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「お二人ともどうしたんですか。何かわかったんですか?」
二人は一瞬目を合わせて小さく首を振った。リンにはまだ聞かせない方がいいだろうと目で会話する。聡一はリンに視線を戻し口を開いた。
「いや、たいした事はわからなかったよ。でも他の大切な事がわかった。リン君が優秀な頭脳を持っている事。そしてリン君の心の事。」
「私の心、ですか?」
秋人もリンを見つめる。
「そう、リンの心。リンはずっと自分の心が偽りの作り物かもしれないって悩んでたんだろう?悪いとは思ったんだけど、リンの思考を覗かせてもらったんだ。そうしてやっと俺はリンが本当に苦しんでる事が何なのかわかった。いままで気付いてやれなくてごめんな。リンの心は偽りなんかじゃない、凄く綺麗な本物の心だよ。俺が保証する。」
聡一もリンを見つめる。
「僕も保証するよ。リン君はとても純粋な心を持っている。もっと自分を信じてあげるんだ。そうでなきゃ君自身も桜井も可哀相だ。」
リンは戸惑い二人を交互に見つめる。
「心など私にあるのでしょうか。私にとって感情は、知識でしかありません。」
俯いてしまったリンに聡一は言葉をかける。
「知識でしかない感情なら他人の心を動かす事は出来ないよ。リン君の心に僕も桜井も胸を打たれたんだ。リン君の心は間違いなく本物だ。何も迷う事はない。コンピューターのプロの僕が言う事なんだから、間違いないさ。」
リンは俯いたまま口を開く。
「しかし私はアンドロイドです。秋人さんの想いに応える事はできません。歳を重ねていく秋人さんと永遠に変わらない私では……。」
秋人は大きく首を振ってリンの言葉を遮る。リンの手を取り秋人はその目を覗き込んだ。
「そんな事悩んだってしょうがないだろう。年老いても俺は変わらずにリンを好きでいる。俺やお前に何があっても、リンの側にいる。初めて自分以外の誰かを大事だって思ったんだ。俺はリンとの生活を守るよ。」
「秋人さん。世界でただ一人私の存在を認めて下さった秋人さんを、大切な人だと思っています。私も秋人さんの側にずっといたいです。だけど……。」
口ごもってしまったリンを秋人は更に見つめる。
「何だよ、まだ何か不安があるのか。俺の気持ちは変わらないから安心しろって。それとも年老いた俺は嫌か?」
リンは秋人の言葉に首を振ると言いにくそうにゆっくりと言葉を切りながら続ける。
「いえ、そうではなくて。私の人格は、男性として、設定されています。」
秋人は思わず呆れる。
「なんだ、そんな事か。関係ないさ、そんなの。男だろうが女だろうがリンはリンじゃないか。男だって設定されてるだけの事だろ。誰に何を言われようと俺は構わないけど。」
リンはまだ何か言いたそうにもじもじしている。
「それに、私には、あの……。」
首を傾げる秋人に、リンの言いたい事を察した聡一は苦笑しながら言ってやった。
「非生産的な恋だな、桜井。清らかでいいじゃないか。僕は全力を挙げて応援しているよ。それにしてもリン君はそんな事まで考えていたのか。」
聡一の言葉にようやくリンの言わんとしている事に気付いた秋人は顔を真っ赤にして叫んだ。
「俺はリンをそんな対象として見てるわけじゃない!」
聡一の言葉に恥ずかしげに俯いていたリンは秋人の言葉にきょとんとして顔を上げる。秋人は照れくさそうに頭を掻いて言葉を続けた。
「俺にとってリンは、何て言ったらいいのかな……そうだ、天使なんだよ。そんな対象として見た事は一度もないぞ。そんな事まで考えなくていいって。リンが側にいて心が通じ合っているってわかれば充分幸せなんだ。こんな気持ち初めてだよ。」
「天使だなんて。私はただの……」
秋人はリンの言葉の先を察してそれを制した。
「ストップ。もうその科白は言うな。リンが機械だろうと人間だろうと関係ないんだから。リンはリン以外の何者でもない。俺が惹かれたリンはここに存在するお前なんだ。余計なことはもう考えるな。」
「はい。」
頷いてリンは秋人の目をじっと見つめた。秋人の真摯な眼差し、言葉に満ちる温もり、それらを感じられる事を幸せだと感じた。そしてたとえ記憶を取り戻しても秋人の側を離れまいと思った。秋人が自分の存在を必要としている。自分もまた、同じくらい秋人の存在を必要としていた。作られた施設ではない、ここに自分の存在する理由があるのだ。
秋人もリンを決して研究所へ戻させはしないと、リンとずっと2人で生きて行きたいと思った。あの日、リンと出会わなかったら自分はこんな風に他人を大事に想う事はなかっただろうと思えた。地に足の着かない刹那的だった暮らしをリンが変えてくれた。おずおずと秋人はリンの手を取りその存在を感じる。リンの手は冷たかったが、それは照れ臭さに火照った秋人の手を優しく冷やしてくれるようだった。じっと耳を澄ますとリンの鼓動が聞こえる。その電子的な音は、秋人にはこの世で一番安らげる音に聞こえた。聡一の「今の記憶を消してしまえばここにいるリン君とは違う彼が生まれる可能性はある」という言葉が甦る。そんな事はさせない、この安らぎを、優しい冷たさを、絶対に守るんだと秋人は改めて誓った。
聡一は手を取り合う2人を守りたいと思った。純情な秋人と純粋なリン、2人の邪魔をする者は自分が相手をしてやると誓った。リンと秋人の出会いは必然だったのだと感じた。
部屋中に満ちる優しい幸福な空気。3人ともこの幸せを守りたいと強く願っていた。


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