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 翌朝。調理をする音に目を覚ましたアルバスは慌ててスーのもとへ向かった。
「おはようございます。すみません、お手伝いします。」
「おはよう、よく眠れたかい? 気にしないでそっちに座っててくれ。もうすぐできるから。」
てきぱきと調理を進めながらスーはアルバスに笑いかける。調理に慣れていない自分が手伝ってもかえって邪魔になってしまいそうだと判断し、アルバスは促されるままに座卓の前に座った。
「ささやかなものだけど、遠慮なく食べてくれ。」
スーは小さな座卓の上に皿を並べる。きのこと野菜を炒めたもの、焼いた川魚に豆のスープが並ぶ。立ちのぼる湯気と出来立ての料理の香りにアルバスの腹が鳴った。旅立ってからろくに食べていないことに気付く。思いのほか大きな腹の音に赤面したアルバスに、スーは笑みを浮かべた。
「ほらほら、しっかり食べな。何をするにも身体が資本だからな。」
「ありがとうございます。いただきます。」
この旅で、誰かが自分のために作ってくれた温かな食事にありつけるとは思ってもいなかったアルバスは思わず涙ぐむ。それまで当たり前にあったものは、こんなにもありがたいものなのだと気づかされた。そんなアルバスにスーは優しく微笑む。
「泣くほど旨いかい? 嬉しいね。」
慌てて涙をぬぐいアルバスは頷いた。
「はい、とっても美味しいです。ありがとうございます。」
「それは良かった。」
夢中で食べるアルバスを微笑ましく見つめながら、スーも皿に手を伸ばす。食事を終えるとアルバスも片づけを手伝い、ふたりは座卓の前に再び腰を下ろした。
「では、私の事、この里の事を教えよう。」
スーの言葉にアルバスは背筋を伸ばす。今まで知らなかった事が多すぎたのだ。神官の横暴を止め、誰もが心穏やかに暮らせるようにと願いながら何もできずにいた。無知は無力だ。もっと多くの事を知らなくてはならない。スーも表情を引き締め口を開いた。
「私は物心ついた頃からひとりだった。おそらく、これのせいで親に捨てられたんだろう。」
これ、と言ってスーは自分の赤い目を指す。
「自分の目の色が他の人と違っていると気付いて、それが恐れられたり嫌われたりする理由だとわかったのは、今のアルバスよりもう少し幼い時だろうか。化け物と罵られて、水をかけられたり石を投げられたりして、逃げながら生きていた。」
ため息をひとつ吐き、スーは話を続ける。
「他の人とは違う自分の姿よりも、そうやって子供にも容赦なく攻撃してくる奴らの方がよほど恐ろしかった。廃屋や森に身を隠して、見つかれば逃げて、そんな事を繰り返して生きていたんだ。怪我を即座に治せる力を持っていたのは、不幸中の幸いというべきかな。」
細身ではあるが力強さを感じるスーの佇まいは、そんな暮らしから培われたのだろう。幼い子供が、誰からも守ってもらえず逃げながら生きるのはどれほど辛かっただろうとアルバスは思わず拳を握りしめた。そんなアルバスに、スーは悲し気に笑ってみせる。
「それでも街の人達はまだ良かった。私が目の前からいなくなればそれで満足したからね。だけど神官は違った。街の外へ逃げてもしつこく追いかけて私を捕まえようとした。捕まったら、間違いなく殺されていただろう。」
バーンレイツの街を思い出す。異端審問の名の下に、理不尽に殺された人々。王ですら手出しできないほどに増長した神官達の横暴な振る舞いに、怯えながら暮らしていた人々。何とかしたいと奮戦したエルセンも自分も、何もできないままだった。
「あなたが神官に捕まらなくて、良かったです。」
涙ぐむアルバスにスーは優しく笑う。
「ありがとう。私は運が良かったんだ。逃げる時、治癒能力以外にもう一つ自分が魔力を持っている事に気づいた。」
「もう一つ?」
「そう。あぁ、ちょうどいい所に。」
外に目をやったスーの視線を追うと、ガラスの無い窓枠に小さな白い鳥が止まっていた。鳥に手を差し出しスーはちらりとアルバスを見る。
「見てな。」
鳥に視線を戻すと、スーは小さくしかしはっきりとした声で言った。
「おいで。」
すると鳥はスーの言葉が解ったかのように短く鳴くとすぐさま飛びあがり、伸ばされたスーの手のひらに着地する。
「客人にご挨拶を。」
スーの手のひらの上で、鳥はアルバスを見上げ翼を広げながら、首を縦に振り頭を下げてみせた。
「よし。そこの布巾を取ってきてくれ。」
スーが指さした方へ鳥は一目散に飛んでいく。台所にあった布巾をくわえるとまた一直線にスーの下へ戻って来た。鳥の背をそっと撫でスーは微笑む。
「ありがとう。行っていいよ。」
スーの言葉に応えるように短く鳴くと、鳥は窓の外へ飛んで行った。座卓を軽く拭きながらスーは鳥からアルバスへ視線を移す。あっけに取られるアルバスは、飛んで行った鳥を見つめながら呆然と呟いた。
