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ダスバルの天馬を追うロレウスは思考を巡らせる。レイシェルには幻惑や幻視の類の術は効かない。ロレウスはレイシェルがダスバルの術に落ちたふりをしているのだと察し、深く自分を責めた。ここへ着く前に「何があっても私を信じていてほしい」と言ったのはこの事だったのだと、レイシェルがそうして警告を発していたのに警戒を怠り、自分の力を過信していた事に気付かされる。
「レイシェル、辛い事をさせてすまない。」
ダスバルがレイシェルにかけた術を解き、2人が何か話しているのが伺える。何を話しているのかと2人の会話へ意識を凝らし、ロレウスは顔をしかめた。
「あの男、余計な事を。」
ダスバルの推測は的を射たものだった。ロレウスの生命力を得て魔界の人々は生き続けているが、彼らがそれを知るはずもなかった。知られるわけにはいかないのだ。もし知ってしまえば、彼らは自分の命を投げ出してしまうだろう。そんな事はさせたくなかった。地上への帰還は魔界に生きる人々の長い時をかけた悲願であり、それを叶えるのはロレウスにしかできない。それまでは自分の生命力を分け与え彼らを守るのだと、ヴァルジールの力を継承した時に覚悟は決めている。だがそう思った時、レイシェルの悲痛な声が聞こえた。
「そんなの、間違ってます。正しい命の循環じゃありません。」
確かにその通りなのかもしれない。だが、それが強大な力を持ち、魔界の人々の命と願いを背負った自分の生きる道なのだと、ロレウスは小さく首を振った。
「それが、私の存在意義。私の生きる理由なのだよ、レイシェル。」
言い聞かせるようにロレウスは呟いたが、レイシェルの悲しい声は耳に残って消えなかった。
ダスバルが天馬を下降させるのが見え、ロレウスもイルを下降させる。大地が近付くにつれ、この周辺一帯に一族の張った結界があるのがわかる。原初の自然が残る一帯は、ロレウスとイルが最初に降り立ったクーファン大陸の森林よりも更に濃く瑞々しい息吹を放っていた。森の奥へ進んだダスバルがレイシェルを外に残し神殿に駆け込んでいったのが見え、ロレウスはイルと共に神殿の門の上から様子を伺った。レイシェルは心配げに神殿の中を伺っている。しばらくするとはっとした表情で身を翻し、ダスバルの天馬を駆って神殿に飛び込んでいった。次の瞬間、レイシェルの声が響く。
「ロレウス!」
何かあったのだとロレウスはイルの手綱を取り天窓から神殿に飛び込む。レイシェルは天馬を駆り壁に槍で磔にされているダスバルに駆け寄っていた。そんな事ではないかと思ったのだ、計画がずさん過ぎる、一瞬の内にそんな事を思いながら、ロレウスはレイシェルの不意打ちを喰らった男を見遣る。怒りの形相で顔を上げた男に見覚えがあった。その男、ノレイヴァと対峙したロレウスは顔をしかめる。
「お前は、あの時の……。」
バーンレイツに向かうロレウス達を偵察し戦いを挑んできたグラドを、命令違反として殺した男だ。ヴァルジールを侮辱する言葉を残して消えた痩せぎすの男。ロレウスの心に怒りが沸き起こる。不意打ちを喰らったノレイヴァも憤りを浮かべた顔でロレウスを見据えた。
「裏切り者の息子が何をしにきた。」
ロレウスは剣を抜きノレイヴァを見据える。
「愚問だな。一族の真の目的を忘れた長とお前達を滅ぼす。」
「遅かったな。長はもうすでに目覚めの段階に入っておられる。後は増強した魔力を長の身体に戻し、力と身体の融合を待つだけだ。完全復活した長をお前ごときが倒せない。」
「何があろうとお前達を滅ぼす、私はそのために生きてきたのだ。」
