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8.騎士団長と宰相――前編――


 遠征軍を見送った直後、宰相ダリウスはその後の事を考えながらにたにたと笑う。この戦の後、老齢のリチャードは退位する考えだと聞いた。計画が上手く行けば王位はイザベラの息子に継がれる。未成年の王の後見人に王妃であるイザベラを推し、自分の宰相としての地位を確固たるものにすれば、何かと邪魔な侍従のジョルジュも排除できるだろう。そして秘密を知る騎士団長のバーナードも抹殺しなければならない。密使として遣わした神官を糾弾したバーナードの顔を思い出し、ダリウスは忌々しげに首を振った。イザベラに気に入られている事でいい気になっているのだろうと考える。騎士団長と宰相という王宮の中での立場、何よりイザベラに使われるだけの捨て駒と、イザベラの野望を助ける力を持つ自分では立場が違うのだと思い知らせてやらねばなるまい。
「全てがうまく行けば、私はこの国で第二の権力者だ。いずれはイザベラ様をも……。」
ダリウスの邪悪な呟きは、遠征軍の無事を祈る人々のざわめきにかき消され誰にも聞きとがめられる事は無かった。

遠征軍を見送ったテオドールはギルフォードへの忠告が踏みにじられた事をアッシュに告げる。気落ちするテオドールにアッシュは小さく首を振った。
「あの方の性格ならば仕方のない事です。」
「まぁそうだろうと思ったけどさ。」
悔しげに眉を寄せて呟くと、出陣式に姿を現し遠征軍に加わった仮面の神官の事を口にした。
「あの神官は何者なんだろう?」
「あからさまに怪しいですね。何とかイザベラ様との繋がりがわかればいいのですが。」
その後テオドール達は神官の身元を調査したが、戦乱の世で入り乱れる記録の中に、敗戦国からこの国に送られた捕虜の中に位の高い神官がいた事を見つけた程度で、イザベラとの繋がりを暴く事は出来なかった。
遠征軍が発ってから十数日が過ぎた頃、ギルフォードから戦況報告と武具や食料の補給を要求する書簡が届けられた。イザベラとイザベラに与する宰相ダリウスを秘かに見張っていたテオドール達は、書簡が間違いなくギルフォードからのものであると確認すると戦いはこれからだと更に警戒を強める。ギルフォードの要求を受け武具や食料を送る準備が始められると、城下は支援物資を納めに来た商人達で賑わう。テオドールも準備を手伝いながら、彼らの中でイザベラやダリウスと接触する者がいないか目を光らせていた。リチャードの指示の下で、各方面に物資の手配を命じているのはダリウスである。
「これを機に動くのはダリウスの方じゃないかと思う。」
「私もそう思います。イザベラ様が直に動くには危険な時期でしょう。」
テオドールの言葉にアッシュも頷く。だがダリウスの命を聞く立場であるアッシュは、間近でダリウスを見張れるもののあまりおおっぴらに動くことができない。テオドールの表情にアッシュは心配げに眉根を寄せる。
「テオドール様、どうかあまり無茶はなさいませんように。」
「わかってるさ。」
そして準備が進められていくある日の夕方。ダリウスが人目を避けながら城を出て行くのを目にしたテオドールは気付かれぬように後を追った。ダリウスはつばの広い帽子を目深に被り周囲を警戒しながら歩く。途中、兵士の詰め所に立ち寄って何事かを告げるとまた城下町へ向けて歩き出す。物陰に隠れダリウスを視界に捕らえながらテオドールが詰め所の様子を伺っていると、1人の若い兵士が怯えた様子で出てくるのが見えた。戦場からギルフォードの書簡を届けに来た伝令兵である。思いつめたような顔がちらりと見え、俯いて歩く兵士の後をそっと追いながら、テオドールはこれがイザベラの陰謀を暴く鍵になるようにと願った。兵士は城下町の外れにある小さな酒場に入って行く。店の外からテオドールは様子を伺った。賑わい始めた酒場の奥の席に兵士が向かうのが見えたが、それ以上はテオドールのいる場所からは見えない。ダリウスが来ているのかどうかもわからなかった。店に入ってしまおうかと考えたが、ダリウスが先に来ていたとしたら気付かれてしまうだろう。物影に身を隠し店の入り口を見張りながらどうするべきか逡巡していると、ふいに店の扉が開く。陽はすっかり暮れて街は夜の帳に包まれていたが、入り口の松明に一瞬照らし出されたその顔はダリウスのものだった。先程と同じように帽子で顔を隠し周囲を警戒しながら、城の方へ向かって歩いていく。ダリウスを追うか、店に残っているらしい兵士に話を聞くか。一瞬悩んだが兵士の思いつめた顔を思い出し、彼に賭けようと決めテオドールは店に足を踏み入れた。奥の席に先程の兵士の姿を見つけ歩み寄ると、テオドールは軽い調子で声をかけた。
「ここ、いいかな?」
俯いていた兵士は顔を上げテオドールを見つめると驚きの声を上げる。
「テ、テオドール様! 何故このような所に?」
顔の前に指を立てて静かにするようにと示すと、テオドールは兵士の正面に腰を下ろした。
「さっき、宰相のダリウスがここに来てなかった?」
青ざめた顔で硬直した兵士に、テオドールは声のトーンを落とし言葉を選びながらゆっくりと口を開く。
「ダリウスがこそこそと城を出て、ここへあなたを呼び出して何の話をしたのか、教えてほしいんだ。」
俯いて小さく震えながら兵士は答える。
