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十七



執拗にリンは秋人の腹部を蹴るが秋人が手を放す様子は無い。秋人の苦しむ姿に耐え切れず村上は懐から拳銃を取り出し野崎に銃口を向けた。
「今すぐリンに与えた命令を解きなさい!」
野崎は嘲笑を浮かべる。
「相変わらず君は短絡的だな。私を殺せば綸の命令を解く事が出来る者はいなくなってしまうぞ。それでもいいのなら撃ちたまえ。」
村上は不敵な笑みを浮かべ野崎の肩目掛けて発砲した。血の溢れる左肩を押さえ野崎は驚愕した表情で村上を見据える。
「な、何を……。」
「死なない程度の苦痛を与える為に急所を外したのよ。さぁ、早くリンに与えた命令を解くのよ!」
しかし野崎は村上に銃口を向けた白石達を止め、苦痛に顔を歪めながらもにやりと笑う。
「たとえ私が死んでも、綸は私の願いを叶える為に、動くようプログラムしてある。私は年老いていずれ死ぬが、綸は永遠不変だ。私の亡き後も、綸は私の変わりにこの国を守るのだ。私の計画は完璧だ、誰にも邪魔はさせん。」
村上は舌打ちをしてリンに視線を移す。
「リン、止めなさい。あなたはそんな事をする為に作られたのではないのよ。」
リンは村上を見遣り口元だけで笑う。
「私は野崎所長の願いを成就させる為に作られたのです。」
その言葉に秋人は再びリンを見上げる。
「それは違うぜ、リン。お前は俺と出会う為に、生まれたんだ。」
リンは冷ややかに秋人を見下ろす。
「何を言ってるんです? この状況でまだそんな事が言えるんですか? このままあなたの腕を引き千切る事も出来るんですよ。」
尚もリンは秋人の腹部を蹴りつける。村上は見ていられなくなり叫ぶ。
「桜井君、もう諦めるのよ! リンは元には戻らないわ!」
秋人は村上に視線を移し力無く笑いかけた。
「いや、俺は諦めない。あの優しいリンを、必ず取り戻す。」
秋人はゆっくりと立ち上がるとリンの額に思いっ切り強く自分の頭をぶつけた。聡一は驚いて秋人に駆け寄る。
「桜井! 何やってんだ! 無茶をするな!」
秋人は力無く笑う。
「記憶を取り戻すには、ショック療法が、いいかと思ってさ。よく言うだろ。『頭殴れば記憶戻るかも』って。」
再びリンに頭をぶつけようとする秋人に聡一は叫ぶ。
「馬鹿か、お前は! そんな事したらお前の頭が衝撃でおかしくなるだろ! それじゃリン君を取り戻しても何の意味もなくなる! 何よりリン君が苦しむじゃないか!」
秋人を抑えながら聡一はリンに視線を移す。
「リン君、僕は君に『自己を守らなくてはいけない』と命じたはずだ!」
「そうだ、リン。お前は誰かの道具なんかじゃない! お前の綺麗な心を取り戻すんだ!」
聡一の制止を振り切り秋人は再びリンに頭をぶつける。
「やめろ、桜井!」
聡一はもう一度リンへ頭をぶつけようとする秋人を必死で止める。村上はそんな2人を見て、秋人のリンに対する想いの深さに呆然となった。自分が傷付いても、リンの事を必死に想う秋人に畏敬の念すら抱いた。だが機械の心を信じていない村上は、秋人の想いは一方的なものであると考えていた。そして秋人を哀れに思った。
その間、リンの動きは止まっていた。どこか遠くを見ているような目つきをし口を開く。
「……私の心……。『第一条:AIは自己を守らなくてはならない。』……。」
「リン?」
秋人が呼んだその瞬間、リンの体内から音楽が流れてきた。口からではない、リンの全身から溢れるように音が流れてくる。聞き覚えのある旋律に秋人ははっとする。
「この曲、俺が作った曲だ。」
リンは狼狽して叫ぶ。
「何だ、この音は!? こんな物は私のプログラムの中に無い!!」
