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『祈りの届く場所〜ある英雄譚の片隅で〜』

第9話「結局、僕に行けって言いたいからでしょう?」

 その日は、神父が神託を受けた日と同様に、朝から激しい雷雨に見舞われた日だった。さすがにこんな天候の日に礼拝に訪れる人はいないだろうと、いつもよりゆっくりと礼拝堂で朝の祈りを済ませたところへ、慌ただしく扉を開ける音が響いた。
「神父さん、いらっしゃる!?」
振り返ると、身分を隠して救世の旅に出たフィオナ王女が、悲愴な顔で扉を開け放ったところだった。
「どうされましたか?」
問いかけると同時に、胸元の痣が熱を放ったように感じた。自分の役目を果たす時が来たのだと直感する。フィオナも何かを感じたようで、無言で頷くと外へ向かって手招きをする。簡素な薄い金属製の鎧に身を包んだ少年が2人、フィオナの傍に立った。2人のうち背の高い方の少年が、蒼白な顔の少年を抱きかかえている。抱えられているこの少年が、神々が選んだ救世の勇者なのだろう。想像していたよりもずっと華奢な少年だった。礼拝堂に神父以外は誰もいない事に安堵し、フィオナは神父を見上げた。
「彼を助けて。」
フィオナの悲痛な眼差しに頷き、神父は4人を宿泊用の部屋へ案内する。ベッドに寝かせた勇者の服を脱がせると、白い肌に見るも無残な無数の傷が露わになり神父は言葉を失った。胸に大きく穿たれた傷跡から骨が見えている。これが致命傷だろう。苦悶の表情で目を閉じている勇者は、呼吸も脈拍も停止していた。彼を抱えていた少年が震える手で勇者の手を握っている。もう1人の少年が、脱がせた勇者の衣服を整えながら口を開いた。
「ひとまず、これまでの事をお話しましょう。」
神父に視線を移し少年は言葉を続ける。
「僕は隣国の第二王子、ウォルティと申します。フィオナ姫と共に密かに旅立ちを決意し、神託の導きに従って海を渡りました。そこで彼ら、レイアンとミオードに出会ったのです。彼らの住む街が、魔王軍の侵攻に遭ったところでした。」
勇者の手を握っている少年が神父を見上げ口を開く。
「あの日、俺はミオードと隣町まで出ていたんだ。夜になって戻ってきたら魔物の集団が街を襲っていた。ほとんどの魔物はわけのわからない叫び声をあげてたけど、『勇者はどこだ!』って声が聞こえた。逃げなきゃって思ったのに、恐ろしくて身体が動かなかった。ミオードは幼馴染で、兄弟同然に育ったんだ。こいつは幼い頃に親を亡くしてて、俺がこいつを守んなきゃって思ってたのに。」
意識の無いミオードを悲痛な眼差しで見つめレイアンは話し続ける。
「街は火の海で、建物も畑もめちゃくちゃに破壊されて、街の人はみんな殺されていた。親父の亡骸を見つけたミオードが『僕はここだ!』って叫んで魔物に斬りかかっていったんだ。俺に『君は逃げろ』って言って魔物の群れに飛び込んで、姿が見えなくなった。」
震える声を必死に抑えレイアンは言葉を続ける。
「神々から『ミオードを守って戦え』って言われてたのに。俺がもっとしっかりしてれば、ミオードを連れて逃げられたら、こんな目に遭わずに済んだのに……!」
「あなたのせいではないわ、レイアン。」
レイアンの背にそっと手を添えてフィオナが口を開く。
「私とウォルティが街に着いたのは魔物が引き上げ始めていた時だったの。魔物の群れから『勇者は死んだ』って喜々とした声が聞こえてぞっとしたわ。魔物に見つからないように隠れながら勇者を探してレイアンと会ったの。この痣が反応して私達は同志だってわかったのだけど、『手遅れだ』って言われたのよ。ミオードは確かに致命傷を負って息絶えている、でも、微かな光がミオードを包んでいるのが見える。彼はまだ死んではいけない。ミオードには世界を救う使命が与えられたから。それで、神父さんの事を思い出したのよ。彼を助けられるのは神父さんしかいない。彼を助けて。」
神父はベッドに横たえられたミオードに視線を移す。大怪我を負い、呼吸も脈拍も停止している。海を越えてこの街まで来るほどの時間が経っているのなら、遺体の腐敗が始まるはずだが、ミオードの身体は無残な傷痕を残し息絶えた瞬間から、時間が止まっているかのようだった。レイアンが苦渋の表情で神父を見上げる。
「本当に、ミオードは生き返るのか? そんな事が可能なのか?」
言葉を探しながら神父は慎重に答える。
「通常であれば、彼の身体は大地に帰っているはずです。しかし、まるで死の瞬間から時間が止められているように見えます。つまり、彼はまだ死ぬ事ができないのです。神々から救世の使命を与えられたからには、なんとしてでも果たさなければならないのでしょう。それは非常に過酷な事です。これほどの大怪我を負っていながら死ねないのですからね。息を吹き返す時にこの傷も癒えるでしょう。しかし、痛みと恐怖の記憶は消えません。魔王を討つという使命を果たそうとするならば、この先何度も同じ事が起きるでしょう。」
