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レイシェルの目を見てダスバルは胸を締め付けられるような気がした。これまで、自分以外の誰かの為に悲しむ者の姿など見た事がなかった。長に付き従う一族も、地上に溢れた人間達も、ダスバルの目に映る者達は皆自分の事を第一に思う者ばかりだった。ロレウスを想い、悲しい目をするレイシェルはダスバルに興味以上の感情を湧き起こさせる。もし、ロレウスより自分の方が先にレイシェルと出会っていたら、彼女の想いは自分に向けられただろうか。ふいにそんな事を考え、我ながら愚かな考えだと小さく笑った。気を引き締めようとダスバルは愛馬の手綱を握り直す。もうそろそろ、目的の大陸が見えてくるはずだ。人目につかないほどの遥か上空から大地を見下ろす。バーンレイツから西、広い海を越えた先に広がる大陸。ここに来るのは何年ぶりだろうとダスバルは懐かしい想いで目を細めた。ここは、一族がこの星で最初に下り立った大陸だった。ダスバルが物心ついた頃である。遥か上空から見下ろす景色はあの頃とほとんど変わらず、青い海と緑の大地が太陽の光を受け煌いている。だがよく近づいて見れば、森林は居住地を求める人間達にむやみやたらと切り開かれ、山は希少な鉱石が出ると聞いた人間達に無残に掘り起こされ、川も海も濁りかつての美しさを失っている。欲深な人間達、そんな彼らを利用して生きようとする一族、どちらもダスバルには許しがたい排除すべき存在だった。美しいものを愛するはずの一族が、こんな風に堕落してしまったのはいつからだろうとふと思う。星間を旅し大地に生命の循環を生み出す役目を負い、安住の地を持たず、魔力を行使し苦しい旅をする代償に、思い通りの生命を生み出す力を持つ一族は、大地を美しく育て保つ事を何よりの喜びとしていたはずだった。かつては競い合うように美しい植物や賢い動物を生み出し、大地の命の循環を無駄の無いものにするため研究を重ね自らの魔力を磨いていたが、今ここにいる者達は何も生み出しておらず、命の循環や大地を美しく保つ事にも興味を無くしている。自分達がいかにして人間を支配するか、そのための権威を守る事しか頭にない。そして一族の存在は、長い年月をかけて作り上げたこの大地の生態系に悪影響しか与えない。美しかった原初の大地を取り戻し、この大地に包まれて生涯を終えるのだとダスバルは改めて誓った。視界の下に見えてきた大陸へ向けてダスバルは天馬を下降させる。レイシェルを見下ろしダスバルは口を開く。
「さて、もう少し俺のものでいてもらおうか。」
再びレイシェルを炎の鎖が捕らえた。レイシェルの目の前に手をかざすと、その目から力が消える。虚ろな目になったレイシェルを見つめダスバルは残念そうに笑う。
「俺のものになってるあんたじゃ、魅力は半減だな。」
視線を下方へ戻しダスバルは神殿に向けて天馬を駆る。大地が近付くにつれ木々がはっきりとした形を取り、間を流れる小さな川の姿も見えるようになった。森林地帯の奥にある神殿へ向けてダスバルは天馬を進める。一族が張った結界のお陰でこの辺りの自然は人間の手には落ちておらず、濃く瑞々しい息吹を放っていた。神殿の門が見え始めた所でダスバルは天馬を降り森の中を進む。門を抜け神殿の入り口まで来るとダスバルは天馬からレイシェルを下ろし、炎の鎖を解いた。
「あんたはこの辺りに隠れているんだ。奴が来たらあんたにかけたもう一つの術を解く。」
虚ろな目のままで頷いたレイシェルに頷き返すと、ダスバルは神殿の入り口をくぐる。息を荒げ戦闘で消耗した風を装うと、ホールの床に倒れるように座り込んだ。見張り役の神官兵が慌ててダスバルに駆け寄ってくる。
「ダスバル様、どうされましたか? バーンレイツの2つの神殿が魔王の襲撃を受けたと聞いていますが。」
荒げた息を整えるとダスバルは口を開いた。
「魔王は俺が一旦退けた。だが奴はすぐに回復してここを嗅ぎ付けてくるだろう。もう時間が無い、一刻も早く長の復活の儀式を始めるんだ。」
「わかりました。ノレイヴァ様に伝えます!」
神官兵が口にした名前にダスバルは内心で舌打ちをする。ノレイヴァは長の側近中の側近であり、長が眠りについている現在、実質的な一族のトップにいる男だ。慇懃で何を考えているのかわからない、痩せぎすで冷たい目をしたノレイヴァはダスバルが最も嫌う人物だった。だが長を目覚めさせろという以上、ノレイヴァを無視するわけにはいかない。神官兵が立ち去ると同時に前方から冷たい声がした。
「何用だ、ダスバル? お前にはバーンレイツ神殿と水晶の警護を命じておいたはず。ここで何をしている?」
ゆっくりと立ち上がるとダスバルはノレイヴァに視線を向け荒い息で演技を続ける。
「ヴァルジールの息子が現れた。退けたがここへ来るのも時間の問題だ。一刻も早く長を目覚めさせるんだ。」
懐から偽物の水晶を取り出しノレイヴァに差し出す。ゆっくりとそれを受け取ると、ノレイヴァはダスバルを見据える。
「そうか、ご苦労だったな。」
その言葉が終わると同時にノレイヴァの右手に槍が現れた。ノレイヴァの槍が至近距離からダスバルを襲う。ダスバルは咄嗟に防御結界を張ったが、槍は結界を貫いてダスバルの肩に突き刺さる。
「お前の企みなどお見通しだ。本物の水晶を渡してもらおうか。」
肩を貫かれながらもダスバルは不敵に笑う。
「へっ、嫌なこった。あんたに渡すくらいなら魔王の奴に渡してやるさ。」
ダスバルの言葉に表情を変えず、ノレイヴァは槍から手を離す。ダスバルを貫いたまま槍は宙に浮かんだ。ノレイヴァが右手を振ると、槍はダスバルの身体ごと壁に突進する。壁に叩きつけられ苦悶の声を上げるダスバルを見据え、ノレイヴァは淡々と口を開く。
「お前の考えなどお見通しだと言っている。お前が答えなくとも、本物の水晶の在り処を探す事など容易だ。苦痛を感じていたいのならいくらでも黙っているがいい。」
ノレイヴァが再び右手をかざした時、神殿の入り口から飛び込んできた黒い物体がノレイヴァの身体を突き飛ばした。ふいの攻撃を受け倒れたノレイヴァは怒りの形相で攻撃を与えた対象を探す。それを目にしたダスバルは我が目を疑った。ノレイヴァを攻撃したのは、ダスバルの天馬に乗ったレイシェルだった。レイシェルは天馬を駆って壁に磔にされたダスバルに駆け寄りながら天井を見上げ叫ぶ。
「ロレウス!」
次の瞬間、天窓を破りイルと共にロレウスが神殿に飛び込んでくる。レイシェルは困惑するダスバルに駆け寄って槍を抜き、傷の手当をする。
「あんた、どうして……。」
「私には幻惑の類の術は効きません。ロレウスの為にあなたを利用させてもらいました。ごめんなさい。」
治癒魔法を受けながら、レイシェルの言葉にダスバルは一瞬唖然とし、自嘲気味に笑った。
「すっかり騙されてたわけか。あんた、すげぇよ。」


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