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第二部

33


 夜明け前のバーンレイツ王国城下町。アルバスは隣の部屋で寝ている養父エルセンを起こさないよう、静かに旅支度をしながら考え込んでいた。鏡の前に立ち、エルセンから借りたバンダナと眼帯で青い髪と真紅の左目を隠す。昨日の朝までとは違う自分がいる。昨日、異端審問にかけられ糾弾されるエルセンを襲う人々に向けて、怒りの赴くままに稲妻を放った力は、神官達が魔力と呼ぶ忌むべき力だ。自分では気味の悪いものとは思わなかったが、青く染まった髪と左右異なる目の色も忌避されるもの。自分は人間ではないのだろうか。だが人間でないとしたら何だというのか。そして街を訪れたロレウスという青年は何者だったのだろう。エルセンに助け舟を出し、騒ぎ立てる神官達に魔王を名乗った青年。創世神話の偽りを正し、誰もが異端視され迫害される事無く生きられる世界を作ると言っていたのは、果たして本当だったのか。彼は邪悪な魔王などではないと直感しているが、銀色の髪と見た事の無い生き物を従えた姿は人間とも違う。自分は彼の仲間なのか。それを決めるのはアルバス自身だと、そのために剣と魔法の腕を磨いて自分を追って来いとロレウスは言った。この力と容姿では街にいられないし、エルセンも神話の真実とロレウスの正体を探る旅に出るという。自分も旅に出てエルセンを助けるのが今まで育ててくれたエルセンへの恩返しだと思った。とはいえ、エルセンと行動を共には出来ない。奇異な容姿と力を持った自分と共にいては、また昨日のような目に遭うに違いないからだ。小さなランプの薄明りの中でエルセンに手紙を残す。一緒にいるのは危険だから一人で行って自分なりに神話の事を調べてみると、そして今まで育ててくれた感謝を綴る。自然と滲んだ涙をぬぐい、アルバスは手紙を居間に残しそっと家を出た。
夜明け前の街を門に向かって歩く。こんな時間に道を行く人はまばらだが、アルバスは俯き加減に歩いていた。バンダナと眼帯で青い髪と真紅の左目を隠してはいるが、どこまで隠し通せるだろうか。これからは人目に触れないように行動しなくてはならないだろう。魔力には出来るだけ頼らずに自分の身を守り、1人きりで目的を果たす。まだ子供の自分にそんな事が可能だろうか。不安を振り払うように黙々と歩くアルバスの脳裏に幼い頃の事が蘇る。
エルセンと出逢う前、今の自分と同じ左右異なる目の色をした男と旅をしていた。名前は確かジュレイドだ。神官に命を狙われ人々に忌み嫌われ、逃げながら旅をしていたジュレイドが、おそらく自分の本当の父親なのだろう。旅の途中、盗賊に襲われているエルセンを見かけたジュレイドは、追われている事も忘れて稲妻を放ち盗賊を撃退したのだ。エルセンの傷を魔力で癒したジュレイドは、自身の力や容姿を見ても忌避しなかったエルセンを信じ、幼いアルバスを託したのだった。まだ魔力を発揮していないアルバスを守る為に。あの時のジュレイドも同じような想いで街を後にしたのかと考える。ジュレイドは今どこでどうしているのだろう。無事なのだろうか。もしも会えたら、ジュレイドの目は正しかったと、エルセンとの日々は幸せだったと伝えたいと思った。別れ際のジュレイドの言葉を思い出す。「運命を受け入れて生き延びろ」と。アルバスは顔を上げ頷いてみせる。自分が何者であろうと、出来る事やるべき事をやるだけだ。創世神話の事、ロレウスの事を調べるなら、神話に所縁のある地へ行けばいいだろう。もしかしたら、エルセンのように神話に疑問を持つ人が他にもいるかもしれない。魔力を持って追われている人もいるかもしれない。ロレウスは「神を討ちに来た」と言っていた。 ならば、行くべき場所はおそらく同じところだ。
「よし。」
