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十三



村上は機械という完璧であるよう作られた存在が何故、悩むなどといった非合理的な事をするのか理解出来ないでいた。機械や人工知能とは不完全な人間に代わってミスの無い完璧な仕事をするように、また人間の手では限界に達した技術開発や研究をそれによって先が開かれる事を期待して作り出されたものだというのが彼女の認識だった。そして機械のセルフコントロールを人間が操作し支配する事によって機械と人間は共存しているのだと考えていた。機械が人間同様に悩んだり苦しんだり等といった非合理的な感情を持っていたらそれは達成できないではないかと、やはり機械に感情など無いし必要ないと村上は考えた。そんな彼女の思いを感じたのか、村上を睨みつけたまま秋人は口を開く。
「リンは人間なんかよりもずっと綺麗な心を持ってるんだ。あんたらの都合でそれを踏み躙るなんて俺は許さないからな。」
聡一も怒気を含んだ声を発する。
「機械には心なんて無いというのは人間の驕りです。道具だと主張する事で自分のエゴを正当化しているに過ぎません。」
村上は溜息混じりに2人を見遣る。
「私は驕ってなどいないと言っても理解されないでしょうね。これ以上無駄なお喋りは止めましょう。不愉快になるだけだわ。」
秋人はフンッと鼻を鳴らし険しい表情で前方を睨んでいた。聡一もミラー越しに強く村上を睨み窓の外へ視線を向けた。この女性は研究所とは対立しているらしいが、自分達の味方でもないのだと秋人達は確信した。そして絶対にリンを秋人の元へ連れて帰ろうと誓った。彼女の元へ連れて行かれたら、リンの綺麗な心は踏み躙られ二度と笑ったり喜んだりする事はなくなってしまうだろうと思えた。そんな事は絶対にさせられない。かけがえの無い存在であるリンをこんな事で失いたくなかった。リンと心が通じ合えたと確信できたばかりなのだから。リンを一人にした事を激しく後悔した。
村上は秋人がそこまでリンに執着する理由が解らなかった。村上にとって、弟の人格をコピーしたとはいえリンは機械に過ぎない。自分が作り上げた大事な道具だと言う認識しかなかった。たとえリンが感情を持ったとしても、それは知識の上のものでしかないだろうと考えた。彼女がリンを逃がした時、リンが「あなたの立場が悪くなる」と心配げに言ったのも、状況を理解し知識系統に基づいて対応を判断したものだと思っていた。野崎がリンを作らせた本当の目的を知った時、野崎の目的に関わる知識や機能を抹消したのも自分の意思に不要な物を抹消したに過ぎないのである。

