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 結界を通り抜けたロレウスとイルは深い森林の中にある巨大な古木の前にいた。ロレウスは息を整え辺りを見回す。太陽の光が薄っすらと射す森は、魔界には無い鮮やかな色彩を放っている。水鏡を通してずっと見てきた地上世界を目の当たりにし、深い感慨を抱いた。ヴァルジールが愛した世界。魔界の皆が追われても尚、戻りたいと願う世界。
「美しい世界だ。」
辺りは神聖なまでの静謐さに包まれ、木々も太陽も魔界から来たロレウス達を拒む事無く悠然と存在し続けている。世界は本来こうなのだとロレウスは感じた。
「行こう、イル。神を探し出し滅ぼすのだ。」
イルの額に手をかざしロレウスは幻視魔法をかけた。地上には竜はいない。余計な騒ぎを巻き起こすのは目的の妨げになるだろう。一族を倒し結界を無くす事が最優先である。ロレウスの手から青い光が溢れイルを包む。それはほんの一瞬で消えた。人間が見ればイルの姿は牡馬にしか見えない。ロレウスの銀色の髪も人間には黒く見える。一族との戦いに備え余計な戦闘は避けるつもりだった。まずは長が眠る結界の地を探し出さなくてはならない。その為には人間と接触する必要もあるだろう。一族さえいなくなれば、人間をどうするかはゆっくり考えればよい。
イルの手綱を引き歩き出そうとしたロレウスの耳に、静寂を破る音が聞こえた。数人の人間の足音が近付いてくる。辺りの美しさを踏みにじるような荒々しい足音にロレウスは眉をひそめた。
「何者だ、こんな所に。」
ロレウスはイルと共に木立ちに身を隠す。姿を現したのは荷車を牽く屈強な男と、神官らしき服装の若い男と老人、そして荷車の後ろに繋がれ歩かされている少女が一人。屈強な男が2人の神官に声をかけるのが聞こえた。
「ゼスト様、リーベル様、あれが魔界へ通じる古木だそうです。」
「なるほど。確かに禍々しい気配が漂っておるな。」
老人の方が辺りを見回しもっともらしく頷く。その言葉にロレウスは顔をしかめた。この静かで美しい場所のどこが禍々しいのかと。若い神官が荷車の方へ目をやる。
「よし、ゴードン。そいつをここへ。」
若い神官の言葉にゴードンと呼ばれた屈強な男は一礼し、縛られた少女の腕を乱暴に引くと、ロレウスに背を向けている神官達の前に立たせた。所々破れ、薄汚れた粗末な服を着せられた少女は真っ直ぐに顔を上げ2人の神官を見据えている。少女の瞳は右目が薄い青、左目は赤みを帯びた紫色のオッドアイだ。人間には持ち得ない色をしたその瞳には、何の感情も表れてはいなかった。絶望も諦めも通り過ぎた空っぽな瞳で神官を見つめている。それは神官達にはふてぶてしい態度に映ったようだった。顔をしかめ老人が口を開く。
「ふん、そのような態度でいられるのも今のうちじゃて。リーベル、始めるとするかの。」
仰々しい仕草でゼストは杖を天にかざす。何を始める気だと訝しげに見つめるロレウスに気付く様子は無い。祈りを捧げるような仕草で杖を天に掲げたゼストの隣で、リーベルが懐から小さな書物を取り出し開く。
「我らが神よ。今ここに諸悪の根源たる忌まわしき魂を追放致します。どうか我らの地を浄化し再び神の恵みをお与え下さいますよう。」
リーベルの言葉が終わるとゼストは呪文らしき言葉をぶつぶつと口の中で唱え始めた。ゴードンが荷車から大きな斧を取り出し少女に向ける。
「よし、やれ。」
神官達が何をしようとしているのかを察し、ロレウスは声を荒げ足を踏み出した。
「愚かな。古代の過ちを未だに繰り返しているのか!」
背後から突如響いた声に驚き、ゼストとリーベルは振り返る。
「誰だ!」
木立ちからゆっくりとロレウスは姿を見せる。深い怒りを浮かべロレウスは言葉を続けた。
「お前達に何の権限があってその少女の命を奪うのだ。」
「何者か知らんが儀式の邪魔をするでない。見よ、この不気味な色の目を。こやつは我らの地に厄災をもたらすべく現れた忌まわしき魔物! 葬り去らねばならんのじゃ!」
リーベルは斧を構えたゴードンに命じる。
「ゴードン、この邪魔者からやれ。」
「はっ。」
ゴードンは片手で軽々と斧を振ると、巨体に見合わない敏捷な動きでロレウスに向かい突進する。ロレウスはゴードンを一瞥すると一歩も動かぬまま剣を抜き横薙ぎに払った。次の瞬間、ずしんと重そうな音を響かせ斧を握り締めたゴードンの太い腕が地面に落ちた。
「うぎゃあぁぁ!」
血の吹き出す肩口を押さえゴードンは壮絶な悲鳴を上げる。膝をつき絶叫するゴードンに目もくれずロレウスは少女に歩み寄る。
「貴様! 何をする!!」
恐れ憤る神官達をよそにロレウスは少女を戒めていたロープを解いた。


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