5.笑う道化師へ某国王宮の人間模様10題目次へ8.騎士団長と宰相――前編――へ

7.孤独な王女

 王宮では、即位を迎えるであろうギルフォードの正妃を選ぶ段取りが進められていた。周辺諸国から多くの縁談が寄せられ、国同士の様々な思惑の中から1人の王女が選ばれた。顔も名前も知らぬまま、王女はギルフォードとの対面に備え王宮に迎えられた。

 一方、遠征軍を見送ったテオドールはイザベラの陰謀を暴く方法に頭を悩ませていた。昨夜耳にした事はアッシュに伝えてあるが、具体的な動きは取れずにいた。リチャードに次ぐ権力を持つイザベラを内偵するのは困難だし危険である。表向きは中立の態度を示しているものの、実際はイザベラに与している臣下も少なくは無い。アッシュの他にも、ある程度の力を持っている味方がほしいと考える。溜め息を吐きながらテオドールはお気に入りの中庭へと足を運んだ。考えに詰まった時や気を紛らわせたい時には、厨房からクッキーをこっそり持ち出し中庭のベンチで空を眺める。手入れはされているものの、あまり訪れる者のいない中庭に今日は先客がいた。ベンチに腰掛け花を眺めている見慣れない少女の姿にテオドールは首を傾げる。テオドールの視線を感じて顔を上げた少女は、慌てて立ち上がるとテオドールに頭を下げた。
「ごめんなさい、勝手に座ったりして。」
急に頭を下げられテオドールも慌てる。
「いや、いいんだ。邪魔しちゃってごめん。」
ゆっくりと申し訳無さそうに顔を上げた少女を改めて見つめる。歳はテオドールと同じくらいだろうか。慌てた仕草の中にも清楚で気品を漂わせる佇まい、装飾こそシンプルだが高級な素材を使った衣服に身をまとい、きっちりと結いあげられた髪にも美しい宝石細工がいくつも付けられている。どこかの王族の人物だろうという事は推測できたが、一体誰なのだろう。じっと見つめるテオドールの疑問を悟り少女は再び頭を下げた。
「申し遅れました。私、国王様の婚約者のルクレチアと申します。」
「父上の婚約者!?」
あの歳で一体何を考えているんだと憤りを見せたテオドールにルクレチアは慌てて首を振った。
「あ、いえ、リチャード様ではなくて次期国王様です。ギルフォード様とおっしゃったかしら。今は大事な戦いに出ているそうですね。」
「あぁ、そうか、そうですよね。」
自分の勘違いに気づきテオドールは恥ずかしさをごまかすように早口に告げた。
「ご婚約おめでとうございます。」
「……ありがとうございます。」
微笑みながら応えたルクレチアの表情に射した影に、テオドールはうかつだったと唇を噛む。王族同士の結婚が政略結婚でなかった試しは無いと言っていい。強大国となったこの国に嫁いで来るのなら、外交の道具として送られた可能性は遥かに高い。ルクレチアの置かれた状況を察し胸を痛める。テオドールは恭しく片膝をつきルクレチアを見上げた。兄王子の婚約者で正妃候補なら、テオドールよりも彼女の方が立場は上になる。
「ルクレチア姫ご自身が幸福になれるよう、僕も尽力致します。」
「ありがとうございます。お優しいのですね。」
そっと微笑んだルクレチアを見上げテオドールは顔を赤らめる。辛い境遇にあっても、こんな風に綺麗に微笑む事が出来るルクレチアに惹かれた。彼女がギルフォードのものだという事が羨ましく、悔しかった。
「お名前をまだ伺っていませんでしたね。」
「あ、申し訳ありません。僕はテオドール、この国の第四王子です。」
慌てて名乗ったテオドールの言葉に今度はルクレチアが慌てる。
「王子様だとは知らずご無礼をお許し下さい。どうかお立ちになって下さい。」
差し出された手をそっと取り立ち上がったテオドールはルクレチアの言葉に微笑んだ。
「無礼だなんて。王子と言っても、まだまだ勉強中の身です。人に敬われるような器は持ち合わせていないですから。」
「けれど、他人を気遣える心を持っていらっしゃいます。素敵な事です。きっと立派に国を支える方になられるでしょう。」
ギルフォード王子は臣民を省みない野心家だという噂を聞いた。そんなルクレチアの心に、この人が次の国王だったならという思いが芽生える。だがそれは、ギルフォードの失脚を願う事に等しい。そんな事を考えてはいけないとルクレチアは秘かに首を振った。邪な考えを振り払うようにルクレチアは中庭を見回す。