「誰にも言ってはならないと、命じられました。国の将来に関わる大事な事だと。」
「うん、確かに重大な事だ。だからこそダリウスは伝令兵のあなたを選んだんだと思う。命懸けで情報を運んでくれるあなたを。」
テオドールの言葉に兵士ははっと顔を上げる。その反応に手ごたえを感じたテオドールは畳み掛けるように言葉を続ける。
「本当に国の将来に関わる重大な事なんだ。どうか教えてほしい。それにはイザベラ様やギルフォード兄上が関わっているんじゃないだろうか? ダリウスはあなたに何かを託したのでは?」
「……もう、全てご存知なのでは、ないのですか?」
「ただの推測でしかないんだ。僕はこの国を、この国の民を救いたい。戦も権力争いも終わらせたいんだ。それにはあなたの協力がいる。あなたの本来の役目を思い出してほしい。」
「私は、ただの雑兵ですよ。剣も槍も皆に劣るから伝令を命じられただけです。」
「僕は兄上の書簡を命懸けで届けてくれたあなたにこの国の将来を賭ける。」
兵士は息を飲みテオドールを見つめた。その瞳に静かに涙が滲む。テオドールの真っ直ぐな眼差しを受け、兵士は震える手で懐から2通の書簡を取り出すとゆっくりと口を開いた。
「ダリウス様は、これを届けるようにと仰いました。1通はイザベラ様から神官に宛てたもの、もう1通はダリウス様からバーナード殿に宛てたものです。内密のものだから、渡す所さえも誰にも見られぬようにと命じられました。ギルフォード様の暗殺計画についても出陣の前に聞かされました。そしてお前も共謀者だと、計画が上手く行けば取り立ててやると……。出世欲に目が眩んで甘言に乗った私が愚かでした。こんな恐ろしい計画に加担する事になるなんて……。」
言葉を詰まらせて肩を震わせる兵士にテオドールは微笑みかける。
「ありがとう、よく話してくれた。この書簡は僕が預かろう。」
「そんな! 書簡が届かなかったと知れたら、私は……!」
怯えた顔の兵士を勇気付けるようにテオドールは大きく首を振った。
「その頃にはイザベラ様もダリウスも反逆者として捕らえさせているし、あなたに手出しをさせないようにするから、安心してほしい。」
「本当ですか……?」
「もちろん。だからあなたは兄上が要求した物だけを無事に届けてほしい。」
「……はい、畏まりました。」
「そうだ、名前をまだ聞いていなかったね。」
「名乗りもせず申し訳ございません。私はヨシュアと申します。」
「ありがとう、ヨシュア。あなたの善良な心に感謝する。兄上をお願いします。」
書簡を手に立ち上がったテオドールにヨシュアは涙を零しながら何度も頭を下げる。ヨシュアを勇気付けるように微笑み返すとテオドールは店を出た。松明の灯りの下で書簡を広げる。ダリウスの書簡には、ギルフォード暗殺計画を知る神官と、イザベラの息がかかった数名の兵士の名が揚げられ彼らも抹殺せよと書かれている。国境線での大事な戦だというのに、こんな事が水面下で行われているのかとテオドールはぞっとした。激しい憤りと嫌悪感に包まれながらイザベラの書簡を開く。引き続きバーナードを見張り、ギルフォードの死を隠して戦に勝利させよと、そして「手は打ってある」とだけ書かれていた。ダリウスの指示と異なる内容と、不可解な一文にテオドールは首を傾げる。
「どういう事だ……?」
ダリウスがイザベラを裏切ろうとしているのは明確だが、イザベラの意図はこれだけではわからない。ともあれ、これはイザベラを失脚させるのに重要な証拠になる。2通の書簡をしっかりと懐にしまうとテオドールは城への道を急いだ。
他の者に見つからないよう秘かに城へ戻ると、アッシュが血相を変えて駆け寄ってきた。
「テオドール様! どちらへいらしていたのですか!? 大変な事がわかったのですよ!」
「重要な証拠を掴んだんだ。でも腑に落ちない事がある。」
2通の書簡をアッシュへ差し出しながら、テオドールは訝しげな表情でアッシュを見上げた。
「大変な事?」
テオドールから受け取った書簡に目を通したアッシュは硬い表情で歩き出す。
「アッシュ? 何があったんだ?」
部屋へ戻るとそこには同じように硬い表情をしたルクレチアがいた。テオドールは2人を見つめ問い掛ける。
「何かわかったのか?」
「ルクレチア様が、イザベラ様のお部屋でこれを見つけたのです。」
「ルクレチア姫が?」
アッシュから差し出された1通の書簡を受け取りながら、テオドールはルクレチアを見つめる。
「はい。女官に扮してイザベラ様のお部屋を探ったのです。」
ルクレチアの言葉にテオドールは目を丸くする。
「何て大胆な……。」
「無茶はするなと言われましたが、私はまだこの国に来て日が浅いですから顔を覚えられていません。それを利用しない手はないでしょう。」
ルクレチアの控えめながらも強い決意を秘めた言葉にテオドールは共感を覚えた。女官に扮したルクレチアに、リチャードやジョルジュも気が付かなかったらしい。密偵みたいで結構楽しかったですよ、と笑った後、表情を引き締めルクレチアは言葉を続けた。
「状差しの中からそれを見つけました。」



交錯する裏切りと陰謀を白日の下に晒すべく動き始めるテオドール達。
イザベラが打った手とは? ルクレチアが見つけたものとは?
緊迫の夜は更けていく……。


To Be Continued……


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