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村上の返答を聞いた野崎は眉をひそめた。
「困るな、勝手な事をされては。確かに綸の制作の全権は君に譲ったが、綸の所有権まで譲った覚えは無いんだがね。」
村上はあからさまにむっとした顔をする。
「私が全権を持って制作したのですから、私に所有権があって当然だと思いますわ。」
野崎は冷笑を浮かべる。
「きみの論法は実に愉快だ。感心するよ。いいかね、君はこの研究所に雇われて所属しているのだ。研究所で作り上げた物の所有権は研究所にあるとは考え付かないのかね。その上綸の制作プロジェクトを組んだのは私だという事も忘れないでもらいたい。」
反論出来ない村上を冷たい目で見つめながら野崎は言葉を続ける。
「まぁいい。やってしまった事は仕方がない。これからは君にも綸の捜索に参加してもらう。それと、君の動きは随時監視させてもらう。また勝手な行動を取られては困るからな。話は終わりだ。行って構わんよ。」
村上は無言で野崎を睨むと部屋を出て行った。野崎は椅子に腰を下ろしタバコに火を付ける。
「綸は絶対に取り戻さねばならん。あれは私の長年の願いを叶える大事な駒なのだからな。」
野崎の口元には歪んだ笑いが浮かんでいる。
「政治家が科学者と結託して兵器を作るような腐った国を浄化するのだ。一般市民を傷付けてはならない。二度と昔のような戦いは繰り返してはならん。」
タバコを灰皿に押し付け野崎は部屋を後にした。消しきれなかったタバコが、灰皿から静かに真っ直ぐに煙を立ち上らせていた。


それから何日経っても依然としてリンの行方は知れなかった。進展しない捜索に野崎は苛立ちを隠さなかった。数人の所員が姿を消した。自主的に辞めて行ったとも野崎が「使えない」と見限り手を下したとも噂されたが、真相は誰にもわからなかった。野崎以外の誰もがリンの捜索を諦めていた。髪と目の色を変えてしまえば技術者でも見分ける事が困難なほどリンの容貌は人間そのものと言えた。そんなリンをネットワークから切り離されている状態で見つけ出す事などリンの方から居場所を知らせて来ない限り不可能であり、また記憶を消されているリンが居場所を研究所に知らせる事など絶対に有り得ない事だと、村上を始め誰もが思っていた。
しかしそんなある日、研究所のホストコンピューターが侵入者のIDと共にリンの登録IDを探知したのである。侵入者はリンの登録IDを入り口にして研究所へクラッキングを仕掛けてきたようだった。侵入者はすぐに接続を閉じてしまったが、IDさえわかれば充分だった。野崎はすぐに侵入者の正体の割り出しにかかる。そして1枚のメモを所員に渡し命じた。
「ここに綸がいる。すぐに連れ戻して来い。」
「はい。」
「それと村上君を同行させろ。確実に綸が本物だと確かめられるのは彼女だけだからな。綸に異常がないかどうかも確認させろ。」
そしてもう一人の所員に命じる。
「村上君を呼んで来い。綸の所在がわかったと言えば彼女はすぐに動く。」
「わかりました。」
数分後、村上は所長室に現われる。彼女は険しい顔をしていた。何故ここにクラッキングなど仕掛けてきたのかと、自分のした事が台無しになったと、そのハッカーに対し苛立ちを隠せずにいた。
「リンの居場所がわかったそうですね。」
野崎は苛立つ村上に冷笑しながら答えた。
「そうだ、喜ばしいことではないか。我が研究所の偉大な成果が失われずに済んだのだ。早速そこの2人と共にここへ向かってもらいたい。何か不満でもあるのかね。」
「いいえ、すぐに向かいますわ。」
無表情で答え部屋を出ようとした村上を野崎は呼び止める。
「車の運転は彼にやらせるといい。君は綸が本物かどうか、異常がないかどうかだけ確認すればいい。」
村上は再び険しい顔になって振り返る。
「一人で行きますわ。私を信用していないのですか。」
村上の言葉に野崎は冷笑を浮かべる。
「綸を逃がした張本人である君を信用しろと言う方がどうかしてると思うがね。他に質問が無いなら行動に移ってもらえないかね。時間が勿体無い。」
村上は険しい表情のまま部屋を出て行く。二人の所員は野崎に一礼し村上を追った。野崎は閉じられたドアを見つめ呟く。