「無駄だ。お前はここで死ぬ。そしてお前が死ねば魔界も滅びるはず。好都合だ。」
ノレイヴァが右手を掲げるとその手に槍が戻って来る。ロレウスは剣を構えると間合いを広げた。イルがレイシェルを守るべく傍へ飛んでいく。ノレイヴァも槍を構え殺気のこもった眼差しをロレウスに向ける。喉を狙い繰り出された槍を剣で弾くと、ロレウスは左手から青い炎を放った。ノレイヴァは瞬時に風を起こして炎を払いのける。風に煽られた炎はノレイヴァの背後で壁を爆破し轟音を上げた。その音に、神官兵が数人駆けつけてくる。戦闘を繰り広げるノレイヴァに彼らは驚愕の声を上げた。
「ノレイヴァ様!」
「こいつは一体!?」
ロレウスの剣を槍の柄で受け止めながらノレイヴァは神官兵を冷たい目で見遣る。
「貴様らどこで油を売っていた? ここはいいから長の警護に向かえ。」
ノレイヴァの表情と声音に恐怖し、神官兵達は一目散に神殿の奥へと駆けて行く。その様子にロレウスは眉をひそめた。自分達の配下だけでなく、生きる者すべてを同じように力と恐怖で支配するつもりなのだろう。自分達こそが「魔王」となりつつある事にどうして気づかないのか。やはり一族に大地を支配させてはならない。憤りを感じながら剣を引き、ロレウスは体勢を立て直す。睨み合い、間合いを詰めて斬りかかる。急所を狙い突き出される槍を弾き返し、青い炎を放つ。炎を喰らいながらも風を起こし真空の刃を放ったノレイヴァから離れ、剣を構え直す。長の側近中の側近というだけあってノレイヴァの戦闘能力は高い。わずかにロレウスが押してはいるものの、決定打にはならない。息を整え再び斬りかかる。ロレウスの剣をノレイヴァの槍が受け止める。押し合いながらノレイヴァの殺気のこもった眼差しと睨み合う。張り詰めた空気が2人を包む。引いて体勢を立て直そうとすれば生じたその隙を突かれる、それは間違いなくこの戦闘の決定打――致命傷になる。引けば負ける、睨み合いながら互いにそれを感じていた。こんな所で力を消耗している場合ではない、膠着状態を打破しようとロレウスは剣に力を込める。わずかにノレイヴァが後退りしたその時、ノレイヴァの背後に剣を振りかざすダスバルの姿が見えた。ダスバルの気配を察知したノレイヴァがロレウスの剣を押し返し飛び退く。ロレウスもすぐさま剣を引いた。一瞬前までノレイヴァが立っていた場所にダスバルの剣が叩きつけられる。床石を砕いたダスバルは身を翻しノレイヴァへ剣を向ける。
「貴様、どういうつもりだ。」
「お前の相手は俺だ、ノレイヴァ。」
ノレイヴァを見据えながらダスバルは背後のロレウスに叫ぶ。
「ロレウス、ここは俺に任せて奥へ行け!」
「大丈夫なのか?」
「これは俺のミスだ、自分のミスの後始末は自分でするさ。あんたの目的は長を討つ事だろう、早く行け!」
頷いてロレウスは神殿の奥へ走り出す。レイシェルを背に乗せたイルもその後を追う。
「させるか!」
ロレウス達を追おうとしたノレイヴァをダスバルの剣が制止した。
「お前の相手は俺だと言っている。」
「貴様、そんなに死に急ぎたいか!」
激昂しノレイヴァはダスバルに槍を突きつける。
「裏切り者がどうなるか教えてやる。」
「裏切り? 俺は俺の思うままに生きるだけだ。」
剣を構えダスバルはノレイヴァを睨み据える。力の差は歴然としていた。それでも負けるわけにはいかない。ロレウスと思惑は異なるがダスバルもこの大地を一族に支配させてはならないと強く感じていた。


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