リンは激しく混乱する。プログラムに無いこの音は何だ? 今のリンは、自分に理解出来ないものなどない完璧な頭脳を持っていると自覚させられている。その自分の中から理解不能な現象が起きている事がリンを錯乱させる。野崎達にも、リンに何が起きているのかわからずにいた。プログラムに無い機能が発動するはずはない。研究所に連れ戻した際に、秋人との生活に関する記録は全て抹消したはずだった。プログラムを外部から書き換える事も出来ないようにした。ちょっとした衝撃くらいで抹消した記録が蘇るはずもない。錯乱するリンに野崎は苛立った声を上げた。
「綸、何をしているのだ! 早くその3人を処分しろ。」
「わかって、います。しかし、この音は、一体……。」
秋人は、今なら元の優しいリンを取り戻せるかもしれないと必死に叫ぶ。
「リン、思い出せ! お前自身を、お前の選んだ生き方を、思い出すんだ!」
「リン君、君はこんな風に人を傷付ける為の存在じゃない。君は人に安らぎを与えられる存在なんだ。」
野崎は苛立って白石達に命じる。
「もういい。白石、根本、お前達で3人を処分しろ。綸はもう一度プログラムの組み直しだ。」
「了解致しました。」
2人は拳銃を構え秋人達に向ける。
「さぁ、綸から離れてもらえませんか。所長の大事な道具をあなた方の血で汚したくないのですがね。」
村上は野崎に銃を向け白石達を睨む。
「リン達に近付かないで。」
秋人はリンから溢れる音に合わせて歌い始める。秋人が属するバンドの曲で失われた恋を取り戻したいと願う歌だ。
「桜井、リン君の手を放すなよ。」
聡一は携帯電話を取り出し、秋人から半ば無理矢理「自信作だから着信メロディにしろ」と贈られたその歌を再生する。「自己を守れ」の言葉に反応してこの曲がリンから流れてきたのなら、何か意味があるはずだと。リンの耳元へその歌の流れるシルバーの携帯電話を近づけた。リンの頭脳に既視感がよぎる。それは秋人の家から連れ去られた時の光景と酷似していた。今のリンは覚えていないのだが、それはわけもわからずリンを怯えさせた。錯乱するリン、祈るように歌う秋人、秋人を支える聡一、撃たれた肩を押さえ荒い息をする野崎、銃口を向けあう村上達。止まってしまったかのような時間。必死に秋人の手を放そうともがくリンの頭脳に、秋人の歌が響く。自分を想う声が聞こえる。現実に目の前から聞こえる声と、プログラムによる情報の渦の奥から響く声が同調し過去を連鎖して呼び起こしていく。
抹消された記憶。自分の存在理由。……存在理由? 私の存在を求めてくれた人がいたような気がする。忘れてはならない、大切な記憶だったはず。思い出せ。……そうだ、私には大切な人がいた。ここへ連れ戻される前に、私は今の記憶を消されても復元出来るように、私の大好きなこの曲に記憶を封じておいたんだ。秋人さんの声は消された記憶を蘇らせる為の大事な鍵。どうして思い出せなかったのでしょう……。
リンは秋人の声を電気信号に変換し、自分が作った記憶復元プログラムにアクセスさせた。微かな電子音を立てて抹消されたリンの秋人への記憶は完全に取り戻された。リンは秋人を見つめそっと口を開いた。
「秋人さん。」
秋人は歌うのを止めリンを見つめ返した。聡一も携帯電話の音を止めリンを見つめる。視線の先には、悲しげな顔をしたリンがいた。
「秋人さん、申し訳ありません。」
秋人はほっとしたように大きく息を吐く。
「リン……。良かった。」
聡一は携帯電話をしまうと野崎達を見据えた。
「もうお分かりでしょう。リン君はあなた方の思い通りにはなりません。我々をここから解放して頂けますか。」
野崎達は信じられない思いでリンを見つめた。抹消した記録が復元されるなど有り得ない事だった。聡一の書き換えた行動原則に従いリンが記憶復元プログラムを作っていたなどと考えも及ばなかった。
これで終わったと秋人は安堵した。もう誰もリンと自分の生活を脅かせたりはしないだろうし、絶対にそんな事はさせないと誓った。秋人はリンを見つめる。
「さぁ、帰ろう、リン。俺達の家へ。」
しかし、リンは首を振り思いがけない事を口にした。
「それは、出来ません……。」


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