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 港町シュロンに連なる山脈で突如起きた山火事は、翌朝になっても衰える事無く燃え続けた。深い山中は消火作業も困難を極めたが、消火にあたった者達は口々に「いくら水をかけても消えない、まるで意思を持っているかのような不気味な炎だった」と語り身震いした。そして、火元と思われる山小屋があった辺りから何人もの神官が焼死体となって発見され、中には首の無いものもいくつかあり大きな騒ぎとなった。山頂近くの神殿から消火活動にあたり炎と煙によって倒れたのか、あるいは神官達が儀式の為にここで何かを焼いていたのが火災の原因なのではないかと様々に推測されたが、神殿は無人となっており誰にも真相は分からなかった。そこにあった小さな集落は炎に呑まれ跡形もなくなったようで、出火の原因は不明なままだという。

 アルバスとスーは山奥で揺らめく炎から目を背けるように、シュロンの街とは逆方向へ向かって夜の街道を歩く。山を下り集落から遠ざかっても、樹々の向こうで炎が闇夜を照らしているのが見えていた。硬い表情をしたスーは一言も口をきかない。アルバスも黙ってスーの隣を歩く。月明かりが射す深夜の街道に人通りは無く、街道を行く二人の足音と、森の中から獣や鳥の鳴き声が時折響く以外に何の音もしない。スーの深刻な横顔をちらりと見つめ、自分を責めているのだろうとアルバスは考える。自分がスーと出逢いあの集落を訪れなければ、あんな事にはならなかったのではないか。生まれついてではなく、突然不思議な力を持った自分の存在が、トーマを刺激し暴走させたのではないか。夜が明け始めても二人は黙々と歩き続ける。薄闇の中、悶々と考え込みながら歩くアルバスが小石に躓いて転倒しかけた時、スーは慌てて足を止めた。
「あぁ、すまない。ずっと歩き通しで疲れたよな。」
「いえ、大丈夫です。」
「もう夜が明けていたのか。気が付かなくてすまない。もう少しだけ行けば小さな村がある。そこまで行ったら少し休もう。」
「村、ですか。」
不安げに呟いたアルバスにスーは微笑む。
「そこは私がよく薬草や染料を売ったり、食料を調達したりしに行っていた村だ。村人とは顔なじみだし、訳ありな旅人の詮索をするような人達じゃないから、心配しなくて大丈夫。」
「そうなんですね。」
スーが度々出入りし、村の人と交流があるのなら大丈夫なのだろう。少し安心しアルバスは緩んだバンダナを結び直す。夜が明ければ街道を行く人も多くなる。その村に着くまで気は抜けない。明るくなり始めた空を見上げ二人は歩き出した。陽がすっかり高くなり、街道に行商人や旅人の姿も増え始めた頃、街道から逸れた細い道の先に目指す村が見えてきた。入り口の柵を抜けると、山脈から続く森の傍にわらを葺いた比較的大きな家が見える。その家を中心に他の家や畑、物置らしい小屋が広がっていた。小さな村、とはいえスー達の集落よりもずっと広い村だ。一番大きな畑で作業をしていた体格のいい男が、二人に気付き近付いてきた。
「おっ、スーじゃないか。今日は早いな。どんな用だい?」
「こんにちは、ボムカさん。実は、山火事で小屋が焼けて薬草が全部だめになってしまったので、拠点を変えようと思うんです。それでご挨拶に。」
「あぁ、まだ燃え続けてるらしいな。スーが無事で良かったよ。そうかぁ。スーが来なくなると淋しくなるなぁ。」
「あちこち放浪してますから、また伺いますよ。」
「あぁ。ところでそっちの子は?」
「遠縁の親戚の子なんです。両親を亡くして私を頼って来てくれた矢先に、山があんな事になってしまって……。」
ボムカはアルバスにも痛ましげな視線を向け首を振った。
「そうか、災難だったな。」
「それで、薬草作りを手伝ってもらいながら一緒に旅をしようと思うんです。それでここで旅支度を整えさせてもらおうと思って。」
「この先の峠を越えて行くんだな。こんな小さな村でよければ、いくらでも利用していってくれ。」
「ありがとうございます。」
揃って頭を下げるとボムカは豪快に笑った。
「気にすんなって。困った時はお互い様だ。スーには世話になってるしな。坊主、スーを頼って来たのは正解だぞ。若いのにしっかりしてるからなぁ。うちの息子にも見習わせたいよ。」
ボムカの視線を受け、最後には苦笑いを浮かべた彼を見上げた。スーの話を信じ切っているようで、アルバスにも優しい眼差しを向ける。
「坊主、この辺りは初めてか。シュロンの街とは比べ物にならないが、峠越えする旅人はたいていここに立ち寄ってくから、最低限のものは揃えてある。この間スーに薬草を多めにもらってるから、代金はそれでチャラだ。雑貨屋に話を付けておくよ。宿は無いが俺の家で旅人を泊めてるから、必要だったら言ってくれ。」
