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『祈りの届く場所〜ある英雄譚の片隅で〜』

第7話「安全な場所から祈りを捧げる事に意義はあるのでしょうか?」

「では、留守を頼みますよ。」
「はい、行ってらっしゃい。神父様。」
シスターに見送られ神父は教会を後にする。今日は近隣の街や村の教会から、王国城下町に司祭が集まり会合が開かれる事になっていた。魔王出現以来、遠出は危険だという理由からしばらく行われていなかったが、人々の不安を鎮めるのが聖職者としての務めだ。その為には世界各地で起きている事をきちんと把握せねばならない。王宮内の教会に務める司祭から各街の教会へ会合の再開が知らされ、神父は安堵の息を吐く。魔王に対抗するには全ての人々の心を一つにしなければならない、教会がその道しるべになれればと常々考えていたからだ。街道に出て辻馬車に乗り込む。歩いてでも行けない距離ではないが、この街の近隣でも魔物が出現して被害が出ており、街を出るには辻馬車の利用や、戦いの心得がある者を護衛に雇うように推奨されていた。馬車に揺られ外を眺める。穏やかな陽射しと広がる草原はいたって平和な光景だ。だが、利用の増えた辻馬車や護衛を付けた行商人一行の姿に、魔王の脅威を改めて感じる。魔王軍の支配下にある大陸ではどんな恐ろしい事が起きているのだろう。人々はどれ程絶望的な思いでいる事かと神父は胸を痛めた。王国城下町の門前に馬車が止まると、神父は気持ちを引き締める。会合の再開が全ての人々の希望に繋がるようでなくては意味が無い。久しぶりに顔を合わせた他の神父と挨拶を交わす。一様に不安と緊張の面持ちで王宮内の教会へ向かった。街の教会よりも広い談話室には会議用の席が用意され、何人かの神父や修道士達が着席している。彼らにも挨拶をし開いていた席に腰を下ろすと、しばらくして司祭長の挨拶と共に会合が始まった。それぞれの地域における魔物の被害状況や出没範囲の報告、対応策が話し合われる。この大陸ではまだ魔王軍直属の魔物はいないようで、個々に徘徊している魔物が出会った人を襲っているという事が解った。だがいつ魔王軍の手が伸びてくるか解らない。侵攻を進める魔王軍の最前線はどこなのか。魔王軍の支配下にある地域では何が起きているのか。それを知るには、こちらから魔王軍の支配下に近付かなくてはならない。しかし、強大国を一夜で滅ぼしたという魔王軍に近付き、情報を集めるなど可能なのだろうか。訓練された本職の戦士でも太刀打ちできなかったというのに。司祭長が言葉に詰まった一同を見回す。
「滅ぼされたという噂の王国とその周辺の街の教会へ書簡を送りましたが、一向に返事はありません。書簡に物資も送り続けていますが、途中で魔物に襲われ届けられていない可能性が高いでしょう。最近では向こうへは危険だから行けないと輸送を断られる事も増えました。魔王の力の影響か海もずっと荒れているそうです。」
司祭長の言葉に、もしかしたらかの大陸に人々はもういないのかもしれないという不安が一同の脳裏によぎり、そんな事があってはならないと一様に首を振る。深い苦悩のため息を吐き司祭長は話を続けた。
「しかしこのままでは、世界中が魔王軍に支配されてしまうでしょう。それを阻止し、魔王軍に苦しむ人々を救わなくてはなりません。」
言葉を切り司祭長が一同を見回すと、一人の司祭がおずおずと口を開く。
「しかし、どうやって? 私達に出来るのは祈りと導きのみです。王宮の騎士団に調査や輸送を依頼する事は出来ないのですか?」
「そうですな。我々には武器を手に戦う力などない。危険な事は本職に任せて、我々は後方から支援すべきではないですかな。」
同調した年配の司祭の言葉に司祭長は静かに首を振った。
「私から王に王宮騎士団を派遣出来ないかと申し上げましたが、騎士団は周辺の警備や魔物退治で手いっぱいだと言われました。王自身も騎士団の派遣を提案されたそうですが、自国の警備が薄くなると反対意見が多く実現出来ないそうです。」
落胆に満ちる中、神父は考えを巡らせる。確かに王国の守りが手薄になれば民衆に不安を与えるだろう。強大な力を相手に、自分達が出来る事は本当にないのだろうか。私が行こうか、と考え始める。街の教会にはシスターもいる。留守にしても教会は問題ないのではないか。それに、命を救えと言われた神託の勇者に出逢えるかもしれない。ここで勇者を待てとは言われていないのだ。自分が勇者を探して旅立つべきなのかもしれない。真剣に自分の旅立ちを検討し始めた時、末席にいた若い修道士が静かに立ち上がった。
「私達が行きます。」
どよめく一同を見回し修道士は静かにしかし力強く言葉を続ける。
「王宮騎士団には王国を守る義務があります。教会に務める皆さんには日々のお務めに街や村の人々を守る義務があります。しかし私達はまだ修行の身、多くの人々の役に立ち祈る事が義務です。実は、今日ここへ来る前に修道院の皆で話し合ってきました。ここは私達が立ち上がるべきだと、皆の考えは一致しています。」
修道士の言葉に司祭長は心配げな表情を浮かべる。
「しかし、君達はまだ若い。戦いの経験も無いだろう?」
「必ずしも魔王軍と戦う必要は無いでしょう。魔王軍に見つからないよう潜伏してあちらの人々と接する事は可能だと思います。それに修道院周辺を自分達で警備していますから、身を守る術くらいは心得ています。」
若い修道士の凛とした声と眼差しに迷いはない。修道士は一同を見回し、神父に視線を合わせ微笑んだ。
「安全な場所から祈りを捧げる事に意義はあるのでしょうか? 人を救うのは人の手でなくては、それには祈りだけでなく行動が必要です。修行中の私達には尚更それが必要だと考えます。」
その言葉に神父ははっとする。以前、迷いを口にした修道士に語った自分の言葉が、彼らの指針になっているのだ。修道士に微笑み返すと力強い笑みが返ってくる。尚も心配そうな顔の司祭長に修道士は真摯な眼差しで言葉を続けた。
「もちろん、分はわきまえています。私達がすべき事は魔王軍の支配に苦しむ人々を支える事、情報を収集しここへ戻って来る事。魔王軍と戦い英雄になる事ではありません。無駄に命を散らす事はしないと誓います。どうか私達に、託して下さい。」
深々と頭を下げた修道士に司祭長は頷いた。
「では、君達の気持ちに甘えさせて頂こう。危険な場所へ若い君達を行かせる事を許してほしい。書簡や物資の準備が整ったら修道院へ連絡するから、旅立ちの支度を整えておいてくれ。」
「はい、よろしくお願いします。」
散会し談話室を出ると神父は修道士に声をかけた。
「危険な旅をよく決意されましたね。」
「はい。以前、仲間が神父様から教えて頂いた事が皆の心に響いているんです。この時代に聖職者の道を選んだ事には意味があるのだと、未熟な私達にも出来る事は必ずあるはずだと、ずっと皆で考えていました。」
「無理はなさらず、無事に戻って来て下さいね。神々のご加護がありますように。」
「はい、お言葉ありがとうございます!」
深々と頭を下げた修道士に微笑む。言葉が、祈りが、想いを乗せて広がっていくのを感じる。立ち上がる者達の想いが、苦しむ人々を救えるようにと神父は天を仰ぎ祈った。


第7話・終

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