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30


無言で頷きロレウスはグレデヴェルについて外へ出る。扉の向こうには原初の森林が広がり、木々の間から射す陽光が森林の緑をより一層濃く瑞々しいものへ煌かせていた。静謐で美しい場所だが戦闘をするには視界が悪く、動きも制限される。森林の形や地形を知らないロレウスには些か不利な場所だった。イルがレイシェルを背に乗せたまま上昇するのが視界の端に映る。レイシェルは慌ててイルの手綱を引いたが、ロレウスが頷いたのを見てイルはそのまま戦闘に巻き込まれないよう飛んで行く。それを一瞥し、グレデヴェルはわずかに開けた草地に立つとロレウスを振り返った。
「さぁ、いつでもかかって来るがいい。」
グレデヴェルは構えもせず一見無防備に立っている。だが、ロレウスには放たれる殺気がはっきりと見てとれた。迂闊に踏み込めば強力な魔法を喰らってしまう。剣を構え少しずつ間合いを詰めていく。いつでも魔法を発動させられるように集中し、攻撃のタイミングをはかる。動きを見せないロレウスにグレデヴェルはにやりと笑う。
「かかって来ないのならこちらから行くぞ?」
その直後、ロレウスの眼前にグレデヴェルの短剣が迫る。紙一重でかわすと、体勢を立て直す間もなく喉元へ刃が繰り出される。剣をふるってグレデヴェルの攻撃を払いのけ、ロレウスはグレデヴェルの心臓目掛け剣を突き出す。さらりとロレウスの剣をかわしグレデヴェルは呪文を詠唱する。
「火よ、我が敵を攻撃せよ。」
次の瞬間、巨大な炎の塊がロレウスに襲い掛かる。咄嗟に水を呼び炎にぶつけると、熱風を発生させ炎は消えるが休む間もなく次の炎が襲って来る。剣に炎を宿らせグレデヴェルの炎を吸収する。剣を支える手が震える。吸収し切れなかった炎がロレウスを襲ってくる。剣を振って襲い来る炎を払うと、ロレウスの背後で炎が轟音を立てて燃え上がる。ロレウスは手に炎を生じさせグレデヴェル目掛けて放つ。同時に剣を正眼に構えて斬りかかる。
「風よ、我を守れ。」
グレデヴェルの言葉が終わると同時に突風が吹きロレウスの放った炎をかき消す。斬りかかったロレウスも風に弾かれ地に伏した。息を整えながらロレウスはグレデヴェルを見据え立ち上がる。彼は息一つ乱さず立っている。グレデヴェルの実力なら、呪文など詠唱せずとも炎や風を呼び出す事は簡単なはず。遊ばれているのだ、とロレウスは唇を噛んだ。かつては同等と言われたロレウスの父ヴァルジールの力を、今のグレデヴェルはとうに超えている。大地に還すエネルギーを自分に吸収し力を増幅させた事を思い出した。そして自分の力を、水晶を使って強化している事も。それまでにも途方も無い力を持っていたのに、更に強大化した相手をどう倒すか。ロレウスは間合いを取りながら考えを巡らせる。自分の許容以上の力を身に宿せば心身ともに崩壊するのは目に見えている。それでも強化を実行したのは、許容以上の力を制御できるとでも思っているのだろうか。今は余裕の笑みを浮かべているグレデヴェルだが、力を使わせて消耗させれば勝機は見えてくるはずだ。とは言え、ダスバルが持っている水晶を奪われ使われてしまっては厄介だ。ダスバルよりもノレイヴァの方が力は上だろう。奪い返されるのは時間の問題だと思えた。早目に決着させなければならない。ロレウスは剣を構え直し刀身に青い炎を纏わせる。間合いをじりじりと詰め斬りかかるタイミングを探る。グレデヴェルは余裕の笑みを崩さない。
「お前の父は優秀な戦士だった。だが考えが甘かった。甘さはそのまま弱みとなる。」
「甘さではない、真理だ。」
「真理? ふむ。まぁいい。あれの甘さは他にもある。弱い者を背負った事だ。災いの元でしかない異端の人間、部下、そしてお前だ。」
「何だと?」
「戦いには自分の身さえ守ればいい。自分以外の、更には非力な者を守ろうとすれば攻撃も防御も疎かになる。私は相手の弱みを突く戦い方は好まぬが、手段を選んでいる場合ではない事も多い。魔大戦は我々の勝利に終わったが、あれは美しい戦いとは言えぬな。」
「黙れ。」
剣を振り上げ斬りつける。ロレウスの攻撃をひらりとかわしグレデヴェルは笑う。
「お喋りは嫌いか? それとも、喋る余裕も無いか。」
あからさまな隙を見せて短剣を繰り出すグレデヴェルにロレウスは憤る。
「そんな挑発には乗らん!」
