村上は車を走らせながら、リンを取り戻すのに今の2人は使えるだろうと考えていた。リンを保護してくれていた事に感謝せねばならないとも思った。そしてリンを自分の手に取り戻した際の2人への謝礼の事を考え始めた。電話をしてきた藤沢聡一については何も情報は無いが、桜井秋人はフリーターだという情報がある。電話での様子は気になったが、ある程度まとまった額のお金を渡せばいいだろうと考えていた。村上は秋人とリンの絆など知る由もない。また、知ったところで信じるはずもなかった。人間と機械の交流など念頭にないのである。ふと、バックミラーで後ろを見ると見慣れた黒い車が1台、一定の距離を置き闇に紛れるようにしてついて来ているのが見えた。白石の車である。村上は彼らを振り切ろうと強引な運転で車を走らせていった。
運転する白石の横で村上の車を睨みながら、根本は野崎に電話をかける。
「村上さんが動き始めました。行き先は桜井秋人のマンションです。阻止しましょうか。」
野崎は冷徹な声で告げる。
「いや、そのまま尾行を続けろ。あいつが何をする気か見てみようじゃないか。」
「了解しました。尾行を続けます。何かあったらまた連絡します。」
電話を切ると根元は白石に声をかける。
「ずいぶんと無茶な運転をしているな、彼女は。」
白石はちらりとだけ根本に視線をやり答えた。
「俺達を振り切ろうとしてるんだろうな。ご苦労なことだ。」
白石は冷笑を浮かべ言葉を続ける。
「いっそあれで事故でも起こしてくれりゃ楽なんだがな。」
「ああ、そうだな。しかし世の中そんなに上手くは行かんさ。」
白石は根本の言葉にフッと笑い村上の車を見据えた。その目は敵意と憎悪に溢れていた。助手席の根本の目も同様である。車内にはエンジン音が低く不気味に響いていた。
村上の車が秋人のマンションの前に辿り着いた。車内から村上は聡一の携帯電話へ電話をかける。
「藤沢君だったかしら? 村上です。今マンションの下にいるわ。2人で下りてきてもらえるかしら。これからすぐ研究所へ向かってリンを取り戻すわ。あまり時間がないの。詳しい話は車の中でするわ。」
「わかりました。」
聡一は電話を切ると秋人に告げる。
「村上さんが下にいる。これからリン君を連れ戻しに行くそうだ。僕らも行こう。」
秋人は聡一を見つめ返す。
「まだ向こうの事信用できるかわかんねぇのに危険じゃないか? こっちへ呼んで話を聞いてからの方が良くないか?」
聡一はコートを羽織りながら答えた。
「リン君はやはり研究所の連中が連れ去ったようだ。急がないとあのリン君は消滅してしまうかもしれない。本来の目的に相応しいように記憶を書き換えられてしまうかもしれないんだ。そうなる前にリン君を連れ戻そう。彼女が信用できるかどうかは後回しだ。」
聡一の言葉に秋人は頷き立ち上がる。
「わかった、行こう。リンを連中の好きなようにはさせない。」
2人が下へ下りて行くと村上は車の窓を開け2人を呼んだ。秋人が助手席へ、聡一が後部座席へ乗り込む。車を発進させ村上は口を開いた。
「私は村上薫。リンの制作責任者よ。研究所へ着くまでに事情を説明するわ。」
秋人はぶっきらぼうに口を開く。
「俺は桜井秋人、こっちは藤沢聡一、ってもう調査済みか。何で今更リンを連れ去ったんだ。リンはもう研究所へは戻らないって言ったんだぞ。どうせあんたらリンの意思なんか無視して強引に連れ去ったんだろう。」
村上は冷静な口調で答える。
「あなた方が研究所へクラッキングを仕掛けてきたからリンの居場所がわかってしまったのよ。リンを連れ去ったのは所長の腹心の部下達よ。私は逆らう術を持たなかったの。所長はリンをAI兵器として使うつもりよ。リンを作った私の意志などお構いなしにね。絶対にそんな事させないわ。」
聡一が村上の話に言葉を挟む。
「やはりリン君はAI兵器として生まれたんですか。」
村上はミラー越しに聡一を見つめ答える。
