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「リスヴィアから船に乗るのですか?」
じっと背を見つめながらレイシェルはロレウスに問い掛ける。ロレウスは振り返りレイシェルを見上げた。
「そうだな。人間に紛れて移動する方が長の護衛達も手を出しにくいだろう。」
「そうですね。」
「それに旅支度も少し整えなくては。旅人が何も持っていないのは不自然だからな。」
ロレウスの荷物は剣だけだった。長い旅になるのだから、人間の街で必要最小限だけの物資を調達する方がいい。レイシェルは粗末な衣服を纏っているだけで今は幻視魔法でそれを隠している。危険な旅になるので年頃の女性らしい可憐な衣装は無理だが、せめて新しい旅装束を用意してやりたいと思った。街道を歩きリスヴィアへ向かう。街に近付くにつれ街道の幅は広くなり、旅人や隊商の姿が増えていく。道端で物を売る行商人の姿もあった。ロレウス達が街の門をくぐる頃には、太陽は西へ傾き始めていた。港町リスヴィアはクーファン大陸の玄関口であり、広大で活気のある街だった。通りを行商人や旅人達が行き交い、彼らを呼び込む宿屋を始めとする店の店主達の声が飛び交っている。ロレウスは呼び込みをしている男の一人に声をかけた。
「すまない、ちょっと聞きたいのだが。」
「おぅ、何だい? 宿を探してるんだったらうちの宿がお勧めだぜ。」
「いや、剣の手入れを頼みたいのだが鍛冶屋の場所を教えてくれないか。」
なんだ、違うのかと呟きながらも、男は東の方を指差して答える。
「鍛冶屋だったらこの町の東ッ側、職人街にあるぜ。腕のいい連中が集まってる。」
「そうか、ありがとう。それとレビアス行きの定期船に乗りたいのだが、出港はいつなのか知っているか?」
男は満面の笑みを浮かべ答える。
「レビアス行きの船なら出港は2日後だ。それまでうちの宿に泊まっていきなよ。サービス満点だぜ。」
「ありがとう。検討しておく。」
宣伝文句を並べ立てる男に礼を言って早々に立ち去り、ロレウス達は町の東側の職人街へ向かった。鍛冶屋、武器防具の店、各種の薬草や保存食、ランタン等の道具類を扱う店等が軒を連ね、多くの旅人達が行き交っている。鍛冶屋の看板を見つけロレウス達は軒をくぐった。剣を研いでいる男にロレウスは声をかける。
「剣の手入れを頼みたい。」
男は顔を上げロレウスの手にした剣を見つめた。
「どれ、貸してみな。」
ロレウスから剣を受け取り男は真剣な眼差しで剣の点検を始める。
「血が付いてるな。」
「あぁ、ここへ来る途中山賊に襲われたのだ。戦って追い払ったが。」
ロレウスの嘘を男は信じたようで深刻な顔をする。
「最近はこの辺りも物騒になってきたからなぁ。おちおち外出もできやしねぇ。山賊を追い払ったなんて、あんた強いんだな。」
刃こぼれしている箇所をチェックし男はロレウスに告げる。
「普段からよく手入れされてるみたいだな。これくらいなら小一時間あれば元通りになるだろう。代金は引き渡す時でいいぞ。」
ロレウスは困った表情を作りながらマントに付けられた宝石を一つ外して男に差し出す。
「実は現金の持ち合わせがないのだ。これで支払いに代えられないか?」
男は訝しげな顔でロレウスを見つめる。後ろに立っているレイシェルとロレウスを交互に見つめにやりと笑った。
「ははぁん、さてはお前さん達あれだな。」
何を言い出すのかと男を見据えるロレウスに、男は一人頷きながら言葉を続ける。
「駆け落ちしてきたんだろ。」
「……まぁ、そんな所だ。」
「安心しな。お前さん達を探してる奴が来ても俺は何も言わねぇよ。」
若いっていいねぇ、と微笑みながら男はロレウスの差し出した宝石を手に取った。
「こいつはかなりの上物だな。鍛冶の代金に当てても充分な釣りが出るぞ。この通りの北側に宝石職人の店がある。買い取りもやってるからそこで換金してきな。長い旅になるなら現金は持っといた方がいいぜ。」
男から宝石を受け取りロレウス達は教えられた宝石職人の店に向かった。賑やかな通りの人混みを避けて歩きながらロレウスはレイシェルを振り返る。
「すまなかったな。」
ロレウスの言葉にレイシェルは意味が解らないといった顔をする。
「何の事ですか?」
「あぁ、いや。何でもない。」
鍛冶屋の「駆け落ち」という言葉を否定しなかった事を詫びたのだが、レイシェルは気に留めていないようだった。それもそうかとロレウスは一人呟く。真実を話すわけにはいかない。本当に気に留めていないのか、目を逸らしたレイシェルの真意はロレウスには知れない。宝石職人の店で宝石の換金を済ませる。鍛冶屋の男の言葉通り、かなりの額の現金に換えられた。それを手に防具屋に向かいレイシェルの旅装束を整える。真新しい衣服と軽く簡素な防具に身を包み、レイシェルはロレウスを見上げる。
「ありがとうございます、ロレウス。この代金はいつかきっとお返しします。」
レイシェルの言葉にロレウスは小さく微笑む。
「そんな事は気にしなくていい。私の戦いにはレイシェルの力が必要になる。それに比べたら、些細な事だ。」
「なら精一杯、ロレウスのお役に立ちます。」
レイシェルはロレウスを見上げる。長い間笑う事など無かったレイシェルには微笑すらも困難な事だった。引きつったような奇妙な表情でレイシェルはロレウスを見上げる。レイシェルの眼差しを真っ直ぐに見返すロレウス。レイシェルの言葉に偽りは無いと感じる。ロレウスはレイシェルが微笑もうとしている事に気付きそっと微笑み返した。レイシェルが自分を少しずつ信頼してくれている事を感じた。役に立とうなどと気負わなくてもいいのだと告げる。二度とレイシェルに辛い思いをさせないように、レイシェルが本当に笑えるように、側にいて守ろうと誓った。


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