短剣を弾く、と見せかけて攻撃をかわし瞬時に剣を突き出す。見切っていると言わんばかりにゆったりとした動きで剣をかわしたグレデヴェルの先にロレウスは炎を放つ。風を起こし、炎をかき消すとグレデヴェルは満足げに笑った。
「やはりお前なら私を楽しませてくれそうだ。お前が敵である事を惜しいと思ったが、私と渡り合えるのはお前だけだろう。眠りから覚めた後の準備運動に最適だ。」
「笑っていられるのも今のうちだ!」
剣を構え直しロレウスは叫ぶ。この男を倒さなくては、魔界の皆もこの星の生命にも未来は無い。魔界の者達は地上で暮らす日をずっと待ちわびている。彼らの願いを叶えるにはグレデヴェルを倒すだけでは終わらないが、それは大きな一歩になる。偽りの神話を正す為にも、この男は倒さねばならない。父の無念を晴らし魔界の皆の悲願を達成する事が、魔界を統率する自分の責任でもある。グレデヴェルを見据えロレウスは剣を真っ直ぐに構える。どう攻撃すれば相手はどう動くか。久々の緊張感に高揚する。1対1の戦闘においてロレウスを苦戦させるような相手はそうそういない。構えた剣をわずかに下げ一瞬で間合いを詰める。斬りつけるそぶりを見せ一歩引き、手のひらから炎を放つ。グレデヴェルが炎をかわした先へ剣を繰り出す。短剣に弾かれた力を利用して瞬時に次の攻撃に移る。グレデヴェルの表情から笑みが消えた。喉元へ繰り出された剣を払い、風を起こしてロレウスの炎をかき消す。
「そう来なくては。」
高揚した口調でグレデヴェルは口元だけで笑う。長としての義務、と言うものの実際には守るもの、背負うものを持たないグレデヴェルは戦闘を純粋に楽しんでいる。自分が負けるというイメージをまるで持っていないグレデヴェルに対し、ロレウスは少しの焦りを感じていた。ここで敗れるわけにはいかない。剣を握り直してグレデヴェルを見据える。ロレウスの焦りを感じたのか、余裕の笑みを再び浮かべグレデヴェルは飛翔し空中からロレウスを見下ろした。
「どうした? もっと楽しませてくれ。長い間眠っていてすっかり鈍っている。カンを取り戻さなくてはならないからな。」
宙に浮いたままグレデヴェルは木々の間をすり抜けていく。高速で移動するグレデヴェルを追いロレウスは攻撃のタイミングを図る。隙を見せたかと思うとグレデヴェルの足元には森に住む動物の姿がある。攻撃すれば、罪の無い命を巻き添えにしてしまう。わざとそんな場所を狙って移動しているのだとロレウスは唇を噛む。既にこうして戦っている事で、巻き添えにした命があるかもしれないと思うとうかつに動けない。攻撃してこないロレウスにグレデヴェルはにやりと笑う。
「どうした? 攻撃しないのか? お前の力なら、この森林ごと私を消滅させる事も可能であろう?」
確かにできない事ではない。だが、そんな事をすれば上空にいるレイシェルとイル、神殿内にいるダスバル、そして森に住む全ての者の生命を奪う事になる。そんな事はできるはずがない。険しい表情のロレウスにグレデヴェルは愉快そうに笑う。
「それがお前の甘さだと言っているのだ。私ならやっているぞ。それでは面白くないからやらないが。」
高らかに笑いグレデヴェルは言葉を続ける。
「お前と戦うのは楽しい。今や一族に私を楽しませる者は存在しないからな。そんな簡単に終わらせてしまうのは惜しい。」
「戯言は終わりだ!」
ロレウスも飛翔しグレデヴェルを追う。低く構えた剣を振り上げると同時に炎を放つ。風を起こしてロレウスの炎をかき消し、グレデヴェルは短剣を突き出してロレウスの剣を止めそのままなぎ払う。グレデヴェルの短剣を身体を捻ってかわし振り向きざまに剣をなぎ払う。ひらりとロレウスの剣をかわしたグレデヴェルは瞬時に短剣を振り下ろす。剣戟が響き2人は剣を交えたまま睨み合う。
「何度でも言ってやろう。お前は甘い。そんな甘さを抱えたままでは私には勝てまい。それでもお前は私をこうも楽しませてくれる。早く本気になったお前と戦いたいものだ。」
「挑発してるつもりか? 思い上がったお前を倒して世界と一族のあるべき姿を取り戻す。」
グレデヴェルの短剣を弾き返しロレウスは間合いを取った。戦う事をただの娯楽と捉えるグレデヴェルに怒りが沸き起こる。冷静になれと自分に言い聞かせる。瞬時に間合いを詰め斬りかかる。魔法と剣を同時に繰り出す。響く剣戟、睨み合い。目の前の戦いに集中するロレウスは気付けなかった。死角から、純粋な魔力のみで練成された黒い炎を燃え上がらせ、ロレウス目掛けて放つノレイヴァの存在に。



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