フィオナ達は顔を見合わせる。レイアンが神父を見つめた。
「それは、正しい事なのか?」
「私にはわかりません。神々がなぜ彼を選んだのかを、我々が伺い知る事はできません。彼が世界を救う使命を果たせなかったなら、この世界は魔王の手に落ち我々は滅ぼされてしまうでしょう。聖職者である私がこんな事を言ってはいけないのかもしれませんが、しかし、使命を受け入れるかどうかは、彼自身が決めて良い事だと私は思います。」
神託を受けた夜にも、なんと惨い運命を背負わせるのかと感じたのだ。ミオードの傍らに立ち神父は言葉を続ける。
「私は神々から『命を落とした勇者を蘇生させよ』をいう使命を受けました。私の使命を果たす時です。しかし、蘇生した彼が勇者として生きるかは別の話です。」
神父の言葉にレイアンは頷いた。
「あぁ。俺はミオードが勇者だろうが何だろうかどうでもいい。こいつが生きていてくれれば、それだけでいいんだ。もし魔物がしつこくこいつを狙うなら、こんどこそ俺が全力で守る。」
「もし、ミオードが使命を受け入れられなかったら、私が代わりに魔王を討つわ。」
「僕もミオードに代わり勇者を名乗ろう。僕も神託を受けた者には違いないのだから。」
フィオナとウォルティの力強い言葉に神父は微笑んだ。世界の未来は明るいに違いない。
「では、彼の生命を取り戻しましょう。このままでは神託を受け入れるか否かの選択もできませんからね。」
「よろしくお願いします。」
真摯な顔で頭を下げたレイアンに頷き、神父はミオードの胸に手を添えた。レイアン達もベッドのそばに腰を下ろし見守る。神父の胸元に刻まれた翼型の痣が熱を持ち発光する。神々の導きに従い、神父は祈った。
「神々に選ばれしミオード。我は願う。その彷徨える御霊よ。光射す場へ戻り給え。」
淀みなく紡がれる神父の祈りの言葉に応えるかのように、ミオードの身体を包む光が強くなる。光が渦を巻きミオードの全身の傷を癒していく。傷が瞬く間に消えていくさまにフィオナ達は驚きの声を上げる。深い胸の傷も癒えた時、青白かったミオードの頬に血の気が差した。まぶたがぴくりと動き、小さなうめき声を上げる。次の瞬間、絶叫が響いた。
「ミオード、ミオード! 大丈夫か!?」
レイアンが慌てて立ち上がり、言葉にならない声を上げ震えるミオードの身体を抱き寄せる。混乱と恐怖に満ちた悲鳴を上げるミオード。いったいどれ程の衝撃が彼を襲ったのだろうと神父は胸を痛める。突然魔物に襲われた故郷、生命を奪うほどの傷、死ななかった自分。
「……レイ、アン……? 無事だったのか? あれは、夢?」
自分を抱き寄せるレイアンに気付き少し落ち着いたのか、ミオードは心細げな声で問いかける。
「あれは、現実だ。助かったのは、俺とお前だけ。」
「助かった? 僕も? だって、僕は魔物に……。」
震える声で呟くミオードをレイアンが再び抱き寄せる。ミオードはゆっくりと辺りを見回す。フィオナとウォルティ、そして神父に視線を移す。
「ここは、どこ? どうして、僕は……。」
「お前は何も心配しなくていい。お前は自由だ。俺がお前を守る。」
「全部、本当だったのか。街が襲われたのも、僕が世界を救う勇者だっていうのも。」
沈んだ声で呟くミオードに神父は首を振った。
「あなたは確かに神々に選ばれました。だけど、受け入れるかどうか決めるのはあなたです。誰もあなたに命令はできません。」
神父の言葉にミオードは小さく笑った。
「神々からの使命を、拒否できると思いますか? 僕がやらなくちゃいけないんでしょう?」
「おい、よせって。」
レイアンの制止を振り切ってミオードは声を上げた。
「僕を生き返らせたのは、結局、僕に行けって言いたいからでしょう?」
「俺が頼んだんだ! お前に生きていてほしいから!」
レイアンを振り仰ぎミオードは静かに言った。
「余計な事しないでよ。」
ミオードは一同を見回し静かにしかし強い口調で言った。
「僕は、行かない。」
「あなたがそう決めたのであれば、私から何も言う事はありません。」
神父は穏やかな口調で言うとミオードに微笑んだ。だがその瞳には強い憤りが揺れていた。
「腐りもせず死にきれない遺体をそのままにはできませんので、あなたの魂を呼び戻したまでです。あなたはもう自由です。」
「そう。それじゃ。」
立ち上がり部屋を出て行ったミオードをレイアンとウォルテイが追いかける。レイアンの怒鳴り声を聞きながらフィオナは不安な顔で神父を見上げた。
「どうしてあんな言い方をなさったの?」
「自分で、本当に選ばなくてはいけないからですよ。」

あんな過酷な運命を、有無を言わさず受け入れろというのは間違っている、と神父は思う。だが、どの道を選んでも、後悔する事のないように。寄り添う者を、傷つける事のないように。
ミオードが出て行った扉を神父は祈りを込めて見つめていた。

第9話・終


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