機械仕掛けの天使 七 六へ小説の間へ八へ




時は少々遡る。ここは郊外にある小規模なAI研究所の所長室。
「あれはまだ見つからないのか。お前達一体何をしている。」
大きな漆塗りの机の後ろで黒いスーツを着た壮年の男は、冷たい目で三人の所員達を睨んでいた。睨まれた所員の一人は声を震わせる。
「し、しかし所長。あのアンドロイドは見た目も何もかも人間そっくりでして……。」
所長と呼ばれた男、野崎雄一郎は所員の言葉を遮った。
「当たり前だ。私がそのように作ったのだから。」
「で、ですから、大都市などに紛れ込んでしまったら、見つけようがありません。」
野崎は冷たい声音で言い放つ。
「私はやれ、と言っているのだが。」
所員たちは俯いて震えていた。野崎は無能な者を何よりも嫌う。所内で野崎に「使えない」と判断された者は例外なく消息を絶っていた。「ここで使えないのなら他所へ行っても同じ事だ」と野崎は言う。彼はこの研究所の完全な独裁者であった。部屋には重い沈黙が下りている。三人が失踪したアンドロイドの捜索を命じられてからもう四ヶ月が経つ。野崎が四ヶ月もの間この三人を使えないと見切らなかったのは奇跡に近い事だと言えた。野崎は静かな怒りを燃やし三人を睨んでいる。沈黙を破るように内線電話が鳴った。
「何だ。今取り込み中だ。」
事務員から感情の無い声で連絡が告げられる。
「村上所員がバークレーから戻られました。」
野崎は唇を歪めて笑った。これで事が進むと呟き事務員に命じる。
「こっちへ来るように伝えろ。話があるとな。」
電話を切ると野崎はおろおろしている三人に言い放った。
「もういい、消えろ。」
解雇されるだけでは済まないであろう自分達の運命に怯えながら三人は部屋を出て行った。
数分後、ノックの音が響く。
「所長、村上薫です。」
「あぁ、入れ。」
重そうなドアが開けられスーツを着こなした女性が部屋に入って来る。ヒールを鳴らしながら彼女は野崎のいる机の前に立った。
「お話とは何でしょう。」
村上を一瞥して野崎はタバコを取り出す。
「バークレーはどうだったかね?」
「とても充実した日々でしたわ。」
村上は四ヶ月前、彼女自身も学んだバークレーで講師助手としてAIについての講演と論文の発表を行ってきたのである。
「講演は大成功でしたわ。テーマは『AIの平和利用』、皆さん真剣に私達の話を聞いて下さいましたわ。」
立ち上るタバコの煙に不快感をあからさまに示しながら村上は野崎の目を見据える。
「それで所長、お話とは。」
野崎は旨そうに煙を吐きながらニヤリと笑う。
「まぁ、いいじゃないか。それより君の話を聞かせてもらいたいね。『AIの平和利用』か。どんな話をしてきたのかね。」
自分が明らかに優位にいる時、中々本題に入らないのはこの男の策である。相手の不安を掻き立てて追い詰め、より確実に自分に服従させるのである。
「主に話をしたのは私の恩師です。AIを医療や看護、警備やレスキュー等人類を守る為に利用する方針で研究を進めていくべきだというのが先生の主張ですわ。」
素っ気無く話す村上の背には冷たい汗が流れていた。口の中が異常に渇く。四ヶ月前、完成したばかりのアンドロイドが失踪し未だに見つからないと、他の所員から探るような口ぶりで聞かされた。彼女がバークレーへ発ったのも四ヶ月前。しかも失踪したアンドロイドは彼女が全権を持って制作したものだ。疑われるのは当然の状況である。そしてその疑惑は事実であった。アンドロイドを失踪させたのは村上である。野崎は何を聞き出そうというのかと不安と焦りを感じていた。素っ気無い口調でそれを隠している。大丈夫、証拠は何も残していないと自分に言い聞かせた。野崎は悠然と椅子から村上を見上げる。
「なるほど。是非ともその先生とお会いして話しをしてみたいね。私の研究理念とぴったりではないか。」
村上は平静を装い野崎を見返す。
「所長の研究理念ですか。先生のそれと一致するとは思えませんが。」
野崎にはその口ぶりから村上が自分の策に落ちたとわかっていた。そうして徐々に本題に近付いて一気に攻め落とすのが彼の常套手段だった。
「私のAI研究の理念を村上君に話したことはあったかね。」
