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夕方、仕事を済ませ港町フラジアからバーンレイツに帰る途中、エルセンは盗賊達に襲われた。荷物にはバーンレイツ国王の親書を始め貴重な資料もあった。奪われるわけにはいかない。己の剣の腕を過信し護衛をつけずに来た事をエルセンは後悔した。囲まれて剣を抜き対峙したエルセンだったが、最初こそ優勢であったものの多勢に無勢、あっという間に形勢は逆転した。街道沿いの森に追い込まれ、エルセンは剣を振るいながら次第に消耗していく。背中を切りつけられ転倒したエルセンを取り囲んだ盗賊達の目は凶暴な殺気に満ちていた。剣や棍棒を手に盗賊達はじりじりとエルセンの包囲を狭めていく。血と冷たい汗が背中をつたう。絶体絶命、エルセンは救いを求めるように天を仰いだ。その瞬間、晴れていたはずの空から稲妻が落ちてきた。木々の隙間を縫い幾筋もの稲妻が、エルセンを避け盗賊達の身体を狙ったように落ちてくる。悲鳴を上げながら倒れていく盗賊達。辛うじて稲妻の直撃を免れた者も、武器を捨て一目散に逃げ出して行った。何が起きたのかとエルセンが呆然としている間に稲妻は止み、虫の息で倒れている盗賊達を蹴飛ばしながら男が近付いてきた。
「一人をこんな大人数で襲うとは、情けない連中だ。」
呆然と座り込んだままエルセンは男を見上げる。
「あんたもこんな時間に一人で荷物抱えて歩くなんて、狙って下さいって言ってるようなもんだぞ。大丈夫か? 怪我をしてるようだな。」
エルセンの背中の傷に気付き、男はしゃがみ込むと困惑するエルセンの背に手をかざした。男が小さく何か呟くのが聞こえ、背中に微かな熱を感じる。熱が傷を覆うように広がったかと思うと、痛みは嘘のように消えていた。そっと背中に手を伸ばすと、切りつけられたばかりの傷は跡形もなく無くなっている。
「もう他人に力は使うまいと決めたが、やはり放ってはおけないな。」
立ち上がり自嘲気味に男は呟く。エルセンも慌てて立ち上がった。何が起きたのかまだ把握できていないが、目の前の男が自分を助けてくれたのは間違いない。
「助けて頂きありがとうございます!」
気にするなと笑った男の顔をエルセンは見つめた。傷を負っているのか左目に黒い眼帯を付けたやつれ気味の男。そして彼の後ろに立っている痩せ細った幼い少年。突然落ちてきた稲妻、塞がった傷。一体彼は何者なのだろう。だがそんな疑問は、青ざめた顔でよろめく男を前にして吹き飛んで行った。
「さすがに力を使い過ぎたか……。」
そう呟き男は倒れ込む。男の肩から血が流れているのが見えた。エルセンは男を支えながら少年の手を引き街道へ戻ると、通りがかった荷馬車を止めた。盗賊に襲われ怪我をしたと話すと馬車の主は快くエルセン達三人をバーンレイツまで乗せてくれた。馬車に揺られながらエルセンは考える。盗賊達を撃った稲妻は恐らく彼が呼んだのだろう。怪我を治した力といい、不思議な人物だ。だが恐ろしさは感じない。心配げに彼の手を握っている少年は彼の息子なのだろうか。何故傷を負いながらあんな人気の無い森にいたのだろう。バーンレイツに着き馬車を降りると、エルセンに支えられ男はすまなそうに口を開いた。
「かえって迷惑をかけてしまったな。」
「とんでもない。助けて頂いたお礼ができて良かったです。うちは私以外誰もいませんから、どうぞ休んで行って下さい。」
男の傷を手当てすると、数日間ろくに食べていないと言う男ジュレイドと少年アルバスにエルセンは食事を振舞った。ジュレイドの不思議な力については聞かない事にした。自分を助けてくれた人物を詮索するなんて不躾な事だと、助けてくれた事に感謝するだけで充分だと思った。ベッドで眠るアルバスを見つめながらジュレイドはエルセンに問い掛ける。
「聞かないのだな。」
「何をです?」
「俺達の事や俺の力の事だ。」
「事情がおありなのでしょう? 詮索は趣味ではありませんから。」
小さく首を振り微笑むエルセンをジュレイドはじっと見据える。ジュレイドが魔力を行使しても怯えや嫌悪を見せなかったエルセン。しばらく逡巡していたジュレイドは意を決したように口を開いた。
「あんたなら信用出来そうだ。」
ジュレイドは眼帯に手をかけるとそっと外す。現れたのはルビーを思わせる真紅の瞳。人間には持ち得ない色だ。真紅と茶色の左右異なる色の瞳でジュレイドはエルセンを真っ直ぐに見つめる。ジュレイドの視線を受けてエルセンもその目を見つめ返した。だがそれでもジュレイドに対し恐ろしさは湧いてこなかった。動じないエルセンに安堵しジュレイドは言葉を続ける。
