4.裏切り者の末裔へ某国王宮の人間模様10題目次へ6.笑う道化師へ

5.王宮の生き字引

 歴史書の編纂をしていた文官のヘンリーは老眼鏡を外し大きくため息をついた。何の犠牲も払わずに大きくなった国などは存在しないだろう。だが、この半世紀ほどの国の歴史を振り返ると嘆息を漏らさずにはいられなかった。この国は血と裏切りにまみれている。そしてその歴史を正確に知る者はもうヘンリーのみとなっていた。
あの日。故国を裏切り武器と情報を流すため王に目通りを願った隣国の臣下オリバーを、ヘンリーは信用していなかった。だが、野心家な当時の王ロスターは隣国を攻め落とす事しか頭に無く、まだ成人したばかりだったヘンリーの言葉に耳を貸さなかった。オリバーの情報を元に隣国を攻め落とした後、ロスター王はあっさりとオリバーに討たれた。二重の裏切りを犯したオリバーはそのままこの国の玉座に就いたのである。表向きには、国を滅ぼされた臣下が復讐のためロスター王を討ったという事になっている。長く続く戦乱に疲弊していた国民は新たな王を受け入れ、中にはオリバーを英雄視する者さえいたほどだった。国民達が語るオリバーの英雄譚は尾ひれが付いて瞬く間に広まっていき、国民を味方につけたオリバーは、王宮内の敵対勢力を次々と抹殺しその権力を確かなものにしていったのである。そして歴史書にはオリバーが故国を裏切った事や、ロスターから玉座を簒奪した事、その後の独裁ぶりなどは書かれていない。オリバーの検閲があったからだ。オリバー亡き後も歴史書を書き換える事は許されなかった。だが、もういいだろうとヘンリーはペンを取る。記録は残っておらず自分の記憶だけが頼りだったが、後世の為に正確な歴史を記す事が、文官として仕え歴史を見てきた自分の役目だと感じていた。権力争いの歴史は終わらせなくてはならない。現在の王宮で起きている問題は、簒奪者オリバーに端を発しているように思えてならなかった。編纂を再開して暫く経った頃、ヘンリーの部屋の扉を荒々しくノックする音が響いた。ヘンリーの返事を待たず、訪問者は扉を開ける。
「これはこれはレオンハルト様。こんな所へ一体何用ですかな?」
険しい目をしたレオンハルトに、ヘンリーは手を止め微笑みかける。レオンハルトは表情を崩さずつかつかとヘンリーに近付いた。
「ヘンリー。どうすれば王になれるのか教えろ。」
レオンハルトの言葉にヘンリーは困ったような笑みを浮かべる。
「随分と性急なご質問ですな。」
「俺は真剣に聞いてるんだ。」
ヘンリーは小さく頷くとペンを置きレオンハルトを見上げる。
「リチャード様はまだご健在ですぞ。それに余程の事が無い限り次の王は第一王子ギルフォード様。王位は基本的には世襲制ですからな。」
基本的には、と強調しヘンリーは言葉を続ける。
「将来ギルフォード様とお妃様の間に王子がお生まれになれば、現状ですとその王子には王位継承権第五位が与えられます。」
「そんな事はどうでもいい! 俺はいつどうやったら王になれるんだ!」
ヘンリーの机に両手を叩きつけレオンハルトは叫ぶ。ヘンリーは立ち上がりレオンハルトを見つめた。
「方法はいくつかございます。一番真っ当な方法は、レオンハルト様がギルフォード様よりも王に相応しい力を身に付け、リチャード様から直々に次期国王に指名される事です。ですが、並大抵の努力では第一位の継承権を超える事は出来ませんぞ。それにギルフォード様も第一王子の肩書きに恥じない努力をされていますからな。」
「肩書きだなんて、生まれた順番が違うだけじゃないか!」
俺だって努力していると激昂するレオンハルトを宥め、ヘンリーは言葉を続ける。
「あるいは、ギルフォード様がご即位された後、第一位の継承権はレオンハルト様に受け継がれます。ギルフォード様が退位なさる際には、次の王はレオンハルト様……」
「そんな先まで待ってられるか! 俺はすぐにでも王になる方法を聞いている!」
レオンハルトの叫びにヘンリーは悲痛な眼差しを向ける。
「レオンハルト様は何故そんなにも性急に王位を望まれるのです?」
ヘンリーに真っ直ぐに見つめられレオンハルトは大きく息を吐いた。
「それが俺の、存在意義だからだ。」
レオンハルトは悲しげな目で俯く。
「母上は俺が王になる事を望んでいる。王になれないのなら、俺は生まれてきた意味が無い。」
レオンハルトの言葉にヘンリーはイザベラの顔を思い浮かべる。深く憎しみを秘めたイザベラの表情。記録が残っていないため、イザベラの出身は明らかにされていない。だが、リチャードがイザベラを正妃に迎えた時、ヘンリーは嫌な予感がしたのを覚えている。側室として仕えていながら、時折ぞっとするほど暗い眼差しをリチャードへ向けていたイザベラ。彼女は何を憎んでいるのかと考えた時、ヘンリーはある事に思い当たった。オリバーがかつて仕えていた城。ロスターに攻め落とされた後、王家の人間は処刑されたが、まだ幼かった事を理由に一人の姫だけが処刑を免れている。その後のクーデターで姫の消息はわからなくなってしまったが、もし生きていればイザベラくらいの年齢になっているはずだった。イザベラがあの時の姫なのだとしたら、今の王家は彼女にとって憎い仇以外の何者でもないのではないか。