33へ35へ

34


 ゆっくりと森の更に奥へと足を進める。屋根が見えていた方向を確認し、生い茂る草に足を取られないよう気を付けながら足を速めた。森の中は静かで、時折風の音が聞こえる他は何の音もしない。自分の足音がやけに響くのに緊張しながらしばらく進むと、樹々が開けた空間に石造りの建物が見えた。バーンレイツにあった神殿よりずっと小さい。これが、見えない力で守られているという神殿なのだろう。人の気配は感じられないが、アルバスは周囲に気を配りながら神殿に近付く。神話の時代からある神殿であれば相当古いはずだが、苔むしている以外には時の流れを感じさせず朽ちた様子はなかった。立ち並ぶ柱を抜け、扉を見つけて近付くとそっと押してみる。複雑な模様が彫り込まれた重厚な木製の扉は、予想外にあっさりと内側へ開いた。
「誰もいないのか?」
訝しげに呟きながら中へ足を進める。大きな天窓があり中はほのかに明るい。入り口から伸びた廊下の奥に扉が見えた。辺りを見回しながら静まり返った廊下をゆっくりと進む。誰かに出くわしたらどう言い逃れするかと考えていたが、相変わらず何の気配も感じられない。息を潜めているのか、本当に誰もいないのか。警戒しながら扉に近付く。この奥に何があるのか、自分の知りたいものがあるように願いながらそっと扉を押すと、こちらもあっさりとアルバスを迎え入れた。そこは神殿の本堂のようだ。廊下よりも高い天井には複雑な模様のステンドグラスがはめ込まれ、それは中央にある祭壇に鮮やかな光を落としている。壁や柱にも、見た事のない生き物や植物が彫られており荘厳な雰囲気を醸し出していた。祭壇にゆっくりと近付き見つめると、何かがはめ込まれていたような窪みがあるのに気づく。ここに何かを祭っていたらしい。祭壇をじっと観察すると、装飾部にはうっすらと埃が積もっているのに対して、窪んだ箇所は綺麗だ。
「持ち出された直後って感じだな。」
ここに何が置いてあったのか、考えながら本堂を見回すが手がかりは何もない。視線を祭壇の奥へやるともう一つ扉が見えた。祭壇から離れ奥の扉に近付く。外観から想像するにまだ外へは出ないだろうと思えた。扉に手をかけそっと押す。もう扉が簡単に開くことには驚かなかった。開いた扉から中を覗く。天井の高さは廊下と同じになり、壁に装飾は無くただ石を組み上げただけの質素な部屋だった。奥の窓のそばに簡素な寝台とテーブル、椅子が一脚、壁沿いの棚に数冊の書物が置かれていた。ここは神殿を守っていた人物の居住空間なのだろう。ここも散らかってはいるものの掃除がされており、つい最近まで誰かがいたのだと推測する。ここがどういう場所なのかを示す手がかりはないかと、棚に歩み寄り書物を手に取った。最新の頁を開くと直筆で書かれた文章が綴られている。
「何て書いてあるんだ?」
それは創世神話に登場する古代文字で、エルセンの書斎でも見た事がある文字だったが、乱雑に書き殴られていることもあり解読は困難だ。自分にも読める箇所はないかと眼帯を外し目を凝らす。
「うーん? 『我々は誤った……ここが終焉。……全て滅ぼす……』? ダメだ、わかんないや。」
解読を諦め書物を棚に戻す。持ち出して解読してみようかとも思ったが、もしもこの人物が戻ってきたら厄介だ。インクや紙の様子からこの文章もおそらく最近綴られたものだろう。他の書物も開いてみたが、やはり乱雑に書かれた古代文字でアルバスにはほとんど読めなかった。創世神話に残される文字で、つい最近誰かの手によって書かれた文章がある。神話は伝説ではなく事実で、創世神は今もこの大地に存在するのだと推測する。エルセンが知ったら喜ぶだろう。エルセンが神話に抱いていた疑問を思い返す。神話は間違っているのではないかと考え調査していた。先ほどの文にも「我々は誤った」と書かれていた。それが正しいとしたら一体どうして間違った話が伝わっているのだろう。先ほどの文章にあった「終焉」「滅ぼす」といった不穏な言葉も気になった。創世神が自ら世界を滅ぼそうというのだろうか。手がかりが少なすぎると考えるのを諦めふと顔を上げると、窓の外が暗くなっているのに気づいた。ここにいてもこれ以上収穫は無さそうだ。眼帯を付け直して出口に向かう。背負った麻の鞄からランタンを取り出し火をつけた。薄暗い森を歩きながら考える。この神殿は何かを祭っていたようだが、一体何を祭っていたのだろう。それは最近持ち出されたような形跡があった。
「世界を滅ぼす為の道具?」