「そうよ。完全な知能を持った機械に政府は大きな関心を寄せているの。所長は政治家と結託していてね、私を利用してAI兵器を作らせたのよ。そうして国を乗っ取ろうとしているの。冗談じゃない。私はそんな目的のためにリンを作ったんじゃないわ。」
憤る村上に秋人は口を開いた。
「じゃあ、あんたはどういうつもりでリンを『作った』なんて言うんだ。あんたの意思? リンを物みたいに言わないでくれ。そんな風に言ってる所を聞くと俺にはその所長とあんたの意識にたいした差があるとは思えないね。」
秋人の言葉に村上はむっとして答える。
「リンは医療技術開発の為に作ったのよ。私はAIを人類の平和の為に利用しようとしているの。危険思想を持った陰険科学者と一緒にしないでくれる?」
秋人は嘲笑を浮かべた。
「あんたも所長とやらも、リンを道具としてしか見てない事に変わりないだろ。リンは人間の道具なんかじゃない。人格と心を持った立派な1人の人間だ。」
村上は信じられないといった顔をする。
「リンが人間? あなた大丈夫? リンの人格は私の弟のものよ。コピーされたものに過ぎないわ。それにリンはれっきとした機械よ。クラッキング仕掛けてきたくらいならリンの内部構造も見たでしょう。あれのどこが人間だって言うのよ?」
秋人より先に聡一が顔をしかめて口を開く。
「確かにリン君は物理的存在としては間違いなく機械です。しかし、彼は揺るぎない自分の心を持っています。心を持つ者を人と呼ぶのはおかしいですか。」
村上は呆れた顔で答える。
「リンが心を持ってるですって? 何を言ってるの? 機械が心なんか持つわけないわ。機械は人間に従属する道具なのよ。道具に心なんかあったって邪魔なだけじゃないの。」
その言葉を聞いた瞬間、秋人はハンドブレーキに手をかけ思いっきり引いた。車はタイヤを軋ませ不快な音を立てて停止する。後続車が激しくクラクションを鳴らした。秋人の手を払いのけ村上は叫ぶ。
「何するの! 危ないじゃない!」
秋人は負けじと叫び返す。
「リンは道具なんかじゃねぇって言ってるだろ! リンは俺の大事な人なんだ、道具呼ばわりは許さねぇ!」
車を再び発進させ村上は口を開く。
「そんなにリンが大事だって言うならどうして研究所にクラッキングなんか仕掛けてきたのよ。そのせいでリンの居場所が知れたのよ。せっかくデータを消して回線も切り離してリンを逃がしたのに台無しだわ。リンをネットワークから断ち切って研究所からリンにアクセスする術を無くしたから大丈夫だと思っていたのに。」
聡一がその言葉に答える。秋人同様、聡一も村上の言葉に憤りを感じていた。
「リン君は自分の記憶が消されている事に苦しんでいました。彼は自分の存在理由を求めて失くした記憶に縋っていたんです。リン君を苦しみから解放する為に彼のプログラムを開いてハッキングも行ったんです。こちらの素性が割れてしまったのは迂闊でしたが。ハッキングによってリン君の事は推測がつきました。とてもリン君に伝えられる内容ではありませんでしたけどね。」
村上は信じられないと首を振る。
「リンが記憶の無い事に苦しんでいたですって? そんな事有り得ないわ。どうして機械が自分の存在理由について悩むのよ。」
聡一はミラー越しに村上を睨む。
「『自分は何故、何の為に生まれたのか?』というのはこの世に生きる者にとって永遠の疑問ですよ。機械はそれを明確に自覚させられているから考えなくて良いだけの事です。リン君は違います。彼は自分が何故生まれてきたのか知らされていないから悩み苦しんだんです。ましてリン君には『機械は目的があって初めて作られるもの』という認識がありましたから悩んで当然です。」
聡一は何故村上が「信じられない」と言うのか理解できなかった。人工のものであるとはいえ、リンは高い知能を持っているのである。ならば悩んだり苦しんだりするのは当然のことだと言える。AIについて学びそれを完璧なものにした村上が何故それを理解しないのか、何故機械は悩まないなどと思っているのか、聡一には理解できなかった。
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