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十一




秋人は鼻歌交じりに階段を上っていた。ライブが近い為、バイトの後も連日練習が控えている。帰宅する頃にはすっかり夜が更けていた。疲れてはいたが、リンとの絆を確信した秋人は足取りも軽い。ポケットからカードキーを取り出すとロック解除を指示してセンサーにかざす。しかしセンサーは何の反応も返さなかった。秋人は首を傾げる。秋人は防犯に関して警戒心は強い。多少無理をしてでもこの防犯レベルの高いマンションを選んだのだ。リンが来てからは特に念入りに戸締りをしている。鍵をかけ忘れるなんて事は絶対に有り得ない。心臓が早鐘を打ち始める。何かあったのか。不安に駆られながら秋人はもう一度解除を指示しカードをかざすがやはり反応は無い。ドアノブに手をかけるとそれは何の抵抗も無く開いた。秋人は震える声で呼びかける。
「リン、どうしたんだよ?」
部屋は明かりもついておらず真っ暗だった。手探りで秋人は照明のスイッチを押した。そして心臓が止まりそうなほどの衝撃を受けた。明るくなった部屋のどこにもリンの姿は無い。
「リン!!」
秋人はパニックに陥りながら部屋中を探し回った。寝室にもユニットバスにもキッチンにも、この狭い部屋のどこにもリンはいなかった。秋人は崩れ落ちるように座り込む。キーが解除されていて、リンの姿は無い。ここを探し当てられ、強制的に連れ戻されたのか。
「リン、何があったんだ……。」
秋人が消え入りそうな声で呟いた瞬間、部屋の電話が静まり返った部屋に鳴り響いた。リンが助けを求めてかけてきたのかもしれないと秋人は飛びつくように電話を取る。
「もしもしっ!」
「あぁ、桜井。藤沢だけど。リン君を制作した施設について調べてたんだが……どうした? 何かあったのか?」
秋人の様子を察知した聡一は心配げに問い掛ける。
「バイトと練習から帰ったら、鍵が開けられてて、……リンがいないんだ。」
「何だって!?」
「部屋ん中、真っ暗で、どこにもリンがいないんだ。俺、馬鹿だ。バイトにも練習にもリンを連れて行けば良かった。そしたらこんな事には……。」
震える声で話す秋人に聡一は叫ぶ。
「今そんな事言ってもどうにもならないだろう、しっかりしろよ! 何か部屋に手掛かりはないのか? リン君のメッセージか何か。」
「ああ、探してみる……。」
放心状態の秋人に聡一は言葉をかけた。
「わかった。僕も今すぐそっちへ行くから、待ってろ。」
秋人の返事が聞こえる前に聡一は電話を切り車を飛ばした。恐らく昼間のクラッキングからリンの居場所が知られてしまったのだろうと聡一は考える。
「リン君の失踪は僕の責任だ。何としてもリン君を取り戻す。」
一時間と経たずに聡一は秋人のマンションに辿り着いた。茫然自失となっている秋人に声をかけた。
「ほら、桜井。しっかりしろって。」
泣きそうな顔で座り込んでいる秋人の頬を軽く叩き叱咤する。
「リン君が自分の意思で出て行ったんじゃないのは明らかなんだろう? 無理やり連れ去られたとしか考えられない。どこかに拘束されているならリン君はお前の助けをきっと待ってる。落ち込んでる暇があったらリン君を探して助け出す方法を考えろ。」
秋人は軽く頭を振って立ち上がる。
「そうだな。落ち込んでる場合じゃない。俺がしっかりしなきゃ。リンは必ずここへ連れ戻す。」
二人はリンの行方の手掛かりを捜し始めた。メールは関係ないものばかり。留守番電話にもメッセージは無かった。マンションの管理人にも聞いたが、自分がいた間は不審な人物は見ていないと言う。
「くそっ、手掛かりなしか。」
秋人は腹立たしげに部屋のゴミ箱を蹴飛ばした。それは倒れて床にゴミを撒き散らす。
「あぁ、何やってんだよ。」
呆れたように呟いて聡一は散らかったゴミを片付ける。情けない顔で秋人はそれを手伝う。ふと、ゴミを片付ける聡一の手が止まった。茶色のカラーコンタクトが紙片から覗いていた。それを手に取り聡一は丸められた紙片を開く。薄手の名刺に茶色いカラーコンタクトが包まれていた。リンを連れ去る時に外したのだろうかと聡一は考える。名刺には「野崎AI開発研究所 村上薫」と印字されていた。リンの失踪に関わりのある人物の物に違いない。
「桜井、これ。」
聡一は名刺とカラーコンタクトを秋人に見せた。秋人はそれをひったくると怒りをあらわにする。
「こいつがリンをさらって行った奴か。許さねぇ。リンの自由を奪う奴は許さねぇぞ!」
聡一は名刺を秋人の手から取り戻す。
「落ち着けって。この人は味方かもしれないぞ。こうして手掛かりを残していくくらいなんだから。とにかく、この人物に連絡してみよう。」
聡一は携帯電話を取り出し名刺に記された番号に電話をかける。コール一回で相手が出た。
「はい、村上です。」
「もしもし。夜分に申し訳ありません。私は桜井秋人君の友人で藤沢聡一と申します。お尋ねしたい事がありましてお電話差し上げたんですが……。」
秋人は思わず聡一の手から携帯電話を奪い取って叫んだ。
「あんたがリンをさらったのか! リンを返せ! リンは研究所へは戻らないって言ったんだぞ!」
村上は落ち着き払って応える。
「あなたが桜井君ね。私は村上薫です。ごめんなさい、こちらから連絡できなくて。」
聡一は興奮している秋人から携帯を奪い返す。
「すみません、藤沢です。今桜井君は落ち着いて話が出来る状態ではないので私がお話させて頂きます。実はですね、桜井君と同居していたアンドロイドが姿を消してしまったのです。そして、彼が付けていたカラーコンタクトと一緒にあなたの名刺が見つかりました。どういう事なのか説明して頂けますか。」
村上は声を潜める。
「私の行動は研究所に監視されているの。電話も盗聴されている可能性が高いわ。そこは桜井君のマンションかしら? うまく監視をまいてそっちへ向かうわ。話はそこで。」
「わかりました。」
聡一が答えるとすぐに電話は切れた。興奮している秋人に聡一は視線を移す。
「ここへ来るそうだ。どうやら彼女は僕らの味方のようだよ。研究所に監視されている中、危険を冒してまで名刺を手掛かりに残していったんだから。」
秋人はむくれ顔で答える。
「そんなのわかんないさ。リンのコンタクト包んで捨ててあったんだぜ。素手で他人のコンタクトに触るのが嫌だっただけの事かもしれない。あるいは罠かもしれないぜ。」
「そう悲観的に考えるなよ。まぁ、彼女が来ればそれははっきりするだろう。それまで待とう。」
居ても立ってもいられない様子で秋人は部屋をうろうろと歩き回り時計を睨んでいた。


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