ひとまずはバーンレイツの西に広がる森にある神殿を目指そうと決めた。聖地とか聖域と呼ばれているそこは、エルセンが以前調査のため訪れようとしたがどうしても辿り着けなかった場所だ。樹々の向こうに神殿の屋根が見えているにもかかわらず、どんなに歩いても近づけずに気が付けば森の外へ出てきてしまうのだという。まるで見えない何かに阻まれているようだと言っていたのを思い出す。そこへ行けば少しでも何か解るだろうか。魔力を発揮させた自分なら辿り着けるかもしれない。神殿を人に近付かれないようにしているなんて何かあるに違いないと思えた。
空が少しずつ明るくなり、夜明けを告げる鐘の音と共に朝早くから行動する商人達の為に街の門が開く。王国の関所を兼ねた門であり、監視の為に城の兵士が立っているが稀に神官が見張っている事もあった。今立っているのは城の兵士だが、神官がどこかから見張っているかもしれない。アルバスはそっと周囲を見回した。神官の姿は見えない。商人達の中にはアルバスと同世代の少年少女の姿もちらほら見られる。まぎれて込んでしまえば見つからないだろう。自分の力の事、創世神話の真実、ロレウスの真意、知りたい事も知らなくてはならない事もたくさんある。ここで神官に捕まるわけにはいかない。アルバスはしっかりした足取りで門を抜けた。見とがめられる事無く街道に出るとほっと息をつく。しばらく歩くと広く整備された北へ伸びる街道と、樹々が立ち並ぶ西へ向かう細い街道の分岐点が見えてきた。商人達はほとんどが北にある港町フラジアへ向かう。大陸の西には神殿がある森と、その向こうにいくつかの小さな町や村があり、西へ向かう人々は森の先へ行くのだろう。アルバスは街道を西へ向かった。先を急ぐ人々は誰もアルバスに目を止めないが、それでも人目を避けるため街道から逸れ茂みへ入った。聖地と言われる森へ入るのを見られたら不審がられるかもしれない。下手に騒ぎを起こしたくはなかった。街道から逸れ過ぎないよう気を付けながら歩く。エルセンはもう手紙を見ただろうか。アルバスが1人で行くとは思いもよらないだろう。今頃慌てているだろうか。追いつかれてしまっては元も子もないとアルバスは足を速めた。神殿がある森まではエルセンの足で半日ほどかかったという。陽のあるうちに森へ行って神殿を調べたい。だがその神殿にも神官がいるだろう。無人になる時はあるのだろうか。見 えない不思議な力で神殿を守っているのなら、そこにいる神官は神殿で生活している可能性が高い。それとも、不思議な力で守っているだけで中には誰もいないかもしれない。考えての仕方がない、誰もいなければいいと願いながら森を目指し歩く。人目を避けて休息をとりながら足場の悪い道を行く。ほとんど街から出た事のなかったアルバスには苦しい道のりだった。木陰に腰を下ろし汗を拭いながら、これからの旅はずっとこんな道のりなのだろうと考える。まだ始まったばかりなのに音を上げていてはいけない。ジュレイドは幼い自分を守り追われながら旅をしていたのだ。それに比べたら、今の自分は恵まれている。まだアルバスの命を狙って追ってくるものはいない。狙われて逃げなくてはならなくなる前に、知るべき事を知っておきたい。立ち上がり気を引き締め歩き出す。
太陽が中空を過ぎ西へ傾き始めた頃、鬱蒼と広がる森が見えてきた。森の中ほどに神殿の屋根らしきものがちらりと見える。近付いて見回してみるが森の奥へと続く道は見当たらない。アルバスは樹々の間から森の中へ進んだ。薄暗い森を神殿の屋根が見えた方向を目指して慎重に歩く。同じような景色が続く中を歩いてい ると、一瞬、泥の中へ潜るような感覚が身体を包んだ。肌が泡立つその感触に思わず身を竦めたが、それ以上何も起こらなかった。
「今のが、人の侵入を拒む見えない力ってやつ?」
誰にともなく問いかけたが答えがあるはずもなく、森は静かだった。立ち止まり辺りを見回す。樹々や土が放つ森の匂いがさっきよりも濃くなった気がする。エルセンが辿り着けなかった場所へ自分は立っているのだと思うと、興奮と緊張に胸が高鳴った。


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