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19


神殿へ走るロレウス達の耳に鐘の音が聞こえてくる。
「この音は?」
はっとした顔をするアルバスにロレウスは問い掛ける。
「神殿のある広場で異端審問が始まる合図だよ。でも審問なんて名前だけで実際は神官が気に入らない奴を処刑するんだ!」
「急ぎましょう!」
走りながらレイシェルはアルバスの横顔をちらりと見る。どこかで会ったような気がしてならない。しかし気のせいだろうと首を振る。記憶に残る程関わった人物などほとんどいないのだから。
「あそこだよ!」
レイシェルの思考を破るようにアルバスの声が響く。木々の向こうに神殿らしき建物の尖塔が見える。神殿へ続く門の前には鐘の音を聞いた人々が憂鬱げな顔で集まっていた。神官達は町の人々に「鐘の音が聞こえたら神殿前の広場に集まるように」と触れを出していた。「公平性と正当性を保つ為、審問と処刑は公でなくてはならない」というのが神官達の言い分だが、集まった人々が審問に口を挟む事は許されず、ただ事態を見守るだけ。皆を集めるのは単に神殿の力を見せつけておきたいだけであることは明白だった。広場中央の審問台にエルセンが現れると人々はやはり、とどよめきを漏らす。年かさの神官が集まった人々を満足げに見回すとエルセンの前に立った。
「エルセン・フォード。神々を愚弄し由緒正しき神話を汚す行いが報告されている。これよりお前の異端審問を執り行う。」
老神官の言葉が終わると若い神官が大きな松明を抱え現れた。エルセンの前の台に松明を立てると老神官の後ろに控える。老神官は懐から火打石を取り出し松明に火を灯した。石から散った火花は一瞬で大きな炎に変わる。燃え盛る松明を指差し老神官は言い放った。
「この炎は神々の聖なる力が宿っている。お前が潔白ならば炎はお前の手を焼いたりはしない。だがもしお前が神々に背く魔王の配下であるなら、その炎はお前の手を焼き尽くすだろう。さぁ、お前が潔白だと言うなら炎に手を入れてみるがいい。」
エルセンはじっと炎を見つめた。側に立っているだけで熱が伝わってくる。手を入れたりしたらただでは済まないだろう。だが拒めば魔王の配下だと認めた事になり処刑される。エルセンはふっと笑った。こんな炎に手を入れれば火傷を負うのは目に見えている。どのみち助かる術はないではないか。
「どうした? さぁ、早くやれ。」
急かす老神官を見据えエルセンはゆっくりと口を開いた。
「この炎が、本当にただの炎ではなく聖なる炎だという事を証明できますか?」
「何を言うか!」
憤る神官達を見回しエルセンは言葉を続ける。
「この炎が万が一ただの炎だったなら、潔白な人間でも火傷を負ってしまうでしょう。あなた方はそうやってありもしない罪を捏造しているのではないですか?」
集まった人々のどよめきを聞き老神官は声を張り上げた。
「貴様、この期に及んでまだ神々を愚弄するか! 審問の必要は無い、こいつは神々を愚弄し人心を惑わす魔王の配下だ! 処刑の準備をしろ!」
ため息をついたエルセンが若い神官に縛られた時、人々の輪の中から声が響いた。
「その人の言う事はもっともじゃないか。その炎は本当に聖なる力があるのか?」
「誰だ!」
戸惑い立ち尽くす人々を掻き分け、ロレウスは神官の前に歩み出た。
「その炎が本当に聖なる炎かどうか、証明する手段はあるぞ。」
「貴様、何者だ!」
「質問をしたのはその人の方が先だ。私に尋問するのはその人の問いに答えてからにするんだな。」
老神官はロレウスとエルセンを睨み叫ぶ。
「この火打石も松明も神殿で大切に保管してあるものだ。神話の時代より伝わる由緒正しきもの、愚弄する事は許さん!」
「神殿にあったからといって聖なる力があるとは限らないだろう。その力とやらを証明してみせろと言っているのだ。」
エルセンはロレウスを見つめた。旅人のようだが何故神官に逆らってまで自分を助けようとするのだろう。そっと見回すと、アルバスが旅人らしき若い女性に連れられ泣きそうな顔をして立っているのが見えた。女性は心配げにロレウスを見つめている。アルバスと目が合い、大丈夫だと頷きかけると、エルセンはロレウスに問い掛けた。
「その炎の力を証明する手段があると仰いましたね? どうしたら証明できますか?」
ロレウスはエルセンを振り返り笑みを浮かべた。
「簡単な事だ。」
神官達に視線を戻すとロレウスは神官の一人を指差し言葉を続けた。
「お前達のうちの誰かがまずこの炎に手を入れてみればいい。まさか神官が聖なる炎に手を焼かれるなんて事は無いだろう。」
