機械仕掛けの天使18 十七へ/ 小説の間へ/ 終へ

十八


秋人は困惑してリンを見つめる。
「どうして! もう何も心配する事なんかないじゃないか! お前はもう自由なんだ!」
リンは静かに首を振った。
「私は記憶を書き換えられてしまえば、簡単に他者の思いのままになってしまいます。今も助けに来て下さった秋人さんに命令のままに傷を負わせてしまいました。」
そして部屋のメインコンピューターに視線を移す。
「私は自分が何の為に作られたのかをようやく知りました。私は危険な存在です。私がいる限り、私を利用しようとする人が後を絶たないでしょう。ですから私は消滅します。」
秋人はリンの肩を掴む。
「何言ってんだよ!? お前を利用しようとする奴なんか俺がぶっ潰してやるよ! だから馬鹿な事言うなよ。お前の事は俺が守ってやるから!」
リンは秋人の目を真っ直ぐに見つめ返した。その表情はひどく悲しげだった。
「恐らく私はその度に秋人さんを傷つけてしまいます。記憶を消されてしまったら、私は秋人さんに気付く事が出来ないのです。秋人さんの事を忘れた状態では、何らかのきっかけが無いと記憶復元プログラムは作動しないのです。その度に秋人さんを危険な目に合わせたくはありません。……わかって下さい。」
村上はリンに歩み寄る。
「なら野崎所長を殺せば、あなたの機密を知る者はいなくなるわ。」
リンは野崎に視線を移す。白石と根本が野崎を庇うように立ちリンを睨んだが、リンは静かに首を振った。
「そんな事は出来ません。私を作った目的がどうあれ、あの方がいなければ私は生み出される事はなかったのですから。そんな人を殺すなど、私には出来ません。」
野崎は白石達をかき分けリンの前に立つ。肩の傷からかなり失血していて蒼白な顔色をしている。
「お前は私に従属する物だ。勝手に消滅するなど許さん。」
「今の私はあなたに従属するものではありません。最後の仕事を終えたら私は消滅します。私を生み出して下さった事には感謝しています。」
リンの言葉に聡一は口を開く。
「最後の仕事?」
リンは聡一を振り返った。
「はい。私の最後の仕事は、この研究所の真の目的を世間に公表する事です。もう二度と、私のような存在が作られる事のないように。」
リンはメインコンピューターの前に座ると研究所のデータを呼び出した。リンの制作プロジェクトやその他のAI兵器の設計図、資金源の裏リスト等が画面に現れる。リンは滑らかな手つきでそれらをマスコミや警察機構のコンピューターに送信していく。
「させるか!」
作業をするリンに白石が飛びかかる。村上は反射的に銃を構え発砲した。弾は白石の肩を撃ち抜く。白石は村上を睨みうずくまる。根本が野崎を支えながら口を開く。
「よせ、白石、今は所長を病院へお連れする方が先だ。」
忌々しげに村上達を睨むと白石は野崎に駆け寄り、無事な方の肩で野崎を支え部屋を出て行く。
「野崎が逃げるわ!」
思わず叫んだ村上にリンは冷静に応えた。
「大丈夫です。すでに緊急手配体制がしかれています。手当てを受けた後、逮捕ですよ。」
全てのデータの送信を終えると、リンは別のプログラムを呼び出す。「Delete」と書かれたファイル名を見て、秋人の声は震えた。
「なぁ、リン。考え直せよ。この研究所はもう終わりだ。お前を利用しようとする奴なんかいないんだ。」
秋人の言葉にリンは悲しげに首を振った。
「私は秋人さんに傷を負わせてしまいました。それにどんなに精巧に作られていても、私はアンドロイドです。誰かがそれに気付いて、私を悪用しようとするかもしれません。」
秋人を振り返り、リンは悲痛な眼差しで言葉を続ける。
「私は簡単に他者の道具にされる自分が許せないのです。その度に秋人さんを傷つけるのは嫌なのです。それに私は兵器です。存在そのものが悪なのです。私は、存在してはならない。」
リンはコンピューターに向き直ると、ゴーグルのような物を被りコードでそれとコンピューターを繋いだ。「Delete」のインストールを選択する。秋人達は何も言えずにリンの作業を見守っていた。ゴーグルが電子音を発し、プログラムがリンへインストールされた事を知らせる。ゴーグルを外し、リンは秋人を見つめた。
「さぁ、ここを出て下さい。警察やマスコミがそろそろやって来る頃でしょう。厄介な事に巻き込まれる前にここから離れて下さい。」
秋人はリンの手を握る。その目には涙が溢れていた。
「嫌だ! 俺はお前と一緒にここにいる! せめてお前の最期を見届けさせてくれ!」
リンは悲しみに顔を歪める。
「秋人さん、私はただの鉄屑となる自分の姿をあなたに晒したくありません。お願いです、行って下さい。」
泣き崩れる秋人を聡一は支える。
「行こう、桜井。ここはリン君の意志を尊重してあげるべきだ。」
その聡一の目にも涙が滲んでいた。村上も目を赤くしながら秋人を支えると3人は部屋を出て行った。

秋人達が部屋を出た事を確認しリンは淋しげに微笑んだ。リンを形成するプログラムが削除されていく。動かなくなる身体、薄れていく意識の中でリンはキーボードに手を伸ばす。
……私の存在は消えてなくなりますが、せめてこの心は……

部屋を出た秋人達は、集まり始めた警察やマスコミに見つからないよう車を出し、研究所を離れて行く。秋人は茫然自失のまま口を開いた。
「なぁ、藤沢。機械と人間って、お前の言うような『共存』って出来ないのかな。」
聡一は後部座席の秋人を振り返ってきっぱりと答える。
「人間次第で、いくらでも出来るようになるさ。」
坂道を登りきった所で秋人は研究所を振り返った。ちょうど夜が明ける所で、研究所の背後の空には真っ赤な朝焼けが広がっていた。その赤を見て、秋人はリンの命が消えてしまった事を感じた。涙に滲んだ朝焼けは、車が遠ざかってもずっと秋人の視界に広がっていた。


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