「先生はAIを兵器として利用する事に反対しておられます。そのような恐ろしい目的に利用するならば即刻AIの研究は全世界的に廃止すべき、というのが先生のお考えですわ。私もそれに賛同しています。」
野崎は村上を見遣ったまま短くなったタバコを揉み消す。
「この研究所はAIの医療分野での利用を研究しているではないか。だからこそ、君も所属しているのだろう?」
「リンの制作プロジェクトを読みました。その上、完成したリンにミサイルの演算処理能力や盗聴機能、ハッキングの為のシステム、更にはナイフや最新の小型銃器が私の知らないうちに搭載されていましたわ。これはどういう事でしょう。医療分野での利用ならばこのような装置は必要無いはずです。」
野崎は先程までのニヤニヤ笑いをゆっくりと消し冷徹な口調で告げる。
「だから勝手に装置を削除して失踪させたわけか。」
口元で手を組み視線だけで村上を見上げる。村上の表情から確信を得た野崎は更に言葉を続ける。
「私は君の才能をとても高く買っているのだよ。君がここにいられるのは誰のお陰かという事を、きちんと理解してもらわないとね。」
村上は青ざめながら口を開く。
「しかしあれは嵌められたのです。」
平常心を取り戻そうと大きく息を吐く。
「あれは濡れ衣です。恐らく私のIDを勝手に利用して私を陥れようとした奴の仕業です。」
村上の言葉を野崎は遮る。
「証拠はあるのかね。それに本当にIDを勝手に利用されたのだとしたらそれは君の落ち度だ。そんな言い訳がネットポリスに通用すると思うのかね。政府のコンピュータにクラッキングして情報改竄、偽のテロ予告、政府首脳への誹謗中傷、全くたいした度胸だよ。ネットポリスより先に犯人を見つけたのが私と知り合いの政治家先生でなければ、今頃君はのんきにアンドロイドの開発などしてはいられないのだよ。」
ハッカーがその腕を買われて企業や研究所に雇われる事は珍しい事ではない。侵入された側としても、高度な技術を持っている者をネットポリスに突き出してむざむざ潰す事もないと考えるのだった。とはいえ政府コンピューターへのクラッキングは国家反逆罪に問われる。この政治家が侵入者のIDを調べた結果村上を見つけその素性を調べ、コンピューター技術者を探していた野崎に紹介したのだった。濡れ衣であることが証明できない以上、村上は野崎に弱みを握られているのも同然である。野崎は椅子から立ち上がり村上を見据える。
「あのアンドロイドをどこへ隠したのかね。あれは特別に作らせた物だ。あれを元に完璧なAIを搭載したアンドロイドを量産する計画をたてていたのに。まさか君が邪魔をするとは。」
村上は気丈に野崎を睨みつけた。
「リンを、AI兵器を量産して何をしようというのですか。私がここに来たのはそんな物を作る為ではありませんわ!」
野崎は唇を歪め冷笑する。その気になればいつでも村上をネットポリスへ突き出し、永久にコンピューターとの関わりを断つ事も出来る。AIの医療利用を真剣に考えている彼女にとって大きな打撃となるに違いない。あるいは村上を物理的に消す事も可能だ。所員一人の失踪くらいいくらでも揉み消す事が出来る。野崎は政治家との繋がりと自らの才能を基に一研究所の所長としては有り得ない権力を手にしていた。冷笑を浮かべたまま野崎は口を開く。
「今ここで君の技術力を失うのは大変惜しい。政治家先生も君の事を買っておられる。さぁ、教えてくれないかね。研究所にはあれをもう一度ゼロから作り直す程の資金は無いのだよ。」
村上は野崎を睨む。
「資金などいくらでも搾り出せるんじゃありませんか。なにしろ偉大な方がバックにおられるのですから。」
野崎は首をすくめる。村上の嫌味など意に介していない。
「そうもいかんのだよ。先生方も完成を楽しみにしておられるのだ。『失くしてしまいました。もう一度お金を下さい』などと言ったらここは潰されてしまう。さぁ、意地を張るのは止めてあれの在りかを教えてくれないか。」
村上は野崎から目を逸らす。逃れられないのは明白だった。
「私にもリンの行方はわかりませんわ。記録を抹消して、自由に逃げろと命じましたので。」
村上の視線の先にゆっくりと回り込んで野崎は冷たく笑った。


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