 車は都心を抜けて郊外へ向かっていた。張り詰めた空気を乗せたまま車は夜更けの道を進んでいく。やがて視界の下方に明かりに照らされた白い建物が見えてきた。小高い山の麓にあるこの建物が「野崎AI開発研究所」である。車は所員専用ゲートへ向かって坂を下り始めた。カーブした道を慎重に運転しながら村上は口を開いた。
「ここがリンを作った研究所よ。」
秋人は闇に沈むように建っている研究所を睨み据えた。リンが無理やり連れ戻された場所だと思うと、それはとても禍々しい場所のように映った。秋人は固く拳を握る。
「必ず助け出すからな。待ってろよ、リン。」
聡一もこの研究所を気の澱んだ場所だと感じていた。純粋な研究欲以外の歪んだ欲望や策略に満ちているように見えた。
「こんな場所であの純粋なリン君が生まれたのか。信じ難いな。」
そして拳を握った秋人を見て、リンの純粋な心は秋人の影響だと思い直した。この研究所で暮らしていたらリンはあの純粋さや優しさを身に付ける事はなかっただろう。
村上は車をゲートの脇に止める。その瞬間、強い光が3人の乗った車を照らした。前方に止められた車のヘッドライトだ。その車から2人の人物が降りてくるのが見えた。ヘッドライトが逆光となって車を降りた人物の顔は見えなかったが、村上にはその2人が誰なのか解っていた。ゆっくりと村上の車に近付いてくる。秋人と聡一は何が起きているのか解らなかったが、自分達に不利な状況が訪れようとしていることははっきりと感じていた。2人のうち1人が村上のいる運転席側の窓をコツコツと叩いた。白石である。手には拳銃が握られていた。もう1人、根本は3人の退路を断つように車の背後に回り込んだ。白石は村上に窓を開けるよう示す。
「我々をまいたつもりのようですが、残念でしたね。」
無言で唇を噛み締める村上に白石は冷笑を浮かべた。
「あなたの考えなど所長は全てお見通しです。さぁ、所長の下へ参りましょう。」
秋人は険しい顔で村上に詰め寄る。
「おい、何が起きてるんだ。こいつら何者なんだ? あんた、俺達をこいつらに引き渡すつもりだったんじゃないだろうな?」
秋人の言葉に首を横に振り村上は悔しげに口を開く。
「そんな事して何になるのよ。この2人は所長の腹心、リンを連れ去った張本人よ。」
自分達に向けられた銃口に目をやり、村上は諦めたように問い掛ける。
「で、私達にどうしろと?」
白石は空いている方の手で研究所を示した。
「そちらのお2人共々、所長が会いたいとおっしゃっていますので、我々について来て頂きましょうか。」
村上は仕方なく車を降りた。自分1人ならともかく今は秋人と聡一がいる。逆らうのは得策ではなかった。秋人と聡一も村上に従い車を降りた。背後に立った根本も銃口を3人に向けている。逃げられる状況ではなかった。根本は秋人を見遣り慇懃に口を開いた。
「逃げようなどとはお考えにならない方が身の為ですよ、桜井君。綸を見にいらっしゃったのなら所長の下へ向かわれるのが確実です。さぁ、参りましょう。」
白石がゲートのロックを解除する。白石を先頭に村上、秋人、聡一、最後に根本がゲートをくぐり進んでいく。さほど広くはない敷地の中に幾つかの建物が縦横に正確に建ち並んでいた。拳銃を構えて歩きながら根本は聡一にそっと声を掛けた。
「綸の行動原則を書き換えたりハッキングを仕掛けてきたりしたのは君か?」
聡一は前を向いたまま静かに答える。
「えぇ、私ですが。」
根本は歪んだ笑みを浮かべ言葉を続けた。
「どうだい、この研究所に入る気はないかな? 君の能力を是非所長の為に使ってほしいのだよ。君の能力ならきっと所長に気に入られるだろう。報奨金も成果に見合った希望通りの額を所長は出してくださる。贅沢な生活も可能になる。」
聡一は前方を見据えたまま答えた。
「申し訳ありませんがその気はありません。私はどこにも属さず仕事をするのが性に合っていますので。今の生活にも満足しています。」
「そうか、それは残念だ。君なら村上さんのいなくなる穴を埋められると思ったのだが。」
聡一は思わず根本を振り仰いだ。
「村上さんの穴を埋める? どういう事ですか?」
ニヤリと笑って根本は首を振る。
「いや、喋り過ぎたな。気にしないでくれ。」
聡一は根本の暗い笑みにぞっとしながら視線を前方に戻した。ここの所長は一体何を考えているのだろう。AI兵器を製作して国を手中にしようとしている。そして反発する者を排除しようとしている。それは恐らく解雇するというだけの事ではないだろうと感じた。そうまでして国家の支配者になる事に何の意義があるのだろうと疑問に思った。村上の背中を見つめる。彼女は何か考え込んでいるようで、ひそひそと交わされた根本と聡一のやり取りは聞こえていなかったようだ。聡一は村上にいい印象を抱いていないが、だからといって理不尽に排除されていいはずがない。しかしどうする事も出来ず、聡一はただ村上の背を見つめていた。


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