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「自由ね……。機械の自由を君は認めるのかね。果たしてコードネーム・リンがそれを理解できるのかどうか。」
嘲笑う野崎の言葉に村上はむっとして口を開く。
「理解したから逃げ出したのでしょう。それにリンのその呼び方、止めて頂けませんか。」
野崎は再びタバコを取り出し村上を見遣る。
「逃げ出したのは「人間の命令は絶対」とプログラムしているからだ。逃げろという君の命令に従ったに過ぎないのではないかね。」
タバコを嫌う村上にわざと煙を吐きながら野崎は言葉を続ける。
「それにこのコードネームは君が付けたのだろう? 良い名じゃないか。漢字で「綸」。国を司るという意味だ。私の未来を君は見据えて付けたのではないかと思ったよ。」
暗い笑みを浮かべながら話す野崎を村上は信じられない思いで見つめた。
「私はそんな意味で名付けたのではありません。所長が国を司るですって? 狂ってるわ。正気の沙汰とは思えません。」
野崎は窓辺に歩み寄り曇天模様の空を眺めながら口を開く。
「科学者とは程度の差こそあれ皆狂っているものだと思うがね。研究の為、ひいては理想実現の為ならあらゆることを正当化できる人種だよ、科学者というのは。それに君だって同じ穴のむじなではないのかな。アンドロイドに人間の脳をコピーするとは。私には考え付かんよ。しかも自分の弟を実験台にするとはね。私からすれば君の方が恐ろしい人間だと思うのだが。」
野崎の言葉に村上は顔をしかめる。
「実験台だなんて。ただ脳内の記憶情報をスキャニングしてコピーしたに過ぎません。完全な知識統合体を組み上げるのに必要な事ですし、何の危険を伴う事ではありません。それに、あれは弟の為でもあるんです。」
言いにくそうに口にされた言葉に野崎は振り返る。
「どういう事かね?」
村上は隙を見せまいと野崎の目を真っ直ぐに見返した。
「弟は重度の心臓病で、現代の医学をもってしても治る見込みはないそうです。もって後1年の命だと言われました。弟はその事を察しているようです。弟は生きたいと願ってます。幼い頃、弱々しい目で言うんです。「こんな弱い身体いらない、ロボットみたいに強い身体が欲しい」って。そして私はAIの研究を始めたんです。始めはAIに自由に研究させ弟を治す方法を発見させようと考えていました。けど研究を進める内に、人間の記憶や知識、人格をAIにコピーする技術を開発したんです。その時幼い頃の弟の言葉を思い出したんです。「ロボットみたいな強い身体が欲しい」。これで弟の願いが現実のものになると確信したんです。そして弟がまだ動き回れる内に弟の人格をAIにコピーしようと思って論文を後回しにしてまで一時帰国したんです。バークレーで完璧なAIを完成させる理論は確立していましたから。ハッキングの濡れ衣を着せられた時には一巻の終わりだと思いましたけど、うまくここに入れて弟の記憶情報をリンのAIにコピーする事が出来ました。弟も喜んでいましたわ。「これでもう苦しまなくていいんだね」って。」
一気に話すと村上は深呼吸して野崎を睨む。
「ですから、私は所長とは違います。自分のエゴでAI兵器を作るようなあなたとは!」
野崎は村上の言葉に冷笑を返す。
「私には君の話の方が正気の沙汰とは思えないがね。弟の願いだって? 馬鹿馬鹿しい。そうやって作り出したアンドロイドは弟と同じ物かね? 全く同じ細胞から作り出すクローン人間でさえ元の人間と同じにはならないというのに。君も狂っているんだ。自分でそれに気付いていない、あるいは認めたくないだけの事だ。自覚が無い分、私よりたちが悪い。」
野崎の言葉に村上は激昂する。
「私達がそれ程苦しんでいるって事があなたにはわからないんですか! 目の前で弟が発作を起こして苦しんでいるのに私には何も出来ない。それがどれ程辛いか! あなたみたいに血の通っていない人間にはわからないんでしょうね!」
興奮する村上とは対照的に野崎は肩をすくめ冷静そのものの表情で口を開く。
「わかるはずがあるまい。私はそういう状況に立たされた事は無いのだから。人を冷血動物のように言わないでくれるかね。では聞くが、そうして作った綸の行動原則を「人間に従え」と書いたのは何故だ。弟の生まれ変わりにでもするつもりだったのなら人間に従えと言うのはおかしいのではないかね。それに綸の機械に対する認識だ。これについても私は何も指示していない。君がプログラムを組んだのだろう。私のテストではあいつは自分を「人間の道具だ」と言った。君の弟は君の道具なのかね。それなら全く同じにしたいというので納得が行くんだがそうではあるまい。君のやっている事は矛盾だらけだ。」
