5.王宮の生き字引へ某国王宮の人間模様10題目次へ7.孤独な王女へ

6.笑う道化師

 大陸は2つの大国と幾つかの小国による戦乱が続いていた。領土を広げ二大大国の一つとなったリチャードの国と、入り江を挟んで向き合うもう一つの大国との国境線での戦いは熾烈を極めている。だが、エレナを失った事で憔悴したリチャードはもう領土を広げようという野心を失っていた。それでも戦線から兵を退くわけにはいかない。退けばこの国に攻め込まれるのは目に見えていた。戦いを止めるには、相手を滅ぼすか降伏させるしかない。大陸を統一し長らく続く戦乱を終わらせるべく、大規模な遠征軍を編制するとリチャードから聞いたイザベラは、最も邪魔な第一王子ギルフォードを排除する絶好の機会だとほくそ笑んだ。意気消沈する自らを奮い立たせ戦場に出ようとするリチャードに、イザベラは思慮深げな表情を見せる。
「陛下が出陣されれば兵士達の士気も上がるでしょう。けれど、陛下が長く城を空けてしまっては、ここぞとばかりに周辺諸国は攻めてくると思われますわ。陛下は城を守り、遠征には王子達を向かわせてはいかがでしょう。ギルフォードはもうすぐ成人、即位させる前に、その力量を試しておくのが良いと思いますわ。」
イザベラがギルフォードを疎ましく思っている事を知らないわけではなかったが、イザベラの言う事にも一理あると考え、リチャードは遠征軍の総指揮官にギルフォードを任命した。その日、命を受けたギルフォードは勝気な笑みを浮かべリチャードに宣言する。
「必ずこの大陸の覇権を獲り、王に相応しい力をお見せする事を誓います。」
これまでにも軍を率いて戦場に赴き、いくつもの功績を上げているギルフォードはもっと大きな戦で自分の力を試したいと常々考えていた。そしてそれは、まだ若く軍を率いる権限の持てない異母弟達に明確な差を付け、自分の王位を確実にする手段だとも。自室に戻ったギルフォードは思考を巡らせた。絶好の機会を与えられたと考える一方で、自分を総指揮官にと推挙したのは継母のイザベラだと知り警戒心を強める。イザベラが自分を疎ましく思っているのは明らかであり、自分もイザベラを疎んでいた。ギルフォードよりも自分の息子を国王にと考えるのは当然の事だろう。そして何より母マルグリットを暗殺し王妃の座に就いたという噂のあるイザベラ。証拠は何も無いが、イザベラの目を見ているとその噂は真実だろうと思われた。そんなイザベラが、自分を遠征軍の総指揮官にと推したという。戦場でなら、戦死したと見せかけて暗殺する事は容易いだろう。そして臣下達の中にも、最も力のありそうなイザベラを支持する者も多い。宰相のダリウスはその筆頭だった。現王妃であるイザベラの息子こそ次期国王に相応しいとリチャードに進言しているのを何度も聞いている。自分が城にいない間に奴らは謀略を仕掛けてくるかもしれない。レオンハルトとアンドリューの顔を思い出しギルフォードは忌々しげに呟いた。
「あんな親離れしてないガキに王位などやるものか。」
この国で信用できるのは誰だ。ギルフォードは思考を巡らせ続けた。

 遠征軍出陣を翌日に控えた夜。
幽閉塔近くの茂みに人目を避けるように佇む2つの人影があった。
「ギルフォードを殺せ。戦場でなら容易だろう。」
「イ、イザベラ様。今何と……。」
「私の名を呼ぶでない。誰の耳に入るかわからぬ。」
「第一王子を殺害するなどと、国家に刃向かうも同然ではありませんか!」
「騒ぐな。ギルフォードは殺されるのではない。戦死するのだ。」
「しかし……。」
「お前は誰に忠誠を誓うの? お前を拾ってやりその地位を与えたのは誰だか忘れたか? お前は私の傀儡、お前の役割は道化に過ぎぬ。お前に与えた地位と仮面はその証。」
薄笑いを浮かべてイザベラは言葉を続ける。
「成果を期待している。」
2人の姿が城の方へ消えた後、茂みに身を隠していたテオドールは動けずにいた。幽閉塔からエレナの遺品を持って城へ戻る途中、イザベラの姿が見えて慌てて隠れたのである。幸い、テオドールに気付く事無くイザベラ達は密談を終え立ち去っていった。想像を超えたその内容にテオドールは震える。
「まさかそこまでするなんて。」
でもこれは、兄王子達を王位から遠ざけるチャンスかもしれないとも考える。イザベラと話していたのは誰だったのか。テオドールのいた所からはその人物の顔は見えなかった。抑揚を抑えた特徴の無い声をしていて、誰なのか特定出来ない。このまま放っておけばギルフォードは戦場で暗殺されるだろう。そうすれば、もっとも有力な王位継承候補者がいなくなる。そこまで考えてテオドールは即座に首を振った。そんな考えではいけない。それではこれまでの歴史となんら変わりないではないか。何としてでもギルフォードの暗殺を阻止しイザベラの陰謀を暴かなくてはならない。テオドールは足早に城へ向かった。

