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『祈りの届く場所〜ある英雄譚の片隅で〜』

第8話「希望を取り戻す方法はいくらでもあるのです。」

「神父様、昨日から人気の旅芸人一座が街に来ているんですよ。中央広場でショーをやってるんです。」
「そうなんですね。どうりで、いつもより街が華やいでいますね。」
珍しく弾んだ声のシスターに神父は微笑んだ。礼拝に来た人々の雰囲気がいつもより楽しそうだったのを思い出す。魔王の侵攻以来、消えつつある人々の笑顔や喜びを取り戻してくれる存在があることはとても嬉しいことだった。
「踊り娘のセイラムさんがすっごく上手で美人だしうっとりしちゃいました! 演奏も曲芸もお見事でしたよ!」
「そうですか、では私も後で伺ってみましょう。」
はしゃいでいるシスターに微笑みながら応える。普段はおとなしい彼女がここまではしゃぐのも珍しい。よほど高い技量を持った一座なのだろう。街の雰囲気まで変えてしまえるのも頷ける。
「こんにちは。お祈りをさせて頂いてもいいでしょうか?」
「はい、どうぞ……わぁ! ようこそいらっしゃいました!」
歓喜の声を上げたシスターの視線を追うと、入り口に背の高い女性が立っていた。彼女が件の踊り娘セイラムなのだろう。緩やかに波打つ金色の髪を背中に下ろし、切れ長の青い瞳と薄く色づいた唇に整った微笑みを浮かべている。タイトなワンピースをまとった引き締まった身体は、踊り娘としての技術の高さと徹底した自己管理が見て取れた。
「どうぞお入りください。今しがた皆さんの話をしていたところなんですよ。とても高い技量を持った方々だと伺いました。」
「ありがとうございます。」
嬉しそうに微笑んで頭を下げたセイラムに、神父も思わず見とれていた。なんと綺麗に笑う人なのだろう。心根の美しさがそのまま表情に現れているようだ。祭壇に進んだ彼女の祈りを静かに見守る。旅先で訪れた教会で祈るにしてはいささか長い時間、彼女は一心に祈っていた。祈り終えると彼女は憂いを帯びた顔で神父を振り返る。
「あの、突然で申し訳ないのですが、少し話を聞いて頂けないでしょうか?」
「えぇ、今なら手が空いてますし、私で良ければ伺いますよ。談話室へ参りましょう。」
「恐れ入ります。」
シスターの羨ましそうな視線を受けながらセイラムを談話室へ案内する。二人分の茶を淹れると斜向かいに腰を下ろした。
「何か憂い事があるのですか?」
カップを受け取り礼を言うと、彼女は沈んだ表情で口を開いた。
「私は一座の座長を務めるセイラムと申します。実は私達、一座の旗を下ろそうかと考えているんです。」
「旅を止めてしまうのですか?」
「このところずっと皆で考えているんです。私達のしている事は意義があるのだろうかと。魔王が侵攻してきて、世界中で被害が出ています。そんな悲しみに満ちた中で、芸を披露するのは良い事なのでしょうか。最近は、『とてもショーなど観る気になれない』と上演を断られる事が増えました。『不謹慎だ』と怒られる事もあります。それで、誰からともなく旅を止めようかという意見が出始めました。」
「それは悲しいですね。各地で大きな被害が出ているとはいえ、喜びや楽しみを封じる事は傷を広げる事に繋がりかねません。」
茶に口をつけ、セイラムは小さく頷いた。
「えぇ、私もそう思います。この街に来てそれを確信しました。ここの皆さんは私達を快く迎えて下さり、ショーもたくさんの方に観に来て頂けて、皆さんの笑顔に旅を止めたくないという気持ちが強まりました。祖母の代から続く一座を、私の代で無くしたくはないのです。私達は皆さんに楽しんで頂けるように芸を磨き旅をしています。でも私達には、神父さんのように直接人を救う事はできません。魔王軍の侵攻で親しい人を亡くした方や、故郷を無くした方、身体や心に傷を負った方がたくさんいらっしゃいます。そんな中で楽しみや笑いを提供する事は、罪深い事なのでしょうか?」
沈んだ表情で神父を見つめたセイラムに大きく首を振った。
「そんな事はないと思います。悲しい事があったからといって、いつまでも悲しみに臥せっていては生きる気力さえも失ってしまいかねません。それでは魔王の思うつぼです。それに、私も人を救えているわけではないのですよ。希望を取り戻すお手伝いをしているだけで、実際に希望を持って歩きだすのはご自身の力です。」
「でも、私達の芸にそんなお手伝いはできません。」
茶を一口すすり神父は再び首を振った。
「そんな事はないでしょう。私には人を笑わせたり楽しませたりする事はできません。皆さんが旅を始めた頃、皆さんのショーを観て元気づけられたり、慰められたりした方が多くいたのではないですか? 魔王が侵攻してきてもそれは変わらないはずです。先ほどのシスターもあなたの踊りを見てとても感動していました。街の人達も、皆さんが来てから楽しそうにしています。希望を取り戻す方法はいくらでもあるのです。皆さんが培ってきた芸に、誇りを持って下さい。きっと想いは伝わります。」
憂いの晴れた顔でセイラムは頷いた。
「ありがとうございます。世界中の皆さんの笑顔のために、皆ともう一度話して、旅を続けようと思います。」
「その意気です。頑張って下さい。」
玄関までセイラムを見送るとシスターが駆け寄ってくる。
「午後のショーも観に行きます。頑張って下さいね!」
「私も伺いますよ。人々を笑顔にする術を学ばせて下さい。」
「えぇ、是非いらして下さい。最高のショーをお見せします。」
笑顔で頷いたセイラムに神父も微笑む。魔王の脅威が迫る中だからこそ、喜びや楽しみを供する存在が求められる。被害を悼む事と、喜びを見出す事、どちらも必要な想いなのだから。
「セイラムさんと何を話したんですか?」
「希望について、ですね。私もまだまだ学ぶべき事があります。」
しっかりとした足取りで教会を後にするセイラムの背を見送る。傷つき悲しむ人々を癒したいと願う彼女達の想いが伝わるようにと、神父は天を仰ぎ祈った。


第8話・終


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