復讐の機会をずっと窺っていたとは考えられないだろうか。前王妃マルグリットとは何もかもが正反対なイザベラ。象徴としての王妃には納まらず権力を得ようとするイザベラに、何も知らないリチャードの心は離れていく。2人の間がすっかり冷め切っているのは誰が見ても明白だった。そして自分の息子達に向けるイザベラの冷たく憎しみのこもった眼差し。レオンハルトとアンドリューは、王になった者だけが母に愛されると信じているようだが、ヘンリーにはそうは思えなかった。しかしそれを、レオンハルト達に伝えるべきなのか。目を伏せたレオンハルトは小さく肩を震わせている。母の愛を得たいと願う少年に、そんな日は永久に来ないなどと、告げられるだろうか。出来るわけがないとヘンリーが小さく息をついた時、扉が荒々しくノックされた。ヘンリーの返事を待たず扉が勢いよく開けられる。部屋に飛び込んで来たのはアンドリューだった。レオンハルトがいるのに気付くとアンドリューは目を見開き飛びかかる。
「お前、何でここにいる!」
「貴様こそ何をしに来た!」
取っ組み合いを始めかけた2人をヘンリーは制しながら口を開く。
「アンドリュー様、いかがなさいましたか?」
掴まれた襟を正しながらアンドリューは息を整えヘンリーを見据える。
「母上が、前王妃を暗殺したというのは本当か?」
「貴様、何を言うかと思えば母上を侮辱するのか!」
「お二方ともお止め下さい!」
再び取っ組み合いを始めようとした2人を一喝しヘンリーはアンドリューを見つめた。
「どういう事ですかな?」
「女官達が話しているのを聞いた。母上は前王妃を暗殺して王妃の座に就いたのだと、父上を愛していたわけじゃなく、権力が欲しかっただけなのだと。それは本当の事なのか?」
軽々しくそのような話をすべきでないと城仕えの者達に改めて言い渡さなくてはと考えながら、ヘンリーはアンドリューを見つめる。
「マルグリット様が亡くなられた時、そのような疑惑が持ち上がったのは事実です。しかし、証拠は何もございません。あらゆる事のタイミングが重なった為に浮かんだ憶測に過ぎんのです。ただ……」
言葉を切りヘンリーは2人の王子を見据える。話せる範囲で真実を告げておこうと、もしかしたら何かが変わるかもしれないと、言葉を選びながら口を開く。
「イザベラ様が権力に執着しておられるのは確かです。そして何か深い憎しみに囚われていらっしゃるご様子。」
驚いた顔で2人はヘンリーを見返す。
「何だって?」
「母上は何を憎んでるって言うんだ?」
ヘンリーは小さく首を振る。
「それはイザベラ様のお心の中に閉ざされています。イザベラ様を憎しみの檻から解放して差し上げられるのは、レオンハルト様、アンドリュー様、お二人だけなのです。」
「そういえば……母上が笑っている所って見た事ないな。」
「俺もだ。母上はいつも怒った顔か悲しそうな顔をしている。」
2人は真剣な表情でヘンリーを見上げる。
「教えてくれ、ヘンリー。どうすれば母上の憎しみは取り除けるんだ。」
「どうしたら母上は笑ってくれるんだ。」
小さく頷いてヘンリーは2人を見つめる。
「お二人がイザベラ様を愛していらっしゃるなら、そしてイザベラ様のお心を知り幸せを願えば、おのずと道は見えてきましょう。」
2人は困惑した顔で口を開く。
「母上の心……母上の幸せ?」
「それは、俺かアンドリューが王になる事ではないのか?」
ヘンリーは困ったような顔で微笑み2人を見つめ返した。
「私にお話できるのはここまでです。私にもわからない事が多すぎますからな。」
「『王宮の生き字引』なんて呼ばれるヘンリーにわからない事があるのか。」
軽く揶揄するようなレオンハルトの口調にヘンリーは大げさに首を振ってみせる。
「女性のお心は、男にとって永遠の謎ですからな。」
ヘンリーの言葉にレオンハルトはニヤリと笑う。
「ヘンリーにさえわからない謎、俺が解いてやろうじゃないか。」
「母上の心を救うのは俺だ!」
アンドリューが叫び暫く睨みあっていた2人だが、やがてどちらからともなく目を逸らす。背を向けたレオンハルトはぽつりと呟いた。
「今まで俺が、俺達自身が母上をきちんと見ていなかったんだろうな。」
扉に向かったレオンハルトはアンドリューを振り返る。
「母上を幸せにするのは俺だ。」
アンドリューの反応を待たずレオンハルトは部屋を後にする。肩を震わせアンドリューは拳を握る。
「あんな奴に負けるか!」
扉へ向かい駆け出したアンドリューは、思い出したようにヘンリーを振り返る。
「そうだ、ヘンリー。女官達に下らない噂話なんかするなって言っとけよ!」
来た時と同様に荒々しく扉を閉めて行ったアンドリューにヘンリーはそっと笑う。2人の目は澄んでいた。これからまだ困難が続くだろうが、2人の想いがイザベラの心に響けばいいと願った。

母に愛されたいと願うレオンハルトとアンドリューに、国を憂うヘンリーの言葉が響く。
一方、憎しみのままに突き進むイザベラはついに動き出す……!

                        To be continued……

4.裏切り者の末裔へ6.笑う道化師へ