「とても整った綺麗なお庭ですね。静かだし落ち着きます。」
自分のお気に入りの場所をルクレチアも気に入った事が嬉しくて、テオドールは微笑んだ。
「えぇ、僕もお気に入りの場所なんです。ここでよく一人でくつろいでいます。」
ベンチに腰を下ろしたテオドールに合わせルクレチアも隣にそっと腰を下ろす。
「お一人で?」
「考え事をしたい時や、落ち込んだ気分を紛らわせたい時に一人でここへ来ます。」
「今は、考え事をしにいらしたのでしょうか?」
「えぇ。とても難しい問題を抱えているんです。」
テオドールの言葉にルクレチアはためらいがちに問い掛ける。
「それは、王宮内の人間関係の事でしょうか?」
「この王宮の事をご存知ですか?」
「ジョルジュ様から少しだけ伺いました。ギルフォード様は亡くなられた前王妃様のご子息で、ギルフォード様のご即位を快く思わない方々がいるから、私も気をつけるようにと。」
味方が欲しいと考えていた所にタイミングよく現れたルクレチア。アッシュの父であるジョルジュが王宮の内情を話しルクレチアの身を案じたのなら、ルクレチアにイザベラの息がかかっている可能性は無い。テオドールはルクレチアの目を真っ直ぐに見つめる。
「この国を良い国にするために、ルクレチア姫の力を貸して下さい。」
背筋を伸ばし頷いたルクレチアにテオドールは兄王子達と自分の関係と、そしてギルフォードを暗殺するためイザベラが刺客を遠征軍に送り込んだ事を話して聞かせた。
「戦に乗じてギルフォード様を……?」
「えぇ。何としてでも阻止してイザベラ王妃の陰謀を暴かなくてはなりません。」
テオドールの真摯な眼差しにルクレチアは頷いた。
「私に出来る事があれば何でもおっしゃって下さい。私もこの国の一員となる者、そんな陰謀を見過ごすわけにはいきません。」
故国では誰も次女であるルクレチアを頼りにするどころか省みてくれる者さえ無かった。自分は王家の道具として生きるしか無いのだと、諦めきっていた孤独な王女の心に光を注いだのは、政略結婚で向かった国の弟王子。何としてでもテオドールの力になろうとルクレチアは決意を固めた。
「ありがとうございます。とはいえ、いい考えが浮かばなくて……。」
テオドールが呟いた時、アッシュが中庭に姿を現した。
「テオドール様、ルクレチア様もご一緒でしたか。」
戸惑う表情のアッシュにテオドールは力強く微笑んだ。
「大丈夫、ルクレチア姫は僕達の味方だよ。ルクレチア姫、彼はジョルジュの息子のアッシュ、僕が心を許せる数少ない人物です。」
立ち上がり丁寧な挨拶をするルクレチアにアッシュは微笑む。
「そうでしたか。父がルクレチア様の身を案じておりました。ルクレチア様がご助力下さるのなら心強いです。」
テオドールに視線を移しアッシュは言葉を続けた。
「私に考えがあります。お部屋の方で続きを話させて頂けますか。」
密談を聞かれる可能性の低いテオドールの部屋に場所を移し、アッシュは話し始める。
「戦場でなら暗殺する事自体は容易いでしょう。しかし、ギルフォード様は軍の総指揮官です。この戦に負けてしまっては、イザベラ様の計画も台無しになってしまいます。」
「そうだね、この国が他国に支配されてしまったら何にもならない。」
「でも、ギルフォード様を亡き者にしながら戦に勝つ方法などあるのでしょうか?」
ルクレチアの疑問にアッシュは頷く。
「戦が終わった後に暗殺を決行したのでは意味がありませんからね。戦の最中に行われるのは確実です。その後、戦をどうするか。高い戦闘能力を持ち、戦場を把握し的確に味方を動かせる優秀な軍人であれば、勝利する事はできます。敵の総大将を捕らえ勝利を決めるのは、総指揮官の役割と言うわけではありませんから。」
「そうか。暗殺を決行し兄上の死を隠したまま味方を指揮して戦う、戦に勝利し兄上は名誉の戦死とでも報告すればいいって事か。なら、暗殺の命を受けた者と、それがイザベラ様の命令である証拠を見つければいい。」
テオドールは顔を上げた。
「この戦に兄上が必ずしも必要ってわけじゃないなら、急がなきゃいけない。」

