドールの言葉にアッシュは「あれほどテオドール様には聞かせるなと言ったのに」と憤りながらゆっくりと頷いた。
「はい。黙っていて申し訳ありません。」
「謝らなくてもいいさ。僕がアッシュだったらやっぱり聞かせなかっただろう。」
アッシュの目を見つめテオドールは言葉を続ける。
「僕は、母上を苦しめた父上が憎い。そして恐らく母上の死に関わっているイザベラ様も。」
「テオドール様! 滅多な事を仰ってはなりません!」
慌てるアッシュにテオドールは冷静に告げる。
「僕は見たんだ。イザベラ様が喪服のベールの下で薄笑いを浮かべているのを。イザベラ様は母上を死に追いやって何か企んでいるはずだ。おそらく、兄上を王位に就けるための事だろうね。」
テオドールは大きく息を吐くとアッシュを見上げる。
「この国は歪んでる。誰もが民を省みず権力にうつつを抜かしている。権力争いなんかのために、力無い者が犠牲になるなんて事があっちゃいけない。」
「テオドール様……。」
「こんな事が二度と起きないように、僕に出来る事をしようと思う。アッシュ、力を貸してほしい。僕は、兄上達と争って王位を手にする。立派な王になって、この国を守る。僕は、アッシュと出会えたここが好きなんだ。いい国にしたい、僕やアッシュの子ども達が笑って平和に暮らせるような国にしたい。それが母上の霊魂を慰める事にもなると思う。強くなりたい。もう王家に生まれた事から逃げないよ。だから……だからっ……。」
言葉を詰まらせたテオドールの肩をアッシュはそっと抱いた。テオドールの目から涙が零れ落ちる。
「……だから、今夜だけは泣かせてくれよ……!」
「はい、存分にお泣き下さい。私はいつまでも側におります。テオドール様、共に参りましょう。」
テオドールはアッシュの身体に身を委ね泣きじゃくった。幼く力の無い自分、何も出来なかった自分と決別し、愛すべき人達の為に王位争いへ身を投じる決意を固める。アッシュもテオドールの想いを受け止め涙する。そしてテオドールを守るため全身全霊をかけようと誓ったのだった。

テオドールとアッシュの決意、リチャードの嘆き、イザベラの陰謀、様々な思いを包み夜は更けてゆく……。

                       To be continued……

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