「ありがとうございます。」
ボムカに頭を下げ二人は村の雑貨屋へ向かった。スーは行く先々で村人と笑顔で挨拶を交わしている。ここでもスーは慕われているようだ。
「私は山小屋に籠って作った薬草や染料を売って暮らしてる、変わり者の旅人って事になってる。ここでは食料や畑に必要なものを薬草と交換しに来てたんだ。ボムカはここの村長で、いろいろ世話になった人だ。」
雑貨屋の入り口から声をかけると、ボムカと同世代と思われる男が店先に現れた。
「今ボムカから聞いたよ。スーが火事に巻き込まれないで良かった。」
「たまたま山小屋を離れていたので、巻き込まれずに済みました。」
「スーは強運だなぁ。日頃の行いが良いんだな。旅に出るんだって? またこっちにも来てくれよな。」
「えぇ。色々お世話になりました。」
「世話になったのはこっちの方だよ。スーの薬草はよく効くからな。こいつは餞別だ、持って行きな。」
驚くスーとアルバスの前に、店主は手際よく保存食やロープ、ランプなどを麻の袋にまとめていく。
「ちょ、ちょっと待って、これ以上は代金払わないと申し訳ない。」
「気にすんなって。邪魔にならない量は見極めてるし、ある程度整備されてる道とはいえ、峠越えは危険だからな。食料や道具はいくらあっても多すぎる事は無い。それに、山火事で薬草作りの道具も無くなっちまったんだろ? 山を越えてもしばらく大きな街は無いから、使い古しのナイフやら何やらで良ければ使ってくれ。」
「助かります、ありがとうございます。」
「いいって事よ。今日はボムカの所でゆっくり休んで行ったらどうだい? 焼け出されちまって気ぃ張ってただろ。」
「えぇ。そうさせてもらいます。」
「坊主、お前さんも親亡くして大変だろうが、スーを助けてやるんだぞ。」
「はい。ありがとうございます。」
店主に何度も頭を下げ、二人はボムカの畑へ戻る。今夜は泊めてもらいたいと告げるとボムカは嬉しそうに笑った。
「あぁ、もちろん。狭い所だがゆっくりしてってくれ。セアに言って食事も用意させよう。」
部屋へ通してもらい、雑貨屋で揃えてもらった荷物を二人分に分ける。バーンレイツの家から持ってきたわずかな荷物は集落で焼けてしまったから助かったと、店主の心遣いに感謝する。荷物の整理を済ませると、スーは筆と紙片を取り出し座卓に向かって何かを書き始めた。
「何を書いてるんですか?」
「髪を染める染料の作り方を教えてあげようと思ってね。材料はどこででも手に入るものだから、作り方さえ知っておけば髪色を気にしないで済む。」
「ありがとうございます。」
「礼なんていいさ。大変な目に遭わせてしまったし、これくらいの事はさせてくれ。」
スーの言葉にアルバスは大きく首を振った。
「大変な目だなんてそんな事ないです。それにあれは俺のせいだと思います。突然力を持った上に、この力について何か知っていそうな人物に会った俺の存在が、あの人を刺激して暴走させたんでしょう。」
「アルバスが気に病む必要は無いよ。遅かれ早かれトーマは行動を起こしていただろう。止められなかった私の責任だ。巻き込んでしまってすまない。」
深々と頭を下げるスーに首を振る。家族だと語った仲間を失ったスーが、自分に謝る必要などどこにも無いのだ。悲し気な顔で黙ってしまったスーに何と言葉をかけてよいか分からず、アルバスも黙ってしまう。重い沈黙を破ったのは、ボムカの声だった。
「夕飯の支度ができたよ。一緒に食べるかい?」
「あ、はい。頂きます。」
ボムカの気遣いにほっとしながら二人は部屋を出る。ボムカの家族と共にした賑やかで温かな食卓に、張り詰めていた心が解けていく。
「ごちそうさまでした。」
笑顔の戻ったスーに安堵し、すっかり満腹になって二人はボムカと妻のセアに頭を下げる。
「どういたしまして。大変な目に遭ったんだってね。スーちゃんが無事で良かったよ。」
「二人とも細っせぇから心配だな。旅先でもちゃんと食べるんだぞ。」
「はい、ありがとうございます。」
部屋に戻って用意してもらった寝床に就く。窓から射す月明かりを見つめてスーは小さく、しかし力強い声で告げた。
「私は、トーマ達を止める。すぐには無理かもしれないが、私の責任で止めるべき事態だ。これ以上アルバスを巻き込むわけにはいかない。アルバスは自分の旅を続けてくれ。」
「はい。」
魔王を名乗った不思議な旅人ロレウス、力を持って追われる実の父ジュレイド、創世神話の偽りを正そうとする養父エルセン。そして憤りのままに決起したトーマと彼を止めるべく旅をするスー。それぞれの想いを繋ぎ、全ての人々が心寄せ合えるよう世界を変えるのが、自分の使命。決意を新たにアルバスは眠りについた。


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