 戦地にギルフォードの率いる軍が到着してから数十日。戦況は小競り合いを繰り返しながら互いの動きを探りあう緊迫した状況が続いていた。
ある夜、戦場に築いた陣営での作戦会議を終え、仮眠を取ろうと自分専用のテントに向かったギルフォードは背後に迫った殺気に振り返った。見慣れた鎧姿と、刃が松明の灯りを受けて煌くのが目に映る。
「ギルフォード様、お許しを!」
「!? なぜお前がっ……」
ギルフォードの言葉は最後まで発せられる事無く、腹を刺され苦しげな息を吐き地に倒れ伏した。微かに震える腕が救いを求めるように空へ伸び、驚きに見開かれた目が襲撃者を探しさまよう。剣を抜かれた傷口から血が溢れていく。
「お前だけは、信用できると、思っ……。」
伸ばされた腕が力なく落ち、ギルフォードは浅く苦しげな呼吸を繰り返す。出来る限りギルフォードの顔を見ないで済むようにと被っていた鉄仮面を脱ぎ捨て、血の付いた剣を地面に突き刺す。緊張と罪悪感から震える身体を支え呼吸を整えていると、物陰から仮面を付けた神官が現れた。倒れたギルフォードを一瞥すると口元だけで笑う。
「殺ったか?」
「お前はやはり監視役か。」
荒い呼吸を整え、剣を握り直しながらバーナードは神官を睨む。
「イザベラ様から次の命令だ。ギルフォード王子の死を隠し、お前が軍を指揮して戦を続けろと。」
「何だと?」
「あちらの国とは話がついている。イザベラ様がきちんと手を打って下さったのだ。お前はいつも通りに兵を率いて戦うだけでいい。イザベラ様の労力を無駄にするなよ。」
「話がついているとはどういう事だ! イザベラ様は国を売ったのか!?」
バーナードの言葉に神官は殺気のこもった目を向けた。片時も外さない道化の仮面と相まって、恐ろしく残虐で冷酷な目つきになる。
「滅多な事を言うもんじゃないぞ。」
殺気のこもった眼差しに射抜かれバーナードの背筋に冷たい汗が流れる。神官は低く冷たい声音で言葉を続けた。
「あちらの国にもいろいろとあるのだ。全ては国のため。お前は戦に集中しろ。」
倒れたギルフォードを一瞥すると神官はもう一度バーナードを睨み据え立ち去った。
「全ては国のためとは本当なのですか、イザベラ様……。」
幼い頃、盗賊の一味として生きていたバーナードは、生きるために略奪を繰り返していた。やがて盗賊団は討伐され多くの仲間達が処刑される中、まだ子供だったバーナードは高い運動能力をイザベラに買われ、城の兵士となる事を許されたのだった。イザベラが王妃になったばかりの頃の事である。その時のイザベラの言葉と強い決意に満ちた眼差しは、今でもバーナードの胸に焼き付いている。
――こんな事をしなくても生きられる国を作るため、お前の力を貸して欲しい――
この言葉が、その後のバーナードの全てだった。今ではバーナードが元盗賊だった事を知る者は多くない。過去を捨て一心に働き、リチャードにも信頼を置かれるようになった。ギルフォードに兵士としての資質を買われ、バーナードも優れた軍人であるギルフォードの下で戦う事を望んだ。やがて騎士団長の地位を与えられ、王家と国に忠誠を誓い数々の功績を上げてきた。全ては自分を救ってくれたイザベラの言葉を実現させるために。だがある時、イザベラの本意は違う所にあるとバーナードは知ってしまった。この国に滅ぼされた故国の復讐、そのために自分は使われているのだと。しかしそれでも、あの時のイザベラの言葉を信じたかった。


惹かれ合う心を押し隠し、ギルフォードを守るため、そして国のために行動するテオドールとルクレチア。
こんな事が許されるはずは無いと、罪の意識とイザベラへの想いに揺れるバーナード。
複雑なそれぞれの想いを乗せて戦は続いていた。


                        To be continued……


6.笑う道化師へ8.騎士団長と宰相――前編――へ