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『祈りの届く場所〜ある英雄譚の片隅で〜』

第3話「神々は魔王から私達を救っては下さらないのでしょうか。」

「こんにちは、神父様。ご注文頂いていたお守りと薬草をお届けに参りました。」
「あぁ、どうもありがとうございます。」
ある日の昼下がり、修道院の若い修道士が教会を訪れた。教会で販売しているお守りや薬草は、国境沿いに建つ修道院で暮らす修道士達が作っているものである。自給自足を基本とする修道院の貴重な収入源であり、また修道士達の大切な務めでもあった。以前はお守りといえば遠くの海へ漁に出る漁師や、近隣諸国を回る行商人や旅芸人など、家や故郷を離れ旅する者達が手にするものであった。だが魔王の侵攻以来、ほんの数刻街の外へ出るだけでも魔物の襲撃に怯えなくてはならず、街から出ない時でも不安を払うためにお守りを身に着ける人が増え、お守りの販売数は急激に増えた。教会を維持するにはこうした収入源は不可欠だが、あまり喜ばしい事ではない。販売カウンターへ移動し数や品質をそれぞれ確認し代金を渡すと、修道士は深々と頭を下げる。
「ありがとうございます、神父様。」
「いえいえ、皆さんが作る薬草はよく効くと評判ですし、お守りのおかげで助かったという声も聞きます。皆さんのお務めの成果ですよ。」
「そう、なんでしょうか。」
神父の言葉に修道士は表情を曇らせた。憂い顔の修道士に神父は穏やかに問いかける。
「何か迷いがあるのですか?」
「はい。」
神父の言葉に頷き修道士は苦悩の色を強くする。ためらうように視線をさまよわせると、ゆっくりと神父を見上げた。
「私達のしている事は、本当に意味があるのでしょうか。」
「意味、とは?」
困惑する神父に修道士は静かに答える。
「神々は本当にいらっしゃるのでしょうか。もしいらっしゃるのであれば、なぜ魔王の侵攻を放っておかれるのでしょう。神々は魔王から私達を救っては下さらないのでしょうか。私達の祈りは、無意味なのでしょうか。」
修道士の迷いはもっともなものであった。神々は全知全能であると多くの人が思っている。そうでなければ、広く多様な生命が生きる世界を創る事などできないであろう。しかし実際には神々は魔王の侵攻を許し、その力を一部封じられているという。神々は万能ではないのか、あるいは魔王の力が神々を上回るほど強大なのか。神託を受けた夜から考えを巡らせ思う所はあるが、心細げな修道士を見つめ神父は考える。口止めされているわけではないが、神託の話はしない方がいいだろう。魔物の中には人間の言葉を解するものもいると聞く。それが真実かどうか定かではないが、魔王を討つ勇者がいずれ現れるなどと噂になったら勇者を無用な危険に晒しかねない。人々の間にも混乱を招くだろう。さらに、神々が力を封じられているならばその力を託された一部の者だけでなく、世界中の人々の心を一つにしなくては魔王討伐は実現されないだろうと考える。若い修道士の不安と迷いを払うには、どう諭すべきか。神父は考えながら口を開く。
「この世界をお創りになったのは神々ですが、この世界で生きているのは我々であって、神々ではありません。」
お守りの一つを手に取り神父は修道士に視線を移す。
「たとえばこのお守りには神々から伝えられたとされる、身を守る力を秘めた魔法陣が施されていますね。このお守りを作ったのは皆さんです。皆さんは神々ではありません。しかし、神々の加護が宿るようにと想いを込めて作られたのでしょう?」
「はい、もちろんです。」
修道士の真摯な眼差しに神父は小さく微笑んだ。
「薬草も神々の知恵を授けられたものですが、実際に調合を行っているのは皆さんです。これはつまり、人を救うのは人自身でなくてはならないという神々の教えなのではないかと、私は考えています。」
「神々が、人を救うのではないのですか?」
困惑顔の修道士に神父は考えを巡らせながら言葉を続ける。
「神々は平等でなくてはなりません。特定の生命に肩入れする事は出来ないのです。世界のバランスが崩れてしまいますからね。魔物も生命を持つ存在である以上、その摂理を破る事はできないのかもしれません。」
「そんな!」
「だからこそ、この世界で生きている我々自身で、我々の世界を守り救わなくてはならないのではないでしょうか。」
不安げな顔になる修道士の肩にそっと手をかけ、神父は微笑む。
「祈りは必ず届き、正しい運命を導く力となる、神々に仕える私達がそれを疑ってはなりませんよ。皆さんのおかげで助かっている人が大勢います。自分の行動に誇りを持つのです。」
神父の言葉と肩にかけられた手の温かさ、真っ直ぐな優しい眼差し、それらを受けて修道士の表情はゆっくりと晴れていく。
「はい、まだまだ未熟者ですが、誠心誠意尽くします。聞いて下さってありがとうございました。」
「力になれたようで何よりですよ。またよろしくお願いします。」
深々と頭を下げ教会を後にしようとした修道士に神父は声をかける。
「そうそう、若い女性やお子さん向けに、アクセサリーとして手軽に身に着けられるお守りが欲しいという声が多く寄せられています。検討してみて頂けますか?」
「なるほど、そうですね。お守りがここまで普及するとは思いもよらなかった事ですから、女性やお子さんが持つには少々無骨なデザインかもしれません。帰って皆に提案してみます。」
「よろしくお願いします。」
「はい、では失礼します。今日は本当にありがとうございました!」
再び深々と一礼して街の門へ向かう修道士の背を見送り神父は安堵の息を漏らす。きっと同じような迷いを抱える者がたくさんいるのだろう。自分の語った事が正しいのかどうかは解らない。だが、一人の人間の迷いを晴らせた事は間違いない。祈りは必ず届き人を救う力となる。迷いそれでも祈る者達の願いが届くようにと神父は天を仰ぎ祈った。


第3話・終


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