 翌日。
ギルフォードは整列した遠征軍を従え、副官に選んだ騎士団長バーナードと共にリチャードへ出陣を宣言した。リチャードの指揮の下、戦場に向かう遠征軍の無事を祈る儀式が行われる。リチャードの背後に控えたギルフォード達の前に現われたのは、道化のような仮面を付けた神官だった。ギルフォードは訝しげな目を向け、バーナードは神官に叫ぶ。
「無礼者! 王と王子の御前だぞ、仮面を取れ!」
バーナードの言葉にリチャードの側に控えたダリウスは嘲笑を浮かべた。
「神官は神の代理人であり公衆の面前では己の顔を隠すのが慣わし、バーナード殿ならともかく王子であるギルフォード様がその事をご存じないはずはないでしょう。それにこの者はイザベラ様がギルフォード様のご無事を祈り遣わせた者。高い位を持つ由緒正しい神官だ。この者を疑う事はイザベラ様を疑う事になりますよ。」
ダリウスの言葉とイザベラの鋭い視線を受けバーナードは引き下がる。ギルフォードはイザベラに視線を移した。あからさまに怪しい神官を差し向け一体何を考えているのか。神官が行う祈りの所作は正式なものだ。だがこの神官が本物の神官だといえるのかどうか。祈りが終わり神官は遠征軍の後列に加わった。長い遠征には戦いを記録する為の文官や医師、兵士の食事の世話をする料理人、馬の面倒を見る者など兵士以外の者も大勢同行する。戦の勝利と兵士達の無事を祈る為に神官が同行する事も珍しい事ではない。その慣習を利用して怪しげな神官を密偵か刺客として送り込んだのだろう。こいつには近付くまいとギルフォードはイザベラを見据えたまま考える。こんなあからさまな手段で自分を王位から遠ざけられるとイザベラは本気で思っているのだろうか。たかが神官ごときに王子である自分へ手出しはさせないとギルフォードは唇を歪め秘かに笑う。この戦に勝利を納め、王に相応しいのは俺しかいないと知らしめてやるのだと、そして王になったらすぐにでもイザベラの権力を封じ他の王子達を排除してやると拳を握った。リチャードの正妃は母マルグリットのみであり、王位を継ぐのは正妃の子である自分の当然の権利であり義務だと考えていた。ギルフォードは兵士達を鼓舞する演説を始めたリチャードの背を見つめる。マルグリット亡き後、何故イザベラなんかを正妃に迎えたのか、それだけでなく外交上の人質に過ぎない姫を第二王妃に据えるなど正気の沙汰ではないと、憎しみのこもった目を向ける。マルグリットを裏切り踏みにじるリチャードの行為をギルフォードは到底許せなかった。
リチャードの演説が終わり、いよいよ出陣の時が来た。軍の先頭へ向かうべく立ち上がったギルフォードはふいに掛けられた声に振り返る。
「兄上。」
ギルフォードの視線の先にいたのは第二王妃エレナの子テオドールだった。テオドールの呼びかけに応じてしまった自分に腹を立て、忌々しげにテオドールを睨む。
「俺に弟などいない。」
「お待ち下さい、兄上。」
踵を返し歩き出したギルフォードの前にテオドールは回りこんだ。
「軍の中に仮面を持った刺客がおります。お気をつけ下さい。」
「生まれの卑しい者と利く口は持っていない。去れ。」
テオドールを払い除けギルフォードはバーナードに叫ぶ。
「バーナード、出陣だ。行くぞ!」
「はっ!」
全身を覆う鎧に身を包んだバーナードは鉄仮面の下からテオドールを一瞥し、機敏な動きでギルフォードの後を追った。ギルフォードの背を見つめテオドールは溜め息をつく。刺客は誰なのかを突き止められればと悔やんだが、昨日の今日では到底無理な話だった。そしてギルフォードの言葉がテオドールの胸に突き刺さる。故国でのエレナは正当な血を引く王女だったが、この国でのエレナの身分は第二王妃とはいえ側室と変わりない。だが、王家の人間が人の生まれを差別するなどあってはならないとテオドールは唇を噛む。あんな物言いは自分に対してだけだろうかとかつては思ったが、ギルフォードは城仕えの人々や民への態度も同じだった。野心家のリチャードや陰謀を巡らせるイザベラを批判的な目で見ているギルフォードだが、テオドールから見ればギルフォードも民を省みず野心にとり憑かれた権力者だ。国の全ての人間を守るのが王家の人間の義務である。ギルフォードのような意識では民意を汲み、民を守る事は出来ないだろう。ギルフォードがこの戦に勝利を納め帰還すれば、ギルフォードの即位は確実なものになる。ギルフォードが即位すれば、また争いの歴史が繰り返されるだろう。
「そんな歴史は終わらせるんだ。」
遠征軍が進む先を見つめテオドールは改めて誓った。


「私は、道化に過ぎない……か。」
悲しく笑う道化師の呟きは遠征軍を見送る民衆の声にかき消され、誰の耳にも届く事は無かった。


                  To be continued……

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