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ロレウスは頷いたレイシェルに安心したような笑みを浮かべると、表情を引き締め倒れたグラドへ歩み寄る。膝をつきグラドのそばに屈むと、見開かれたままの目をそっと閉じてやりグラドの胸の上に手をかざす。ふわりとグラドの身体がわずかに浮き上がる。ロレウスが目を閉じそっとかざした手を握ると、グラドの身体は砂のようにゆっくりと崩れて風に運ばれ舞い上がる。微かな光を発して舞い上がり、木々や大地へ吸い込まれるように消えてゆくそれは、蛍が舞うような光景を作り上げていた。レイシェルはそばに飛んできた光の粒にそっと手を触れる。
「彼は、一族の中で居場所を探す事に必死だったのですね。」
悲しげに呟いたレイシェルに、ロレウスはやり切れない思いで静かに語る。
「父に聞いた話では、今の長の頃から一族の動きが変わってしまったらしい。我らの身体は旅してきた星々の記憶とエネルギーを宿しているそうだ。力尽きた地で、自分の想いと共にそれらを解放してやり大地の新たな命の糧とする。我らの役目は命を愛しその循環を助ける事であって、命を支配する事ではないのだ。」
すっかり暗くなった空を見つめロレウスは話を続ける。
「一族の旅が終わる事は無い。だが長は力を取り戻すべくこの地で眠りについている。他の者達も長を守るためこの地に留まっている。それはあってはならない事だ。この地の命の循環は既に一族の手を離れている。そこに一族が長く留まっているから弊害が生じているのだ。すぐに次の大地を探し旅立たねばならない。」
レイシェルを真っ直ぐに見つめ、ロレウスは言葉を続けた。
「長を討ち魔界の皆が地上で暮らせるようになったら、私は残った一族を連れて新たな大地へ向かう。その時はレイシェルにもついてきてほしい。」
「はい、どこまでもロレウスについていきます。私の帰る場所はロレウスがいる所ですから。」
ロレウスの視線を受け止め頷いたレイシェルは何かを振り払うように鋭く首を振った。レイシェルはロレウスの澄んだ目を見つめ返す。
「私のすべては、あなたのために。」
真摯な口調で告げられたその言葉はレイシェルの誓いであり、予言のようでもあった。
舞っていた光は木々と大地へ吸い込まれ徐々に数を減らしていく。最後の一筋の光の粒が一際大きな閃光を放つのをロレウス達はじっと見守っていた。光が消え辺りに夜の闇が戻ると、ロレウスは静かに立ち上がり胸に手をあてる。レイシェルも側に立ち同じように胸に手をあてた。イルは頭を垂れて目を閉じている。ロレウスはグラドの想いも背負って行くのだろうと、レイシェルは感じた。魔界で待つ者達の命運と、救えなかった者達への想い。ロレウスの生きる道は彼らのためにあるのだろうか。レイシェルは祈るロレウスをそっと見つめる。ロレウスはロレウス自身のために生きる事は出来ないのだろうか。レイシェルの視線に気付きロレウスは顔を上げた。
「あぁ、すまない。疲れただろう。休息の準備をしよう。」
街道から逸れた野営の跡の残る場所にロレウス達は休息の準備を始めた。枯れ木を集めて火を起こす。レイシェルは懐から獣避けの香を取り出した。自分で野草を調合したものである。火をつけると辺りに野草独特の強い香りが漂った。軽く眉間にしわを寄せ風上に移動したイルに謝りながら、レイシェルは自分達を囲うように香を焚いた。
「これで野犬や狼の類は近づいてきません。一晩は効果が続きますから、後は盗賊とロレウスの敵に注意すればいいでしょう。もっとも、こんな荷物の少ない旅人を襲う盗賊なんて滅多にいませんけど。」
てきぱきと準備を進めるレイシェルの言葉に、やはり彼女は野営に慣れているのだと感じたロレウスは胸を痛めた。リスヴィアやフラジアの街で見かけた年頃の少女達は、華やかに着飾り幸せそうに街路を闊歩していた。働いている少女達も、目を輝かせ将来に希望を抱いているようだった。彼女達は夜の森の中で眠る事など無いであろう。身を守る為に剣を手にする事も。
保存食で簡単な食事を済ませると、レイシェルは揺れる焚き火の炎を静かに見つめていた。上空から辺りを見回っていたイルが戻ってくる。その様子から周囲に敵がいない事を察したロレウスはイルを労うとレイシェルの隣にそっと腰を下ろした。
「眠れないのか? 私とイルで見張りを続けるから休んでいてくれて構わないぞ。」
レイシェルはロレウスの言葉に顔を上げる。
「いえ、そういうわけではなくて、自分がこうして誰かと共に旅をしているのが何だか不思議なんです。」
レイシェルは焚き火に視線を戻すと静かに言葉を続けた。
「私はこの容姿と力のせいで幼い時に親に捨てられました。一人きりで森を彷徨っていた時、通りがかった旅人が私を拾ってくれたんです。その人は私と同じ左右違う色の目をしていました。私の名前はその人がつけてくれたんです。幼なかったので顔もはっきりと思い出せませんけど、その人に連れられて半年くらい一緒に旅をしました。神官達に追われながら、一人で生き抜いていく方法をその人から学びました。」
揺れる炎を見つめながらレイシェルは淡々と話し続ける。
「逃げる途中で離れ離れになってしまって、その人の消息はわかりません。その人は私に『魔力を持って生まれた事を呪うな。運命を受け入れて生き延びろ。』とよく言っていました。小さな頃は、何故自分が捨てられたのか、何故追われながら生きていかなくてはならないのか、全くわかりませんでした。」
これまでの旅をレイシェルは語る。怪我をした子どもを治癒し恐れられた事。洪水や火山の噴火を予知し村人に逃げるよう告げて気味悪がられ、それらの災害が起きた後には「疫病神」「魔物」と罵られた事。魔力を役立てようとし、その度に恐れられ命を奪われそうになり逃げる。そうしてさまよう内に、この力のせいで疎まれると気付いたレイシェルは心を閉ざし、自分が生き抜く事だけを考え自分の為だけに力を使ってきたという。ロレウスを見上げレイシェルは言葉を続けた。
「ロレウスに会えて、自分の力をロレウスの為に使える事が嬉しいです。私は生きていてもいいのだと感じられるんです。私の生きる理由はロレウスにあります。」
ロレウスはレイシェルを見つめ返す。レイシェルが微笑んでいるように見えたのは揺れる焚き火の明かりのせいだろうか。レイシェルが自身の存在意義を、ロレウスに見出してくれたのならこれほど喜ばしい事は無い。ロレウスはそっとレイシェルの手を取り微笑んだ。
「私がいる限りレイシェルが生きていてくれるなら、私は喜んでレイシェルの生きる道になろう。」
触れ合った手の先をレイシェルは見つめる。ロレウスはロレウス自身の為に生きてほしいと思ったが、口には出さないでいた。誰かの為に生きる事が、ロレウスの生きる理由なのかもしれない。
梟の鳴き声と焚き火の爆ぜる音が響く。静かな夜の中でやがてレイシェルは眠りについた。未だかつて経験したことの無い、安堵に包まれた眠りだった。


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