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十五



声は確かにリンのものだ。だが、今の声からはリンの穏やかさや優しさは一切感じられなかった。感情のある者の声なのかと言う事も疑わしいくらいに硬く冷たい声だった。コンピューターの陰からリンが現れた。目は赤く、髪は元の銀色に戻されているがリンには違いなかった。しかしその目つきや表情、全身から漂わせる雰囲気が、以前のリンとはまるで違っていた。刃物のような鋭さ、そして野崎と同じような冷酷さを漂わせていた。秋人は恐る恐るリンに声をかける。
「お前、リンだよな? さぁ、俺の家へ、帰ろう?」
リンは赤い瞳を冷たく光らせ秋人の方を向いた。
「帰る? 私の帰る場所はここですよ。桜井明人さん。」
秋人は困惑する。リンの秋人に関する記憶はあるにもかかわらず何故そんな事を言うのかと。呆然とする秋人に聡一が声をかけた。
「恐らく今のリン君は桜井の事を情報としてしか知らないんだ。お前との生活の記憶は消されてしまったんだろう。何て事をするんだ。」
野崎はくつくつと笑いながら口を開く。
「君達や村上君が色々といじってくれたお陰でだいぶ余計な手間がかかってしまったよ。それでも、桜井君といったかな? 君の事を綸に記憶させておいた事は感謝してもらいたいね。綸が恩人の事を知らないというのはさすがに哀れだと思ったのでね。」
秋人は信じられないといった顔でリンを見つめた。
「リン、俺の事覚えてないのか?」
リンは口元を歪めて小さく笑う。
「覚えていますよ。あなたは桜井秋人、フリーターをしながらバンド活動をしている22歳の青年。都心の外れの小さなマンションで一人暮らし。」
リンの言葉を遮り秋人は叫ぶ。
「そんなもの覚えているなんて言わない! こいつはリンじゃない、俺のリンを返せよ!」
野崎は秋人を見遣り冷笑を浮かべる。
「君までそんなおかしな事を言うのかね。綸は我が研究所が所有する物だ。綸は私の願いを叶える為の大事な駒なのだよ。」
リンに視線を移し野崎は言葉を続ける。
「綸を量産すればこんな腐った国など簡単に浄化できる。誰の尊い血も流すことなく革命が成就するのだ。罪無き国民を傷付ける訳にはいかんからな。」
暗い笑みを浮かべる野崎に村上は指を突きつける。
「あなたは狂っているのよ。人間の社会は人間が作り変えるべきだわ。それに私達は平穏に暮らしてるわ。あなたのエゴで世の中を掻き乱す事など許されないわ。」
野崎は村上に視線を移す。
「君は本当に世の中が平穏だと思うのかね。政治家が科学者と結託して秘密裏に兵器を作らせている社会が、平穏な社会だと君には思えるのかね。」
村上は野崎を睨み返す。
「政治家との結託はあなたが望んだ事じゃないですか。そのお陰で莫大な資金を得られたし、あなたはここの独裁者になったのでしょう。」
村上の言葉に野崎は顔をしかめた。
「私にとって奴らとの繋がりは資金を得る手段の一つに過ぎん。資金にはそれ程困っておらんしな。そして奴らにとっては秘密裏に兵器の製作をさせるのにここは都合のいい、規模の小さな研究所であったというだけのことだ。」
リンに視線を移し野崎は言葉を続ける。
「綸が完成した今、もう奴らの力は必要ない。むしろ邪魔になる。綸を使って真っ先に奴らを排除する。」
野崎の言葉に秋人の声は震える。
「リンに、何をさせようっていうんだ。」
野崎はリンの肩に手をかけた。
「綸は何でも出来る。ハッキングに盗聴、ミサイルの演算処理、暗殺、高ストレス状況での戦闘にも機械は最適だ。毒物や生物兵器の影響も受けない。良心や恐怖心に邪魔されることなく任務を遂行できる。どんな任務を命じてもミス無くやってのけるだろう。天才的な頭脳を持った機械兵団の完成だ。それを統制することで、この国は私の思うままだ。」
歪んだ笑みを浮かべる野崎に聡一が口を開く。
「そうしてこの国を手に入れて何をしようというんです。何の為にこの国が欲しいのですか。」
野崎は聡一を見遣る。
「さっきも言った通り、この国を浄化するのだよ。己のエゴを押し通し大きな顔をして私服を肥やす連中の為に、我々国民の生活を脅かされるわけにはいかんだろう。君達は今の社会に不満を抱いた事はないのかね。」
聡一は冷静に答える。
「それならばいくらでも正当に訴え出る手段があります。武力に縋る必要はありません。そんな事は知性の無い人間のする事です。」
「甘いな君は。それが現代の若さというものかもしれん。いいかね、過去に何人もの人間がその正当な手段で訴え出て、汚いやり方で潰されてきたのだよ。権力を持たない我々が主張をするには武力に縋るしか手段はないのだ。それも政府の力を上回る完璧な武力でだ。昔は多くの者が貧弱な武力で立ち向かっていった。そして惨たらしく潰された。我々は多くの血を流した。奴らはそれを肴に飯を食っていたような有様だ。」
野崎は一同を見回し言葉を続ける。
「この際だから教えてやろう。私は十代の頃、貧弱な武力で政府に立ち向かう革命活動を行っていたのだ。君らも聞かされた事があるだろう。今から40年ほど前の話だ。ちゃちな護身用の銃や小爆弾、拙いコンピューター技術のみで我々は戦った。そんな武力では勝ち目は無いのが目に見えていたが、当時はそれが精一杯だった。それでも5年間ほど我々と政府の戦いは続いた。多くの仲間が傷つき命を落とした。我々とは無関係だったのに牢に入れられ処刑された者もいた。最後は、リーダーだった男が捕まって処刑され我々は散り散りに逃げた。捕まった者もいたし自決した者もいた。過去を捨てまっとうな暮らしを始めた者もいた。逃げながら私は考えた。自分はどうしよう、どうするべきかと。捕まるわけにはいかないし、自決などは無意味だ。かと言ってまっとうな暮らしをするなど、倒れていった仲間や巻き込んでしまった人々の事を思うと出来るはずがない。ならば私は何をするべきか。それはもちろん、正当な我々の主張を握り潰し、多くの命を、無関係な者の命までも奪った政府への復讐と革命の成就だ。」
一息に話すと野崎は大きく息をついた。白石と根本は思想家の尊い教えでも聞いているような恍然とした顔をしていた。


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