野崎の指摘に村上は俯く。
「それは……リンに自己制御を失わせない為です。自由に研究させる一方で、人間より優れた頭脳を持っているのですから、主従関係をしっかりさせておく必要が、あると思います。たとえそれが身内の人格を持つアンドロイドでも……。」
口ごもった村上の言葉を野崎は一蹴する。
「たとえ身内の人格を持つアンドロイドでも主従関係をしっかりと、か。綸もいい迷惑であろうな。AIの平和利用だの機械の自由だのを主張していても、結局君もアンドロイドを人間の道具としか見ていないのだろう。私の事を責められるかね。」
村上は顔を上げ野崎を睨みつける。
「それでも私は所長のような危険思想は持ち合わせていませんわ。一緒にされるのは心外です。政治家と癒着した挙句自分が国を乗っ取ろうなんて。」
野崎は肩をすくめる。
「思想云々の話ではないよ。機械に対する認識の話だ。私は機械を使ってこの国を自分の手中にしようとしている。君は機械を使って弟の代わりを作った。私も君も自分のエゴで機械を道具にしているのだよ。君と私の行動にどんな違いがあるのかね。」
「私の想いはエゴではありません! この技術が浸透すれば多くの人が苦しみから逃れられるかもしれないのですよ!」
険しい顔の村上に野崎は冷笑を浮かべる。
「それがエゴだと言うのだよ。皆が皆自分の記憶を機械にコピーしてまで生きたいと思うかね。非人道的だと批判も出るだろう。それにだね、君はそのために論文を後回しにしたと言ったね。そのせいでどれだけの人に迷惑をかけたのか考えた事があるかね? 少なくとも君の恩師はがっかりした事だろうな。」
村上は険しい表情を崩さない。
「先生はわかって下さいましたわ。所長と違って温かい方ですから。」
冷笑を浮かべたまま野崎は言い放つ。
「君は科学者としても人間としても中途半端だ。君は完璧な科学者だと認識していたのだが。そんな人間としてのエゴまで剥き出しの行動を取るとは。それだけならまだしも、科学者のエゴまでも押し通そうとするとはね。君には失望した。さぁ、そろそろこんな無意味な議論は止めて本題に戻ろうか。本当に君にも綸の居場所はわからないのかね。」
村上は無表情になり事務的な口調で告げる。
「ええ。リンには発信機の類は付けていませんし、リンの思考記録を始めとする私が残した装置とここのホストコンピューターを繋ぐ回線は切断しました。リンにアクセスする術はありません。」
本来、ロボットやアンドロイドは制作された施設のコンピューターと回線で繋がれていて、いつでも居場所を察知する事が出来る。作業中に事故があった時の処理をスムーズにする為のものだ。村上がリンの回線を切ったのはここにリンを戻らせない為だった。リンをこの危険な研究所に繋げる鎖を断ち切り、リンを自由にさせたかったのには違いない。ただし、そこには「AI兵器にされるくらいなら」という前提がある。彼女の思惑と違った所でプロジェクトが進められていた。そんな事はさせたくない、だから自由に逃げろ、と言うのである。リンには彼女の弟の人格がコピーされている。それを兵器として利用されるのは許せず、記憶を消して脱出させたのだった。機械にとって過去の記憶などたいして重要なものではないと考えている。だが彼女は重大な事を失念していた。リンは人間と同じように知能を持ち、考える事が出来るのである。リンは自分に記憶が無い故に、自分の存在理由を常に疑う事になってしまった。彼女の認識不足がリンを大きな苦悩へ追い込んだのだった。彼女は機械が悩んだり苦しんだりといった、不条理で不確かな感情を抱くなんてあり得ない事だと信じ込み最初からそんな事は念頭に無かったのである。たとえ弟の人格をコピーしていようと、それは機械であり道具だという認識でいた。ただ苦しむ弟に少しでも安心をさせてやりたいと考えての行動であった。また彼女自身も、弟の苦しむ姿から解放されたいと心の底で思っていたのだった。彼女はリンを医療技術の開発に従事させようと考えていた。人間には不可能だった技術もAIなら開発し得る。暴走しないよう自己認識を組んで、AIの優れた頭脳を利用しようと考えて開発に取り組んでいたのである。そこにはリン自身の人格を認めるという意識は無い。村上も機械を人間の道具だと考えているのには違いないと言えた。


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