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『祈りの届く場所〜ある英雄譚の片隅で〜』

第1話 「神々は何故私を英雄譚の1ページに加えたのでしょう?」

 それは激しい雷雨に見舞われた夜だった。落雷のような音が響き神父は目を覚ます。裏に建つ教会に落ちたのではないだろうか。この街で一番高い建物は彼が司祭を務める教会である。街のシンボルでもある教会が壊れては大変だ。すっかり目が覚めてしまったし、修復は今出来ないが様子だけでも見に行こうと神父はベッドから起き上がる。部屋着の上に外套を羽織り、ランタンを手に外へ出た。外は暗くここからでは様子は解らない。強い雨に打たれながら神父は教会の表玄関に回り込んだ。入り口の鍵を開けランタンの火を壁のランプに移し、ランタンを頭上に掲げた。濡れた前髪をかき上げ礼拝堂から見上げる限り、教会の屋根に損傷はないようだ。夜が明けたらもう一度しっかり点検しよう。ひとまず安心し礼拝堂の正面にふと視線を移した時、神父は違和感を覚えた。彼が灯したランプは入り口付近だけ、手元と入り口の灯りでは光が届かないはずの礼拝堂奥がうっすらと明るくなっている。この天気だ、月明かりでもない。泥棒かと一瞬考えたが、教会内に盗む価値のあるものは無い。玄関の鍵はきちんとかかっていたし、雨宿りに誰かが入り込んだというのも考えにくい。魔物か幽霊の類だろうか。魔王が現れ世界を支配し始めてから、世界の各地に魔物がのさばり暴れるようになった。教会内には魔除けの護符があるが、どれほどの効果があるのか定かではない。まして幽霊ならともかく、世界の理から外れた存在である魔物に護符がどれほど効力を果たすのかも解らない。魔物であれば戦い追い払うか倒す必要があるが、体力に自信はあるものの聖職者である自分に戦う力など無い。誰か呼んでこようか。そう逡巡しながらも、神父は光の方へランプを掲げ少しずつ奥へ歩み寄る。
「そこに誰かいるのですか?」
近付いて恐る恐る声を上げると、神父の声に応えるように光が揺れた。渦を描きながら更に強い光を放つ。あっけにとられる神父の前で光の中にうっすらと人の姿が浮かび上がった。それは、聖典に描かれる神々の一人によく似ていた。光に包まれたその姿は間違いなく神聖なものだと神父は感じた。呆然と立ち尽くす神父を前に光はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「我々はこの世界を創造せし者。我らに仕えし人の子よ、世界の危機においての、そなたの役目を伝える。」
「役目? 私の?」
「そう。この世界に魔の眷属が侵入し世界を我が物にしようとしている。奴の力は強大で、不覚にも我々は力の一部を封じられた。世界が闇に覆われる前に、我々の残された力をそなたらに託す。」
「私は一介の聖職者にすぎません。そんな私に、何をせよと?」
「我らの力を託され魔王を討つ勇者が現れる。その者は魔王軍との戦いで一度命を落とす事になる。そなたはその者の命を救うのだ。」
その言葉に神父は混乱と衝撃を覚えた。呆然としたまま口を開く。
「死んだ者を、蘇らせるのですか?」
「その通り。その為の力をそなたに託す。」
有無を言わさず光は神父に近付く。神父の胸元に光の球が浮かび上がると、羽根を散らした様な光を放ち神父の身体に吸い込まれ消えた。突然の事に困惑したままの神父をよそに光は満足げに言葉を続ける。
「その時がいつかはまだ解らぬ。だが、来るべき時には間違いなく力が発揮される。我らが選んだ者にしか力は働かぬ故、そなたは見紛う事なく勇者を救い、その英雄譚の一端を担うだろう。」
頼んだぞ、と一方的に告げると光は静かに消えた。礼拝堂にはもう何の気配も無く、激しい雨の音と雷鳴が響き、稲妻がステンドグラスを透かし一瞬の鮮やかな光を床に落とす。魔王を討つ勇者の命を、私が救う? 夢でも見ていたのだろうか。大きく首を振ると身体が冷えているのを感じた。雨に打たれたせいだろう。部屋に戻って着替えなくては。外套を羽織り直し神父は部屋に戻った。濡れた衣服を脱ぎ洗面台の前で髪と身体を拭きながら、ふと鏡に映った自分に目を凝らす。引き締まった裸の胸元、ちょうど先ほど光の球が消えた辺りにそれまでに無かった翼のような形をした痣が浮かび上がっていた。思わず鏡に顔を近付け、そこに映った胸元と自分の胸元を見比べる。夢ではなかったのだ。神父は礼拝堂で聞いた話を思い返す。神々に選ばれた勇者が、魔王を討つ。自分が勇者の命を救う。勇者がどんな人物かはともかく、自分は取り立てて特徴の無い神父、この街の教会も歴史はあるものの、どの街にもある教会と変わる所は無い。
「神々は何故私を英雄譚の1ページに加えたのでしょう?」
魔王軍が強大国と謳われたある王国を一夜で攻め滅ぼし本拠地としてから、次第に支配の手を広げているという。滅ぼされた王国は遠い地だが、この国もいつ同じ目に遭うか解らない。この大陸でも、旅人が魔物に襲われる事件が頻発し人々を不安がらせている。教会へお守りを買いに来る人が増えた。礼拝に訪れる人々が、自分達の事よりも魔王軍から世界が守られるようにと願う事が増えた。他の街の教会でも同じような事が起きていると聞く。聖職者として自分に出来る事は、人々の不安を和らげる事だ。神々から託された力は、その内の一つに過ぎない。
「私は私に出来る事を、成すべき事をするだけです。」
壮大な話に巻き込まれ不安になった心を奮い立たせるべく、神父は鏡の自分に向かって笑って見せる。魔王を討たねばならない勇者の方が遥かに不安だろう。魔王は神々の力を一部でも封じる事に成功しているのだ、力を託されたからといって魔王討伐が簡単に成されるとは思えない。それに神々の言葉通りであれば、魔王を討つまで勇者は死ぬ事を許されないのだろう。なんと惨い運命を背負わされたのか。どんな人物なのか解らないが、いつか出会うであろう勇者の命だけでなく、その心も救うのが、自分の本当の役目だと思った。その日まで、否、その後魔王が倒されても、自分の聖職者としての人生は続いていくのだ。勇者にも、街の人々にも変わらずに尽くし、この教会が皆の祈りの届く場所であるように努める事が自分の役目。ようやく気持ちが落ち着き神父はベッドに戻った。明日は教会に雨漏りや破損個所がないか点検しなくては。旅の無事を祈願してほしいという依頼も入っていたな。頼んでおいた薬草とお守りも入荷するはず。明日も忙しくなりそうだと神父は穏やかな笑みと共に眠りについた。


第1話・終


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