「俺は人間として生まれてこなかったらしい。ガキの頃から化け物扱いされて逃げ回っていた。誰もが俺を魔物だと言って恐れた。ただ一人、瀕死の俺を助けてくれた女性を除いてな。アルバスは俺とその女性の息子だ。アルバスが生まれてすぐに死んじまったけどな。」
淡々と語るジュレイドの目に悲しみが浮かぶ。
「どんなにこの力を役立てても、世の中は俺を受け入れなかった。人間ってのは自分達と明らかに異なるものは排除しないと安心できないらしい。」
ジュレイドはアルバスに視線を移すと辛そうに顔を歪めた。
「俺はアルバスには同じ思いをさせたくないんだ。幸い、アルバスの見た目は他の人間と変わりない。だけど、俺の血をひいてる以上、いつ俺みたいになっちまうかわからない。俺と一緒にいると同類とみなされて殺されるかもしれない。俺は神官達の手配書に載ってるらしくてな、どこに行っても命を狙われる。俺は普通に生きているだけなのにな。」
エルセンに視線を戻し、ジュレイドは悲痛な表情で言葉を続ける。
「だから、あんたにアルバスを託したいんだ。無理にとは言えないが、あんたならアルバスを任せられる。アルバスは俺が実の父親だとは知らない。アルバスの父親になってほしい。置いて行くのは辛い。けどあいつを守るには俺から離れるしかないんだ。」
ジュレイドの表情にエルセンは胸を痛める。何故彼らがそんな目に遭わなくてはいけないのか。離れる事でしか息子を守れない、そんな状況にジュレイド達を追いやった神官達に憤りを感じた。
「頼まれてくれるか?」
「わかりました。アルバスは私が全力で守ります。」
震える声でエルセンが答えるとジュレイドは安心したような悲しいような複雑な表情を浮かべた。
翌朝。目を覚ましたアルバスにジュレイドは告げる。
「アルバス、私は一人で行く。お前はここに残れ。」
「え……?」
困惑した表情のアルバスにジュレイドは言葉を続ける。
「お前は今日からここで生きるんだ。もうお前は逃げ回らなくていい。エルセンがお前を守ってくれる。」
「いやだよ! 一緒に行く!」
「お前を連れてちゃ思い通りに動けないんだ! 足手まといなんだよ!」
心にも無い事を言って突き放すジュレイドの目には涙が滲んでいた。冷たい言葉とは裏腹に悲しい表情を浮かべているジュレイドに、アルバスは立ち尽くす。
「私の事は忘れて、エルセンと家族になって幸せに生きるんだ。たとえ何があっても、自分の生い立ちを呪うな。運命を受け入れて生き延びろ。」
「急にそんなの言われてもわかんないよ!」
泣き出したアルバスの頭を撫で、ジュレイドはアルバスに視線を合わせしゃがみ込む。
「今はまだわからなくていい。いや、むしろわかる日なんか来ない方がいいんだ。」
しばらくアルバスをなだめるように頭を撫でていたジュレイドは、やがて未練を振り払い立ち上がった。
「元気でな。エルセン、本当にありがとう。よろしく頼む。」
悲しみに満ちたジュレイドの目に、アルバスは動けなかった。エルセンの目にも涙が浮かぶ。しゃくり上げながらアルバスはエルセンを見上げた。
「どうして、一人で行っちゃったのかな? どうして、あんな泣きそうな顔をしてたのかな?」
エルセンはしゃがんでアルバスの肩をそっと抱いた。
「ジュレイドはね、アルバスの事がとっても大事なんだ。だからどうしても一人で行かなきゃいけなかったんだ。」
「わかんないよ。僕はどうしたらいいの?」
「ジュレイドを忘れたくないなら忘れなくていい。アルバスがすべき事は幸せに生きる事だ。そしてアルバスを守って幸せにする事はジュレイドと私の大切な約束だ。一緒にいられないジュレイドの分まで、私にアルバスを守らせてほしい。」
アルバスはエルセンの目を見つめる。穏やかなエルセンの眼差しは少しずつアルバスを落ち着かせた。ジュレイドがどうして追われ放浪していたのかアルバスにはまだわからない。自分とジュレイドの関係もアルバスは知らない。ただ、ずっと自分を守って逃げてきたジュレイドが、一人にならなければならないほどの何か大きな事情があるのだと幼いアルバスにもわかった。そして、そんな事態でも決してアルバスを一人にせず、信頼出来る人物に託していったのなら、それを振り切ってジュレイドを追う事は間違いだと思った。あまり他人と関わらなかったジュレイドが信じたエルセン。「エルセンの家族になって幸せに生きろ」とジュレイドは言った。去っていくジュレイドにエルセンが浮かべた涙。アルバスはエルセンを見上げ微笑んだ。肩を抱くエルセンの手は温かかった。アルバスがエルセンを「父さん」と呼ぶまでにさほどの時間はかからなかった。


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