「今のは、鳥を操ってたんですか?」
「そう。昨日アルバスを襲った狼を追い払ったのもこの力だ。神官達に追われてる時、鳥の群れが飛んで行くのが見えて思わず『助けてくれ!』って念じたら、本当に神官達に襲い掛かって私を助けてくれた。この力に気づいてからは、逃げるのがかなり楽になったね。獣に昆虫に魚、ありとあらゆる生き物が私の指示通り動いてくれる。もちろん、彼らへの感謝を忘れた事はない。支配して操るというよりは、依頼して助けてもらうといった感覚だろうか。」
「それって、どんな生き物とも共存できるって事ですよね。凄い力だと思います。」
「うん。人間にも効く力なら良かったんだけどな。」
自嘲気味に笑いスーは表情を引き締める。
「この力を使って動物達から食べ物を分けてもらったり、逃げる手助けをしてもらったりした。そうして、人目につかない安全な場所を教えてもらった。それがここだ。」
外へ視線を向けスーは話し続ける。
「ここに隠れ住んで、ようやく落ち着いて生きられるようになった。自分の安全がひとまず確保できて、そして考えるようになった。私のように、人間には無い容姿と力を持って追われている人が他にもいるかもしれない。その人達にここの事を教えてあげたい、そう思って、動物達に頼んだんだ。私と同じような者がいたら、ここを案内してほしいと。それから10年くらい経つだろうか。猟師が使っていたらしい小屋が一軒あっただけの山奥の森は、同じ境遇で苦しむ者が集まって小さな集落になった。最初に住んでいた私が、この集落の長という事になった。」
大きく息を吐いてスーはアルバスを見つめた。
「ここは地形や天候のおかげで、外部からはただの山深い森にしか見えない。ここにいれば暮らしは質素だが、安全に過ごせる。自然の恵みを受け、あらゆる生き物と共存しながら静かに生きる。化け物と恐れられ、追われて生きてきた私がずっと求めていた生き方だ。ここに集まった皆も、そんな穏やかな暮らしを望んでいた。ここに集まった者は皆家族だ。本当の家族を知らない私達だが、それでも血の繋がり以上に尊い繋がりを持った家族だ。」
言葉を切り、スーは遠くを見つめるような悲しい表情を見せる。
「私達は争いを望まず、穏やかに暮らしていた。そんな暮らしが変わり始めたのは、トーマと名乗る少年が来た頃からだ。トーマはこの近くで瀕死の重傷を負って倒れていた。神官に追われた時に斬りつけられたらしい。鳥達の報せを聞いて助けに行ったんだ。ここへ連れて来て手当した。私を恩人だと言って慕ってくれた。根は素直な奴で、ここでの暮らしにもすぐに馴染んだ。だけど、生まれ持ったこの力に対する考え方が、私とトーマでは大きく違っていたんだ。」
表情を曇らせたスーをアルバスは息詰まるような思いで見つめる。身体をこわばらせたアルバスにスーは気丈に微笑み話し続ける。
「私は、この力は単なる個性に過ぎないと考えている。だけどトーマは違った。自分達は選ばれた存在なのだと言って、力を持たない人間を下等な生き物と見做していた。そして、選ばれた自分達が世界を支配するのだと。」
「世界を支配?」
想像を越える不穏な価値観にアルバスは身震いする。スーも身体をこわばらせ話を続ける。
「そう。私達が力を合わせて蜂起すれば、神官も他の人間達も敵ではないと、これまで虐げられてきた復讐を果たすべきだと言い出した。」
「復讐だなんて……。」
神官達の振る舞いは理不尽だが、横暴な力に対し力をぶつけるのは、果たして正しい事なのだろうか。
「無論、私は反対した。するとトーマはがっかりした顔で『集落の皆を説得する』と言い出した。そして、何人かはトーマの考えに共感した。今は私が彼らの暴走を抑えているが、いつまで抑えきれるかわからない。理不尽に苦しい想いをしてきた者ばかりだからな。トーマが私を慕ってくれている事に変わりはないが、いつ彼に刃を向けられるかと恐れてもいるんだ。」
悲し気な表情で話し終えるとスーはため息を吐いた。この力は、選ばれた者が持つ力なんかではないとアルバスは感じていた。創世神話の偽りを正せれば、この集落の問題も解決できるかもしれない。トーマという少年も、増長する神官の横暴を止め、虐げられる事無く暮らせる世界を望んでいるのではないか。スーはこの力を個性だと言った。自分自身はこの力に対してどう向き合うべきなのか、考えなくてはならないと思った。
一方、スーの小屋の外で耳をそばだてる人影がひとつ。
「スー様を惑わせる奴は許さない。」
トーマの不穏な呟きは、森を抜ける風にかき消された。


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