白石は応接室や所長室のある棟に入っていった。真っ白な壁に塵一つない廊下が延々と続いている。正確に並んだ幾つもの部屋。歩きながら秋人と聡一は眩暈を感じた。さほど大きな建物ではないのに、どこまで行ってもどこにもたどり着けないような感覚に陥る。長い階段を上り応接室に着くと白石は秋人達を振り返った。
「では所長に知らせて参りますのでしばしお待ちを。完成した綸を皆さんにお目にかける事も出来るでしょう。」
白石が立ち去り、根本は秋人達にソファへ座るよう促した。三人が腰を下ろすと根本は村上の向かいに座り彼女を見据えた。
「あなたも恩知らずな人だ。この研究所に入れたのは我々の手引きだというのに、あれこれと勝手な行動を取られるとは。恩を仇で返すとはこの事です。」
村上は怪訝な顔をして根本を見返す。
「何を言ってるのかわからないわ。あなた方の手引きなど受けた覚えはないわよ。」
「あぁ、これは所長もご存じない事でしてね。我々が所長の下についた頃、ここには高度な設備が整っていましたが、それを使いこなせる能力を持った技術者が所長お一人しかいなかったのです。所長はお忙しくて技術者のスカウトまで手が回らない。そこでですね、我々はどうすれば所長の望まれる成果の出せる技術者をここに入れる事が出来るか考えたのですよ。AI研究の盛んな地域で日本人の技術者を探すうちにあなたを見つけました。そしてあなたの所属する開発チームのホストコンピューターに忍び込みあなたのIDを盗み出す。それを利用してあなたを装い政府のコンピューターにクラッキングを仕掛けたんです。わざと犯人が見つかるようにしてね。ネットポリスに見つかったら一巻の終わりでしたが、運命の女神は我々に味方した。うまい具合に所長と繋がりを持っておられる政治家先生に発見され、思惑通り所長の下へ紹介して下さった。所長は有能な研究者を得られた。あなたは充分な設備のあるここへ所属できた。政治家の支援を得ていない他の研究所の設備などろくな物ではありませんからね。あなたは幸運だったのですよ。」
村上はもちろん、秋人と聡一も驚きを隠せないでいた。そんなに手の込んだ事をしてまでこの2人は野崎の野望を助けようとしているのかと。
「あなた方が、私に政府コンピューターへのクラッキングの濡れ衣を着せたの?」
根本はニヤリと笑って答える。
「えぇ、その通りです。我々は所長のお役に立つためならどんな手間も惜しみません。」
首を振って平静を取り戻すと村上は根本を見据えた。
「私はリンを取り戻したらここを辞めるわ。所長の考えにはついていけない。」
特に動じる様子も無く根本は答える。
「所長の計画はだいぶ修正を迫られましたがね、あなたがいなくなる事は計画の内ですよ。」
村上は根本の言葉の意味を量りかねていた。自分には「ここを辞める」という選択肢は用意されていないのだということを彼女が知るはずもなかった。
根本と村上の会話が途切れたのを見て秋人は口を開く。
「あんた達何を考えてるんだ? リンをどうしようっていうんだ。リンは人間の道具なんかじゃないぞ。」
聡一も口を挟む。
「機械は人間の対等なパートナーです。あなた方のような意識では機械と人間の共存は叶いません。」
根本は2人の言葉を鼻で笑う。
「人間の道具ではない? 機械と人間の共存? 面白い事をおっしゃる。人間は機械を作って利用し、機械は人間に従属する。これで世の中はきちんと動いているではないですか。これを共存と呼ぶのでしょう。人間と機械が対等だなど、ただの戯言に過ぎません。」
聡一は根本を睨みつける。
「知能や感情を持つ者を従属させる事に疑問を感じないのですか。」
聡一の言葉に村上が口を挟む。
「機械が感情を持っているとか、人間と機械は対等だなんていうのは危険な考え方よ。人間より優れた頭脳を持った機械を対等だとしたら、いずれ支配関係はひっくり返されてしまうわ。感情を持った機械が、自分達より劣る人間を対等だなんて考えるかしら。人間が機械に従属させられてしまうような世の中をあなたは望んでいるの?」
根本が隣で頷く。
「その通りです。珍しく意見が合いましたね、村上さん。まったく彼女のおっしゃる通りです。機械の支配権を人間が握っておく事で、初めて機械と人間の共存は成り立つのです。機械に『人間は創造主であり逆らう事は許されない』と教え込むのです。機械はただ人間の為に働く、それでいいのです。」
聡一が反論しようとした時、応接室の扉が開き白石が戻ってきた。
「所長がメインコンピュータールームでお待ちです。ご案内します。」
白石を先頭に一同は廊下を歩いていく。野崎のいる部屋の前にたどり着くと秋人は強く拳を握った。白石がドアをノックする。
「所長、皆さんをお連れしました。」
「あぁ、ご苦労。入れ。」
白石がドアを開け一同は部屋に入る。窓は無く、驚くほど天井が高い部屋だった。中央に大きなメインコンピューターがあり、それを取り囲むように様々な機器が並んでいる。野崎はコンピューターの前に座っていた。椅子をくるりと回して振り返ると野崎は口を開いた。
「ようこそ、私の栄光の出発点へ。君達は重大な歴史の目撃者になれるのだ。」
村上は顔をしかめる。
「何が栄光よ。ただの狂った野望じゃない。」
野崎は村上に視線を移す。
「あぁ、村上君。君には是非とも完成した綸を見てもらいたい。君の作った綸がどのように私の役に立つ存在であるかじっくり見てくれたまえ。これは私の技術力と君の技術力との偉大な結晶だ。」
村上は野崎を睨みつける。
「何とおっしゃられようと私の意志は変わりません。リンを取り返して別のきちんとした研究施設へ移ります。リンを返して下さい。」
「綸はこの研究所の物だと再三言っているではないか。まぁ、君がいなくともこのプロジェクトは動かせる。綸が我が手に戻ったのだからな。」
秋人と聡一へ視線を移すと野崎は言葉を続ける。
「君達が綸を保管してくれていたのか。感謝する。多少いじってしまったようだが、まぁかなりいい保存状態だったと言えるだろう。君達には報酬を用意してある。」
野崎の言葉に秋人はむっとして答える。
「俺はリンを保管していたんじゃない。一緒に暮らしていたんだ。俺はリンを俺の元へ連れ戻す為に来たんだ。リンはここへは戻らないって言った。本人の意志を無視して強引に連れ去るような奴らの所にリンをいさせるわけにはいかない。」
野崎は冷笑を浮かべる。
「連れ戻す為、ね。果たして綸はそれを望むと思うかね。」
「当たり前だ!」
野崎は冷笑を浮かべたまま悠然と立ち上がる。
「では完成した綸をお目にかけよう。綸の所有権についてはそれからだ。」
野崎はコンピューターの陰に向かって声をかけた。
「綸、こっちへ来い。完成したお前を皆さんに披露しよう。」
「はい。」
ひどく硬質な声が聞こえ秋人と聡一は耳を疑った。
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