「貴様、我々を愚弄する気か!」
憤り詰め寄る神官にロレウスは答える。
「愚弄などと。私はただ真実を知りそれを広めたいだけだ。」
その言葉にエルセンは、彼は自分を訪ねてきたのだろうかと考えた。そして自分と同じような考えを持った人が他にもいた事に安堵する。少しはこの国も落ち着くだろうとアルバスに視線を移した時だった。アルバスの表情は相変わらず泣きそうで、傍らに立つ女性も不安な顔をしていた。そして何より、町の人々の表情が暗く冷たいものに変化していた。余計な事を言って神官を怒らせた事が、彼らの不安や憤りを煽っているようだった。人々の意識が変わらなければ、この国は永久にこのままだ。エルセンは小さく首を振る。神官達はいつの間にかロレウスとエルセンを取り囲んでいた。神官の一人が唇を歪めロレウスに指を突きつける。
「そうか、貴様、仲間を助けに来たのだな。しかもその黒く長い髪、魔大戦の魔王の姿によく似ている。」
「話をすり替えるな。黒髪長髪の男など星の数程いるだろう。」
「しかし異端者を助けにくる黒髪の男などそうそういない。ついに姿を現したな、魔王よ!」
叫ぶや否や神官は携えた短剣を抜きロレウスに切りかかる。振り下ろされた剣を受け止めロレウスは小さく笑う。
「短絡的だな。」
ロレウスの髪を黒だと言うのは幻視魔法が効いている証。ロレウスの正体を見破ったわけではない。だが、「魔王」という叫びは町の人々を突き動かした。魔王のせいで、自分達の暮らしが脅かされていると思い込まされているからだった。
「地底へ帰れ!」
「化け物!」
突如浴びせられた声にロレウスは振り返る。人々は恐怖と憎悪を浮かべた顔でロレウスとエルセンを睨みつけていた。レイシェルとイルはアルバスを守るようにして人々の輪から離れている。エルセンは自分に向けられる憎悪の眼差しに困惑し、落胆した。アルバスを連れてこの国を出ようとエルセンは考えた。この包囲網を生きて抜けられればの話だが。観衆を味方につけた事に満足すると神官は声を張り上げた。
「創世時代からあるこの国を手始めに滅ぼそうというのだな! 仲間を助けになど来たのが運のつき、貴様の野望はここで永久に終わるのだ!」
芝居がかった神官の叫びは抑圧されていた人々の気持ちを揺さぶった。ロレウスに剣を突きつける神官に歓声が上がる。ロレウスは神官達を見据えた。ただの人間の神官だ。一族の姿はない。だがこの周囲に強い力を持つ者が潜んでいる気配がある。何者か? そしてこの場をどうするべきか。考えている時間は無いようだった。神官達はそれぞれ剣を抜きロレウス達の包囲を狭める。町の人々も殺気立った目をして武器になりそうな物を手に近付いてきていた。ロレウスは剣を抜くと素早くエルセンに近付き手の縄を切る。
「大丈夫か?」
「はい、ありがとうございます。」
「戦えるか?」
「剣の心得はあります。」
神官はすっかり陶酔した様子で尚も叫ぶ。
「さぁ、皆も力を貸せ! 我らの手で神話に新たな伝説を刻むのだ!」
神官の言葉に、暴徒と化した人々が押し寄せてくる。エルセンはどこに隠し持っていたのか、レイピアを抜き構えていた。剣術に長けた神官達と、怒りに任せて攻撃を仕掛けてくる人々。エルセンはレイピアを鞭のようにしならせて襲い掛かってくる人々を最小限のダメージで気絶させるす。街の人々に罪は無い、無益な殺生はしたくないのだろう。ロレウスは神官の剣を弾きながらエルセンの戦いぶりを見ていた。無駄な動きが無く剣捌きも早い、だが相手を気絶させるだけで傷を負わせはしない。このままでは押される一方だ。審問台に立たされたエルセンに同情的な視線を送っていた人々が手のひらを返し、命を奪うべく襲い掛かってくる。無益な殺生をしたくないのは解るが、やらなければこちらがやられてしまう状況でもなお、相手を斬ろうとしないエルセンを甘いと思った。気絶に至らなかった人々は更に怒りを深めエルセンに襲い掛かる。エルセンは傷を負い消耗していく。エルセンの意志を尊重しロレウスも襲ってくる人々から武器を奪って昏倒させ戦意を喪失させるだけに留めていたが、どれほど退けても人々は深い憎悪を浮かべ襲い掛かってくる。国中の人々が、武器を手に集まったのではないかと思えた。きりの無い戦闘の中、エルセンがついに倒れる。駆け寄ろうとした瞬間、ロレウスの背後で強い魔力が放たれた。
「やめろぉおぉぉーーー!」
絶叫しながら剣を構えたのはアルバスだった。その姿を見たロレウスは自分の目を疑った。


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