九へ/ 小説の間へ/ 十一へ




村上はそんな2人への恐怖を押し殺し口を開く。
「あなた達の才能? 人を騙す事と人のあら捜しが上手いだけの事でしょう。あなた達は野崎に利用されているだけなのよ。それがわからないの?」
2人は冷笑を浮かべる。根本が村上の言葉に応えた。
「そんな事はわかっていますよ、天才科学者殿。我々は研究者としてはあなたに及びませんが、所長の信頼は我々のほうが大きいのですよ。つまり、所内での実質的な地位は我々の方が上だという事をお忘れなきよう。我々は所長より、あなたが不審な動きを見せたら我々の判断であなたを処分するよう指示を受けておりますので。」
拳銃を村上の頭に突き付け根本は言葉を続ける。
「さぁ、そろそろ無意味なお喋りは止めましょう。所長の大事な車をあなたの血で汚したくはありませんからね。」
村上は諦めて前方を見つめた。野崎が拳銃まで持たせていた事に気付けなかった。自分は全くの丸腰である。ここまでこの研究所は歪んでいたのかと愕然とした。張り詰めた空気の中、車は静かに走る。日が暮れ始めた頃、ようやく車は目的の住所へ辿り着く。ゆっくりと白石はスピードを落とし車を小さなマンションの前に止めた。表札を一つ一つ確認する。手元のメモにある名前は「桜井秋人」。22歳でアマチュアバンドをしているフリーターだという事まで調べ上げていた。前を歩いていた白石が一つのドアの前で足を止めた。
「ここだ。」
根本が小さな器具をドアに当てセンサーキーを強制解除する。彼らにとってコンピューター制御の鍵を開錠する事など朝飯前であった。ドアを乱暴に開け、土足のまま2人は部屋に入って行く。聡一は既に帰宅し、秋人はバイトに出掛けていて留守だった。突然の侵入者にリンは驚いて立ち上がる。
「何ですか! あなた方は!?」
白石は暗い笑みを浮かべてリンを見つめる。
「探していたのだよ、綸。さぁ、研究所へ戻るぞ。所長が心配しておられる。」
リンはわけがわからないと首を振る。
「研究所? 何を言ってるんです。私の戻る場所はここです。私はどこへも行きません。」
リンの言葉に根本は眉をひそめる。
「お前は所長のご命令で作られたのだぞ。何を恩知らずな事を言ってるんだ。お前は所長の大事な道具だ。お前が戻らないと所長がお困りになる。」
根本はリンを指差し村上を振り返る。
「村上さん、こいつは本当に綸なんでしょうね。あなたからも何とか言ってやって下さいよ。」
村上は根本に間違いなくリンだと答えるとリンの前に歩み出た。
「リン、あなたを作ったのは私よ。さぁ、あなたの本来の居場所に帰りましょう。ここはあなたの居るべき場所ではないわ。」
リンはかっとなって目を見開く。
「何なんですか一体! 私の記憶を消して放り出したのはあなた方ではないですか! 今頃現われて勝手な事を言わないで下さい!! 私はここに自分の居場所を見つけたんです。本当に私を必要としてくれる人がいるんです。生みの親だろうと何だろうと関係ない! 作られた目的などもう関係ない! 私に関わらないで下さい!」
村上はリンの言葉が理解できずに立ち尽くした。彼が「作られた目的など関係ない」と言った事が信じられなかった。機械が自分の意思を持ち自己主張するなんてあり得ない事だと考えていたからだ。自分があなたを作ったのだと言えばリンは素直に従うと信じ込んでいた。連れ戻した後は研究所に戻らず自分の手元でリンを使おうと考えていた所だった。機械が人間に逆らうなんてと、村上は激しく混乱した。白石と根本も同様である。忌々しげに白石は呟く。
「ちっ、どういう事だ。機械の分際で人間に逆らうとは。」
白石を見て根本は口を開く。
「こうなったら少々手荒な手段で行くしかないか。」
「ああ、そうだな。やってくれ。多少壊れてもすぐに直せる。」
根本は胸元から小さな銀色の器具を取り出した。暗い笑みを浮かべて根本はリンに詰め寄る。
「こいつは強力な磁力を発生させるものだ。これをお前の精密な頭に押し付けたらどうなるか、想像はつくだろう。できれば穏便に事を運びたかったんだがね。お前が抵抗するなら仕方がない。」
リンは怯えきった表情で後退りする。リンの様子に冷笑を浮かべながら根本はリンを壁際に追い詰めていく。背が壁に当たり、リンは腕で頭を覆った。その腕を無理やり掴んで引き離し根本はリンの頭に器具を押し付ける。
「うわあぁあぁっ!!」
リンの内部機関が強い磁力を浴びて激しく乱れた。それは次第にリンの頭脳を狂わせる。
「あ……きと……さ……ん……。」
平衡感覚が失われ、リンの機能はリンの意思と無関係に停止した。倒れたリンを見下ろし根本は忌々しげに呟く。
「全く手間かけさせやがって。」
村上はリンに歩み寄った。容姿と声でリンだという事はすぐにわかったが、黒く染められた髪と茶色い瞳に激しい違和感を覚えた。閉じられたリンの目をそっと開かせ、茶色のカラーコンタクトを外した。それを上着のポケットから取り出した紙片に包んで部屋のゴミ箱に放り込む。自分の作った物を他人の手でいじられた事が不愉快だった。リンの言葉を聞いてもまだ、リンは自分の所有物だという思いからの行動であった。村上の行動を見張っていた根本は不審な所がないと見るとリンを抱え上げ村上を一瞥する。
「村上さん、こいつは綸に間違いないんですか。おかしな事を口走ってましたが。」
白石も村上に詰め寄った。
「他に余計な事はしていないでしょうね。」
村上はゆっくりと2人に答える。
「えぇ、間違いなくリンよ。ここの人が何か手を加えたんじゃないかしら。」
「ふん、取り敢えず研究所へ戻るぞ。」
後部座席にリンを放り込むと白石は研究所に向けて車を走らせた。村上は秘かにここの住所を自分の手帳に控える。リンに手を加えたと思われる桜井秋人と連絡を取れるようにした方がいいと判断しての事だった。
外は夜になろうとしていた。西の空に僅かに夕焼けの名残が赤く広がっている。車の窓からそれを眺めた村上は、まるで血が滲んでいるようだと感じたのだった。


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