「やっと見つけたぞ。お前がいれば果たせなかった我々の夢が叶う。さぁ、戻って来い、綸。」
駐車場へ出た村上は自分の車に乗り込もうとしていた。野崎の命令など聞く気は無かった。だがドアを開けようとした瞬間、追って来た所員に手を掴まれた。野崎の秘書、白石啓吾だった。野崎の腹心、根本誠司も険しい目で村上を睨んでいる。
「どこへ行かれるのです、村上さん。所長より車のキーを預かって参りましたのでどうぞこちらへ。」
有無を言わさぬ口調と強い力で掴まれた手に、村上は諦めて野崎の車の助手席に乗り込んだ。運転するのは白石である。後部座席に根本が乗り込むと、車は滑る様に走り出した。
村上はじっと前方を睨みながらこの二人より先にリンの元へ向かう方法を考えていた。先回りして再びリンを逃がすつもりだった。何があってもリンをAI兵器になどさせたくなかった。自分が作った物がどうして自分の思い通りに使えないのかと憤りを感じていた。ずっと一つのチームを組んで研究・開発をしていた彼女にとって研究の成果は研究者の物であるというのが当然の考えだった。研究の成果は所属する組織の物だという野崎の考え方は村上には到底理解できるものではなかったのである。そして、そんな村上の考えなどお見通しだとばかりに根本は後ろから村上を睨みつけていた。野崎に心酔している彼にとって、野崎に刃向かう村上の存在は許しがたいものであった。白石も同様である。リンの居場所がわかった以上、村上の存在は必ずしも必要ではなくなったと2人は考えていた。野崎にも、村上が不審な動きを見せたら何をしても構わないと指示されていた。野崎は自分と全く相容れない村上を切り捨てる事に決めたのである。野崎の理想実現の邪魔になるものは全て消すと白石も根本も固く誓っていた。
信号が赤になり車が止まると、村上はドアを開け飛び出そうとした。村上の行動に白石は冷たい笑みを浮かべる。その笑い方は野崎にそっくりだった。
「運転席からドアをロックしてあります。ここで操作しないとドアは開きません。窓は強化ガラスですから銃弾が当たっても割れません。」
村上は必死にドアロックを動かすがそれはビクともしなかった。忌々しげに窓を殴りつけ白石を睨む。
「私を束縛してどうしようというの。私はそんなものには屈しないわ。」
白石は更に冷笑を浮かべる。
「何もあなたを屈服させようというわけではありませんよ。ただあなたから目を離すなとの所長からのご命令です。」
根本も後ろから冷たい目で村上を睨む。
「その通り。所長のご命令は絶対ですから、しばしご辛抱を。あなたが何もしなければ危害は加えません。」
村上は未知のものでも見るような目をして叫んだ。
「あなた達おかしいわ!所長の命令は絶対ですって?ならあなた達は所長が人を殺せと言ったら実行するの?あなた達に死ねと言ったら死ぬの!?」
2人は異口同音に答える。
「もちろんですよ。」
根本は言葉を続ける。
「我々は進んで所長の駒となったのです。所長の為に働く事が我々の使命であり喜びです。」
理解できないと村上は首を振る。
「何故そこまで執心するの? 所長が何をしようとしてるか知っているの? あの男は危険思想を持つ狂った科学者よ!」
村上の言葉が終わると同時に背後でかちゃりと冷たい音がした。驚いて村上が振り返ると根本の手には黒く光る拳銃が握られていた。
「それ以上所長を侮辱すると二度と口が利けなくなりますよ。あの方は崇高な理想を持った、素晴らしいお方です。」
白石も運転を続けながら熱っぽく語る。
「その通りですよ。所長は科学者としても人間としても素晴らしい方です。我々の才能を買って下さり我々を救って下さった。我々の大恩人なのです。」
2人はかつてクラッキングの常習犯だった。技術者としての道を断たれそうだった所を野崎がその技術力に目をつけ拾ったのである。野崎にとっては白石も根本も理想実現の道具に過ぎないし2人自身もその事を理解しそれを本望と思うようになった。理想を掲げたった一人で研究所を立ち上げ、政治家の耳にも届く技術力を持った野崎に2人は心酔していったのである。


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