思いつきを口にしてみる。推測でしかないがあそこで見たものを関連付けることはできる気がした。創世神が世界を滅ぼそうとしていて、ロレウスという青年はそれを止めようとしているのだろうか。だがそれでは魔王の存在に説明がつかない。もっと調査が必要だ。それにはこれからどうしようかと考える。バーンレイツ内の神殿には神官に一般の人も出入りしている。そういう場所にたいしたものはないだろう。ならば、フラジアの港から海を越えて他の大陸にある神殿や、創世神話に詳しい人を訪ねていこう。フラジアの街へ行った事はあるが、船に乗り海を越えるのは初めてだ。自分の負った境遇を考えると心弾ませてもいられないが、気分が高揚するのは抑えられなかった。外はすっかり暗くなり、月明かりとランタンの灯りを頼りに森を抜け歩き続ける。人の行き来が無くなり静まり返ったバーンレイツの門を通り過ぎる時、エルセンはもう旅立っただろうかと想いを馳せる。一人で出てきた事を怒っているだろうか。ふと淋しさがこみあげてきたが首を振って追い払い、フラジアを目指して歩き続ける。早朝からずっと行動しているが、興奮しているのか眠気も疲れも感じなかった。だがそろそろどこかで休んでおいた方がいいだろう。このペースで歩けば夜明け頃にフラジアへ着けそうだが、船がいつ出るのか解らない。あまり街の中に長く滞在は出来ないだろうと考え、街道から逸れた木陰に腰を下ろした。朝までこの辺りで休んで、夜が明けたら行動しよう。保存食を少しだけ口にし、古布を広げ横になる。だが初めての野宿は微睡む事しか出来なかった。痛む身体をさすりながら、これからは野宿が日常になるだから早めに慣れなくちゃいけないなと苦笑する。完全に夜が明けるのを待ち、バンダナを結び直して歩き始めた。陽が昇れば当然人通りが増えてくる。これからは夜に移動した方がいいかもしれないなどと考えながらうつむき加減に歩く。フラジアの門にはバーンレイツ城の紋章を付けた兵士が立っていたが、特に見咎められる事なく門を通過し安堵した。街は朝から呼び込みをする商人や買い出しにきた人々、港へ向かう漁師達で賑わっている。人混みをすり抜け港へ向かう。船に乗ってまずはどこへ行こうか。一番近い北の大陸か、あるいは西に向かうか、そんな事を考えながら港に入り乗船券売り場を探す。売り場に張り出された出港時刻を確認すると、今日の昼過ぎに西の大陸へ向かう定期船が一番早い船だった。それに乗ろうと決め乗船券売り場の係員に声をかける。だが、カウンターにいた男はアルバスをじっと見つめると、カウンター内の何かに目をやったあと慌てた様子で卓上のベルを振り鳴らした。何事かと困惑していると売り場の後方から神官が駆けつけてくる。逃げようとしたがすでに遅く、アルバスは神官に腕を掴まれた。
「確かに似ているな。おい小僧、そのバンダナと眼帯を取れ。」
すでに自分を捕えようと神官の手が回っていたのだ。迂闊だった。ここで捕まるわけにはいかない。
「放して下さい。」
弱々しく声を上げると神官は更にきつくアルバスの腕を掴む。
「異端者を探しているのだ。早く取れ!」
「これは、怪我をしているので、外さないよう言われています。」
「嘘を吐くな!」
港中に響く怒声を上げると神官はアルバスを睨み据える。
「拒むという事はやましい事があるという事だな。」
「違います、放して下さい。」
周囲の視線がアルバス達に集まる。神官がアルバスの腕を捻り上げ眼帯を取ろうと手を顔に伸ばした時、低い声が響いた。
「うちの者に何か?」
現れたのはアルバスの知らない長身の男だった。
「何だお前は。」
「その子供はうちの従業員です。乱暴は止めてもらえますかね。」
男が強く睨むと神官の手から力が抜けた。男の目が光を放ったように見えたのは気のせいだろうか。アルバスは困惑しながらも神官の手を振り払い男に近付く。神官は何事も無かったかのようにふらふらと港から遠ざかって行った。怪訝な顔でアルバス達を見ていた人々も自分達の用事に戻っていく。男は遠ざかる神官の背に何やら悪態を吐いたが何を言っているのかは聞き取れない。
「すみません、ありがとうございました。」
「礼はいらん。俺はあいつらが大嫌いでね。」
それより、と神官の背からアルバスに視線を移し男は言葉を続けた。
「船に乗りたいのか。券が余ってるから一枚やる。」
「えっ!? いや、さすがにそんなわけには……。」
男は無表情のまま驚くアルバスに乗船券を掴ませる。
「船が出るまで時間がある。少し付き合え。」
「は、はい……。」
頷くしか術は無く、アルバスは男について港の手前に建つ食事処へ入った。この人はなぜ自分を助けてくれたのか、それとも新たな危機に陥っているのかと混乱する頭で必死に考える。奥の席に腰を下ろし茶を二人分注文すると、男はアルバスを見据えた。
「お前、あの神殿で何を見た?」


33へ『誰がために陽光は射す』目次へ35へ