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船は一日かけて港町シュロンに入港した。港町シュロンは、バーンレイツが王国として成立した創世期末と呼ばれる頃、フラジアと北の大陸にあるリスヴィアと共に、各地の神殿や周囲の街を行き来する為に作られ発展した港街だ。街の向こうには豊かな森林が広がっているのが船からも見える。穏やかな陽射しを受ける緑に満ちた古い街並みは、こんな旅でなければ初めて訪れたアルバスの目を楽しませただろう。人目を避けて船を降り、神話について調べるなら神殿の他にどこへ行けばいいかとアルバスは考えていた。エルセンは王立図書館にこもったり街の古書店を覗いて歴史書や古い手記を探したりしていたのを思い出す。神官の検閲を逃れた本が果たしてあるだろうか。この大陸の神殿に向かう前に、シュロンの街で神話について調べてみよう。そう思い立ちアルバスは街の中心部へ向かう。古い街ならば、神官の目を免れた本や手記があるかもしれない。神話について、今伝わっている以外の事実が見つかるように願う。あの神殿にあった手記は持ち出してきた方が良かったかもしれないと後悔する。だが、あれを本物の創世神と呼ばれる存在が書いたものであると証明出来る可能性は無いといっていいだろう。後悔しても仕方がない。今は先の事を考えよう。港で貰った街の地図を手に、賑わう街並みを古書店を探しながら俯き加減に歩く。しばらく歩き街の大きな商店街が見えてきた頃、子供のものらしい悲鳴と大人の男の怒声が聞こえた。嫌な予感と共に顔を上げると、大通りの真ん中に法衣をまとった2人の神官と、転んだ姿勢のまま神官を見上げる小さな子供の姿があった。神官は怒りの表情でアルバスよりもずっと幼い子供を見下ろし威圧している。子供は背中しか見えないが、怯えて震えているのが明らかだった。周囲の人々は遠巻きに見ているか知らぬふりで立ち去るかのどちらかだ。この街も神官の横暴がまかり通っているのかとアルバスは顔をしかめる。あの子供を助けよう。神官の前に姿を見せるのは怖いが、目と髪の色を見られなければ大丈夫だろうとアルバスは神官達に歩み寄る。ここで逃げてしまったら、自分は本当に人間ではなくなってしまう気がした。神官達から子供を庇うように割って入るとアルバスは2人を睨みつける。
「こんな小さな子供に何をしてるんだよ。」
「あぁ? 何だお前は?」
「このガキは突然飛び出してきて俺にぶつかったんだ。神官の歩みを止めさせ勤めを妨害した輩には制裁が必要だ。」
神官は懐から短剣を抜きアルバスに斬りかかった。武器を持っていたのかとアルバスは舌打ちする。とっさに身を引いたが腕を浅く切られ頭に血が上った。武器を携行し気に入らなけば斬りつける、街と人をそんなやり方で支配するのは許せない。バーンレイツの神官の顔が、異端審問開始を告げる鐘の音が、神官に包囲されたエルセンの姿が、「化け物」と罵る街の人々の顔が、脳裏に蘇る。アルバスは憤りのままに叫んだ。
「お前ら全員消し去ってやる!」
穏やかに晴れていた空へ瞬く間に黒雲が生じ、いくつもの稲妻が落ちた。突然の雷鳴と稲妻に周囲からも悲鳴が上がる。稲妻が神官の一人を直撃し昏倒させたのを視界の端で確認すると、アルバスはもう一人の神官を見据え腕を振り上げたまま叫ぶ。
「お前らのせいで、俺は、父さんは……!」
再び稲妻が落ちる。と同時に背後でひときわ大きな悲鳴が上がった。振り返ると転んでいた子供が、恐ろしいものを見る目つきでアルバスを見上げていた。どうしてそんな目で見るんだ、助けてあげてるのに、そんな考えがアルバスの脳裏によぎった時、神官の声が響いた。
「貴様、バーンレイツに現れたという魔王の手下だな!」
魔王、という言葉に人々の顔に恐怖が浮かんだのを見てハッとする。この間と同じだ。これ以上ここにいちゃいけない。アルバスは芝居ががった大きな仕草で自分を指差す神官を突き飛ばし走り出す。
「奴を捕えろ!」
神官の叫びに数名が走り出しアルバスを追う。捕まるわけにはいかない。どうしてこんな風になってしまうのだろう。商店街から真っ直ぐに街の門へ道がのびている。門に向かって全力で走る。外の森に逃げ込めば隠れられるだろうか。数人の男が追ってくる足音が聞こえる。誰かが投げたナイフがアルバスの右足をかすめた。
「くそっ!」
微かな痛みに顔をしかめる。どうしてここまでするのだろう。痛みをこらえ門を走り抜けると、森の茂みに飛び込み鬱蒼としげる草や樹々を掻い潜って走る。数を増やした追手がアルバスを探す声が聞こえる。足を止めると息を潜め様子を伺う。まだこちらには気づいていない。振り切る事は出来そうな人数だが、一対多ではうかつには動けない。物音を立てないよう静かに辺りを見回すと河の音が聞こえた。茂みの向こう、アルバスの少し後ろで河が流れている。手ごろな大きさの石を見つけて抱えると河に近付き、石を下流に向かって放り投げた。
「あっちだ!」
「逃がすな!」
口々に叫び男達はアルバスが身を潜める茂みを通り過ぎて河へ向かっていく。アルバスの思惑通り泳いで海岸へ向かったと考えたようで、追手の声は下流に向かい遠ざかって行く。周囲に追手がいなくなったのを確かめ、アルバスは大きく息を吐き上流へ向かって歩きだした。バーンレイツで初めて力を発揮した時は、エルセンを守りたい一心だった。力を発揮してしまったのは無意識だが、今は見知らぬ子供を助けようとした。それでも、力を使えば恐れられ追われる。自分の為でなく、他人の為に力を使うならば、もしかしたら受け入れられるのではないかと考えていた。だが、その可能性は皆無だ。やはり自分は一生、隠れて逃げて生きて行かなくてはならないのか。
「痛ってぇ……。」
暗澹たる思いに拍車をかけるように、神官に斬られた腕とナイフがかすめた足が痛みだした。少しでも痛みが和らぐようにと腕の傷をそっと手のひらで押さえる。すると傷の周囲に微かな熱が生じた。驚いて手を放すと、傷がゆっくりと塞がっている所だった。傷の内側から皮膚が盛り上がって少しずつ再生し、切れた皮膚を繋ぎ合わせていく。あっけに取られるアルバスをよそに、傷は塞がり跡形もなくなっていた。足の傷にも手をあてると、同じように熱が生じ傷が塞がっていく。
「これも、俺の力?」
浅いとはいえ、刃物で斬られた傷だ。完全に癒えるまでに十数日はかかるであろう傷が、ほんの僅かな時間で完全に治ってしまった。
「さすがに、ちょっと気味が悪いな。」
手のひらを見つめアルバスは自嘲気味に笑った。


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